- Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309208268
感想・レビュー・書評
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レビューを拝見して知った本です。ありがとうございます。
この作品はプラハで2018年に刊行され、チェコ最大の文学賞マグネジア・リテラの新人賞、イジー・オルテン賞を受賞し、2019年のチェコ文学の新人賞をほぼ独占したそうです。
レビューを拝見して、すごく面白そうとは思ったものの私にはよくわからない点も多く、難しかったです。
でも、一応全部読んだので記録としてレビュー(のようなもの)を書かせてください。
17歳のヤナは、プラハのギムナジウムに通う生徒。けれども同級生とはどこか波長が合わない。というのも『ハリー・ポッター』のダニエル・ラドクリフやヒップホップに熱をあげる友だちとは異なり、彼女のアイドルは黒澤明の『酔いどれ天使』で主演をつとめた三船敏郎だからだ。念願のカレル大学哲学部日本学専攻に進学したヤナは、図書室でアルバイトを始める。蔵書整理中に目に入ったのは「川下清丸」という無名作家の名前だった。心と体が分離していく川下の話に魅了されたヤナは、作家の素性を調べ出す…。
かたや、もう一人のヤナは、2010年の渋谷にいる。街中を歩いても、自分が「幽霊」であるかのように誰も見向きもしない。渋谷を離れてどこかへ行こうとすると、すぐにハチ公象の前に引き戻されてしまう。渋谷に閉じ込められたヤナは日本語を学びながら、行き交う人々を観察するしかなかった。そんなとき、仲代達也似の若者に惹かれ、かれの跡を追いかけていくと…。
以上、訳者あとがきより抜粋。
ストーリーはチンプンカンプンでよく理解できなかったものの、ディティール的には楽しめました。
チェコの日本好きの学生は高橋源一郎『さようならギャングたち』、村上春樹『アフターダーク』、島田荘司『占星術殺人事件』や松本清張などを好むと知りました。
「川下清丸」なんて作家は知らないと思って読んでいましたが、作者あとがきによると、まるで実在したかのようですが、訳者あとがきをよく読むと架空の作家だそうです。それにしても川下の作中作はよくできているので驚きました。チェコの作家が書いたとは思えなったです。まんまと騙されました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
初読みの作家さん。チェコ共和国出身の若手作家アンナ・ツィマ氏。
非常に面白く、興味深く読ませてもらいました。
日本文学が好きな読者には結構たまらない感じの本ですね。
著者のプロフィールですが1991年、プラハ生まれ。カレル大学日本語学科を卒業、日本への留学経験もあります。
著者は、日本の小説の翻訳者でもあり、過去には高橋源一郎『さよなら、ギャングたち』、島田荘司『占星術殺人事件』の翻訳を日本語→チェコ語で行っています。
ということで、作者は大の日本通でありますね。
ちなみに本書は当然チェコ語で書かれ、日本語訳されたものです(本人が翻訳者ではありません、ちょっとがっかり?)
