フーコー 生権力と統治性

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  • 河出書房新社
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レビュー : 5
  • Amazon.co.jp ・本 (295ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309245119

作品紹介・あらすじ

『言葉と物』をはじめとする初期の仕事のあと、考古学から系譜学へと、新たな方法論を模索するフーコー。70年代のコレージュ・ド・フランスでの講義を軸に、『監獄の誕生』を経て、生権力と統治性の考察を深化させてゆくその思考の軌跡を丁寧に読みほぐす。

感想・レビュー・書評

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  • 著者の中山元は、その訳書のリストがとにかくすごい。カント以降の正統派西洋哲学を総ざらいという感じで、主なところだけでも並べてみると壮観だ。

    ・カント 『純粋理性批判』、『永遠平和のために』
    ・ルソー 『社会契約論』、『人間不平等起源論』
    ・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、『職業としての政治』、『職業としての学問』
    ・ニーチェ 『道徳の系譜』、『善悪の彼岸』
    ・フロイト 『幻想の未来』、『エロス論』
    ・マルクス 『資本論』
    ・バタイユ 『呪われた部分』

    そして、そうしてその西洋思想の巨人の中のひとつの頂点がフーコーであると言ってもいいのかもしれない。フーコーの主著は別の方に譲るものの『わたしは花火師です フーコーは語る』、『精神疾患とパーソナリティ』、『真理とディスクール パレーシア講義』など多数のフーコーの著作を訳している。
    そして、中山さんが書かれた『フーコー思想の考古学』、『フーコー 生権力と統治性』、『賢者と羊飼い フーコーとパレーシア』が、著者のフーコー三部作とも言えるのである。本書は、その中でもフーコーの理論の中心的概念である「生権力」について、その成立に着目して論じたものである。「生権力」を巡る思考は、情報技術の発展と浸透によって、改めて深く現代的意義を帯びてくると感じることができる。

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    本書は、まずフーコーのニーチェ論を手掛かりにして、フーコーが「考古学」から「系譜学」にその考えを変移させてきた軌跡を見る。そしてその分析の結果として、権力の形が、君主権力から規律権力、生の権力にいたるまでいかに変化したと見るべきなのかについて解説する。

    その分析において重要なことは、「真理」が相対化されることだ。それが重要なのは、君主の権力から規律権力に移行するにあたって「真理」が非常に重要な役割を果たしているからだ。『監獄の誕生』において有名なパノプティコンが監視技術の例として出てくるが、重要なのは実際の監獄において採用されたそのシステム自体ではなく、それが近代の主体の形成において内面化されて自らを監視することになったことだ。それ以前は、「司牧の権力」とフーコーが呼ぶ西洋に特有な権力技術が、キリスト教教会での告白という技術でもって、人々の行動を監視していたのである。その仕組みを崩すこととなったルターらによる宗教改革がいかに重要な転換であったことがわかる。

    続いて、司牧権力から規律権力、生権力の成立において非理性を分割する精神医学が重要な役割をもっていたかを示す。この分析を通して、改めて『監獄の誕生』と『狂気の歴史』がフーコーの著作の中でも非常に重要なものであると理解できる。

    フーコーは、「司牧の技術の変貌を追跡しながら、近代の「政治的な理性の批判」という壮大な試みを実行」(P.108)してきた。「『監獄の誕生』を中心に、君主権力のうちから誕生してきた新しい権力が、人間の身体を監視し、規律し、統治しながら、いかにして「従順な身体」を作りだしていくかを再検討する」(P.293)ことが本書の主題でもある。

    こういった権力の形の変移を著者はドイツ、フランス、イギリスの近代国家史に沿って説明する。そこでは、カント、ルソー、ヒューム、ファーガソンなどの思想家の社会への影響が違った側面から語られることになる。

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    君主制による権力構造からキリスト教的権力構造に移行し、さらに自由主義と民主主義の時代になり、規律による権力の内面化が生じたのと同じ程度のインパクトの変化が、現在情報技術とネットの浸透により起こりつつあるといえないだろうか。著者も本書のあとがきにおいて「情報社会は同時にパノプティコン社会でもあるからだ。ブログやツイッターのようなツールを楽しみながらも、ぼくたちは自主的に監視のまなざしに自己の生活の細部を提供しているのである」(P.293)と書いている。

    これはTwitterの力でチュニジアでジャスミン革命が起って旧「権力」が打倒されたといったような皮相的な話をしているのではない。司牧権力が逆説的にもっとも征服心が強く傲慢で冷酷な文明を生んだように、自由の勃興とともにそれと意識することなく権力の内面化と規律システムの確立が行われたように、自由な情報化社会が逆説的にもっとも監視が強い社会となることもありうる。このことに対して意識的であるのか無意識的であるのかは大きな違いだ。

    こうして見ていくと、匿名の権力と機械仕掛けのシステムによって、従順なる「主体」が形成される政治理性の分析という主題こそが、フーコーの現代的意義であるように思う。途方もない変化のスピードの中で、我々の世代はネイティブにその違いを知覚することができる世代となりつつある。だからこそ、今フーコーが読み直されるべきときなのではないか。現在の情報化社会における権力の構造的課題についてより深い著者の思考の発展を教えてほしいと思う。

  •  かつて君主を名乗る身体は、犯罪者とされた身体に力をふるい、これを四つ裂きにしその肩に烙印を押した。あらゆる真理とあらゆる誤謬のむくいを生と死のうちに、力と弱さのうちに保持し、起源と由来が刻み込まれた身体を拷問のもとに語り継いだ欲望は、いつしか規律のもとに身体を捕獲し、精神を調教し、魂を試験し、逸脱に配慮し、自己の核心をうみはじめた。

    『だからあるディスクールは、それが真理であるかどうか、どのようにして真理となるか、という考古学の観点だけでなく、その排除あるいは受容という政治的な意味を問うことのできる系譜学の観点からも考察する必要があるのである。』14頁

  • 7/19 司牧的権力のみ

  • 2010年春学期輪読文献『ミシェル・フーコー講義集成〈7〉安全・領土・人口 (コレージュ・ド・フランス講義1977-78)』の参考図書として。後半で上文献に関する議論がなされているようです。

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著者プロフィール

思想家・翻訳家。一九四九年生まれ。東京大学教養学部中退。著書に『フーコー入門』(ちくま新書)、『フロイト入門』(筑摩選書)、『ハンナ・アレント <世界への愛>』(新曜社)、訳書にウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、同『世界宗教の経済倫理 比較宗教社会学の試み 序論・中間考察』、同『職業としての政治/職業としての学問』、マルクス『資本論 経済学批判 第1巻』Ⅰ~Ⅳ(以上、日経BPクラシックス)、ハイデガー『存在と時間 1~4』、カント『純粋理性批判 1~7』、フロイト『幻想の未来/文化への不満』、ニーチェ『善悪の彼岸』(以上、光文社古典新訳文庫)、アレント『責任と判断』(ちくま学芸文庫)など。

「2018年 『陸と海 世界史的な考察』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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