さて、本書はカテゴリー的には『純文学』になると思います。
なんとなく、著者が愛する村上春樹っぽいところも感じられますね。
あらすじですが、本書の主人公は2人。小説の舞台はチェコと日本。
といっても、この主人公の2人は同一人物で、一方は、日本文学を研究する大学生のヤナ。そしてもう一方は、10代の時に観光で来日し、日本に留まりたいと願ったことから渋谷に囚われてしまったヤナ(の幽霊?思念体?)。この二人を主人公に、チェコと日本の描写が交互に描かれます。そして二人を繋ぐ鍵となるのが、謎多き日本人作家、川下清丸。
この川下は架空の作者ですが、本書の中では芥川龍之介や川端康成らと親交のあった作者ということで描写されます。
この川下清丸の書いた小説の文章が本書で随所に効果的に使われ、「現代のチェコ」、「現代の日本」、そして「明治、大正時代の日本」という3つの世界での物語が展開されていきます。
本書のカテゴリーは「純文学」と書きましたが、本書にはエンターテインメントの要素もあり、ミステリーの要素もあり、そして恋愛小説的な要素もありと読者をまったく飽きさせません。
僕が特に興味深く感じたのは日本文学を研究する大学生ヤナの周囲ですね。
このヤナは、根っからの日本大好き少女。
しかし、いまはやりのアニメやコミックから入った日本びいきなのではなく、ヤナは子供の頃に村上春樹の『アフターダーク』に感銘を受けて日本文学に興味を持ち、彼女にとってのアイドルと言えば、映画『酔いどれ天使』で主演を演じた青年時代の三船敏郎や仲代達也というあまりにも玄人好み過ぎる感性の持ち主(笑)。そのヤナが大学の日本語学科を受験する時に、周りの受験生たちがアニメ「犬夜叉」のコスプレ姿だったり、ピカチュウの着ぐるみを着て入試を受けているという描写は、可笑しさを通り越して、シュールすぎる絵です。
また、本書の中で描かれる謎の日本人作家川下清丸の小説がたびたび引用されるのですが、、これが本当に芥川龍之介や太宰治が書いた物っぽい小説の文章で、実に見事。もちろん、原書はチェコ語で書いてあるので、本書の文体は、本書の翻訳者阿部賢一氏、須藤輝彦氏らのファインプレーということになるのでしょうか。
最後まで一気に読み進められるリーダビリティの高さ、そして文章のプロットの上手さ。
本書で2018年にデビューした著書ですが、本書でチェコ最大の文学賞であるマグネジア・リテラ新人賞ほか多数の賞を総なめにしています。
僕にとって、本書を読んだ経験は最高に楽しい読書経験の一つに数えても良いくらいですね。
今後もぜひチェックしたい参加さんの登場でした。次作期待。 -
一口に言えば、夭折により作品数が極めて少ないマイナー・ポエットの未発表原稿をめぐる探索行。いうところのビブリオ・ミステリである。本に関する蘊蓄が熱く語られるのが、この手の作品の常道で、そういう衒学趣味的な部分を愛する読者には喜ばれるにちがいない。もっとも、これを書いたのが、高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』をチェコ語に訳した翻訳者でもあることからも知れるように通常のミステリとはいささか様子がちがう。
というのも、作中に堂々とというか、いけしゃあしゃあとというか、ドッペルゲンガー(分身)を持ち込んでいるからだ。まともなミステリ作家なら、作中に超常現象は持ち込まない。そんなものを読まされた日には、真剣に謎を追う気が失せてしまうからだ。ということは、これはビブリオ・ミステリの形式を借りた、所謂ポスト・モダン小説なのか、とまあそんなことはどうでもいい。読めば分かる。とんでもなく面白いから。
舞台となるのは日本の渋谷、とチェコのプラハ。主人公はプラハの大学で日本文学を専攻するヤナ。彼女は博士論文のテーマに、川下清丸(かわしたきよまる)という作家を選んだ。横光利一らと親交があるので、新感覚派に属すると考えられるが、若くして死んだため、作品の数が極端に少なく、作家についても未知な部分が多い。当然それについて詳しく調べることが論文を書くための下準備となる。ヤナは日本文学に詳しい院生、クリーマの手を借りて、川下の作品と作家その人について追い始める。
二つの世界が同時進行で語られる。一つは、言うまでもなくプラハの大学で、川下という日本人作家とその作品を精査するチェコ人の若い男女の物語。志を同じくする仲間であり、余人をもって代えがたい資質を持つ二人は当然のように惹かれあい、急速に関係を深めていく。しかし、二人とも、言ってみれば日本文学オタクで、本の中に頭を突っ込んで生きている。それ以外の部分についてはほとんど言及されない。二人の恋愛感情は、日本人作家川下の書いたテキストの中で生成変化していく、いうなれば形而上的恋愛である。
二人の代わりに生々しい恋愛を生きるのは、川下が自分をモデルにして創り出した聡(さとし)という若者と、どうやら聡の父の愛人であったらしい、聡の叔母にあたる清子という年上の女性である。大正期の作家川下の書いた「恋人」という作品が、この本の中では本文とフォントを変えて引用されている。部分的引用というより、作中作のように一篇まるごと抛りこまれているようなのだ。いかにも大正・昭和初期を思わせる、いささか古風な文体で書かれた短篇を何度も読まされるうち、読者は奇妙な感覚に陥る。ミステリと思って読んでいたものが、いつの間にか純文学を読まされている、といった思いに駆られるのだ。
もう一つの世界は日本の渋谷、ハチ公前がその舞台。こちらの主人公がドッペルゲンガーのヤナだ。実はヤナは数年前に友だちと日本を訪れたことがある。そのとき、友だちとはぐれた彼女は、待ち合わせのお約束、ハチ公前で街を行き交う人並を眺めながら、このままここにいられたら、という思いに駆られていた。その所為なのかどうか、気がつけば、肉体だけがプラハに帰り、ヤナの<想い>だけがそのまま渋谷に残った。実体のない想念としてのヤナは、まるで幽霊みたいにそれからの年月を今に至るまで渋谷を彷徨い続けていた。
おかしいのは、プラハにいる本物のヤナが頭でっかちで、文学の中で恋愛しているというのに、想念としてのヤナは、憧れの日本にいて、毎日お気に入りのビジュアル系バンドのメンバーで仲代達矢に似た青年を追っかけまわし、停電で地下の練習スタジオに閉じ込められたところを救出したりしている。こっちのヤナは、七年前で成長が止まっているからか、けっこうミーハーで、分身テーマでよくある、見かけは同じだが、中身は別というお約束を守っている。幽霊のヤナの方が、本物のヤナより形而下的であるのが面白い。この一つひねった感じが本作の持ち味。
二つの世界が平行線をたどるばかりでは、話が終わらない。プラハのヤナと、渋谷のヤナを一つにする役目を担うのが、日本に留学中のクリーマだ。プラハに一人残してきたヤナのことを思いながら、渋谷の町を歩いていた彼は、街中でヤナを発見する。誰にも見えないはずのヤナが、なぜクリーマには見えたのか、その辺の説明は特にないが、よしとしておこう。七年前からこの<閾>の中に閉じ込められているヤナは、当然二年前にプラハで出会ったクリーマのことを知らない。このあたりのクリーマとヤナのちぐはぐな会話が愉快。
ヤナの現状を理解したクリーマは、分裂したヤナを一つにするには、もう一度ヤナが日本に来るしかない、という結論に至る。そのためには川下についてもっと研究し、その成果をもとに論文の概要を提出して留学の審査に通るしかない。ずっと渋谷にいたので、川下のことを知らないヤナに、彼は常時携帯していた「恋人」と「揺れる想い出」の二篇を渡し、これを読むように言う。こうして、川下に興味を抱いたヤナは、クリーマと友人の兄であるアキラの手を借り、自殺した川下の未発表原稿を処分した川島の妻に会うことになる。
未亡人が川下の遺した原稿類を処分したのには理由がある。川下清丸の本名は上田聡。父は姪の清子と恋仲になり、清子を妊娠させてしまう。世間への外聞を憚った父は伝手を頼って渡仏する。日本文学をかじったことがあれば、これは誰をモデルにしているかは自明だろう。上田聡は、叔母である清子に恋慕し、周囲の反対に耳を貸さず、関係を持つに至る。その結果二人は川に身を投げ、清子は助けられて命を拾うが、聡は水死する。妻の幸子が、夫の残した原稿を他人の目に触れさせたくないという気持ちも分かろうというもの。
さて、肝心のその原稿は果たして、言葉通り処分されていたのか、それとも秘匿されていて、百年の時を超え、遂に日の目を見ることになるのか、興趣は尽きないが、それは本作を読んでもらうしかない。それより、ヤナとクリーマが探り出してくる川下の書き物の中には、日本文壇の動向、新感覚派をめぐる文士たちの交友関係、さらには文士たちが遭遇した関東大震災についての回想録、などと言った珍品がザクザク出てくる。読んでいるうちに、これが1991年にプラハで生まれた作家の書いたものであることを忘れてしまうほどだ。
この作品の真骨頂は新感覚派の流れを汲む、川下清丸の作品の引用部分にある。いわゆるパスティーシュ。漢字仮名混じりの和文で読んでこそ、その味わいが伝わる。一つ気になるのは、原文ではどうなっているのかだ。これほど日本文学に詳しい作家なら、日本語で創作するのは容易だろうが、それではチェコの人にはまず読めない。よくある、作者によるチェコ語への翻訳という手を使ったか。もしそうなら、川下の作品を日本語で読めるのは、この邦訳しかないことになる。こういう例が過去にあっただろうか、寡聞にして知らない。
日本人には、外国人の目からは、日本や日本人はどう見えるのかを気にするところがある。そういう観点からいうと、この小説は大いに好奇心を満足させてくれるにちがいない。表紙カバーの印象からすると、書店では平台でなければ、外国文学(翻訳小説)の棚に並ぶと想像されるが、ちょっと勿体ない。翻訳小説好きはもちろんだが、ふだんは外国文学を敬遠しているような、日本の純文学が好きな読者にこそ手に取ってもらいたい作品だ。 -
読むのに時間かかりました。特に前半は興味をあまりそそられませんでした。チェコと日本と幽霊といったり来たりで展開がわかりにくく読みづらい感じが私はしました。
後半はここが繋がってるのかと気づく事も多く少しだけ楽しく読めました。
チェコの事がもう少しわかるかと思いましたが、良くわからなかったです… -
チェコ共和国出身の若手作家アンナ・ツィマさんの講演 | 実践女子大学/実践女子大学短期大学部
https://www.jissen.ac.jp/learning/bungaku/kokubun/blog/2020/20210201.html
シブヤで目を醒まして(仮) :アンナ・ツィマ,阿部 賢一,須藤 輝彦 | 河出書房新社
https://www.kawade.co.jp/sp/isbn/9784309208268/-
日本に焦がれるあまり幽霊に。そして…疾走感あるジャパネスク小説を執筆したひとりのチェコ作家 | 文春オンライン
https://bunshu...日本に焦がれるあまり幽霊に。そして…疾走感あるジャパネスク小説を執筆したひとりのチェコ作家 | 文春オンライン
https://bunshun.jp/articles/-/464122021/06/28 -
展示「夢うつつの世界へ 近代チェコ文学に描かれる〈日本〉」 / チェコセンター東京
https://tokyo.czechcentres.c...展示「夢うつつの世界へ 近代チェコ文学に描かれる〈日本〉」 / チェコセンター東京
https://tokyo.czechcentres.cz/ja/program/yumeutsutsu2022/02/07 -
自分の分身が大好きな世界を自由に彷徨う!ワクワクが止まらない、アンナ・ツィマ著「シブヤで目覚めて」 | AdvancedTime
https...自分の分身が大好きな世界を自由に彷徨う!ワクワクが止まらない、アンナ・ツィマ著「シブヤで目覚めて」 | AdvancedTime
https://advanced-time.shogakukan.co.jp/146172023/03/09
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本を読む間はずっと他人の頭の中に入って過ごすことになる。読書とは不健全で孤独な行為だ。だからこそ面白いことに、魂は時間も空間も、さらには己と他をも越える。自分は、男/女であるとか、チェコ人/日本人であるとかいうのは、魂の一状態を表したに過ぎない。強い〈想い〉さえあれば、魂は分裂し、二つの場所に同時にいられる。
文字はただの線の微妙な組み合わせ。それが名になり、詞になり、史になっていく。書いた者が死んでも、託し、遺した想いは読む者がある限り受け継がれていく。シブヤのハチ公像が行き交う人々の中心に今もいるように。 -
チェコって国はこっちから探しに行かないことには情報が全然入ってこないけど、いい意味で情報操作されてない雰囲気。なんでだかクロサワ映画ってのは(あとはナルト)海外で神格化されていて、逆輸入で存在を知らされる感じがいつもするんですが、そういう若者らが純粋にワビサビ日本文学に心頭する内容。世界観(本人が知らないところで、生き霊?として7年位渋谷駅前をさまよう)は面白いが、これといった決定的な何かがないせいか、ちょっとまとまりが感じられかった。
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2022年10月
主人公ヤナの「想い」が7年前の渋谷をさまよう冒頭は突拍子もないものに感じるが、この小説のもう一つの流れ、チェコに住むヤナが大正時代の日本の作家川下に夢中になり、少ない資料から川下の作品を読み解こうと奮闘する様はスリリングで面白く、引き込まれる。