- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309247915
感想・レビュー・書評
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独特の文体で一遍上人の生涯を追う。フオオ、フオオオオオ!
一遍上人といえば踊念仏であり、市井の人に混じって念仏を説いて回った鎌倉時代のお坊さんである。日本史の教科書にも載るくらいの有名人であって名前と踊念仏くらいは覚えているが、生涯の詳細のことはあまりよく知らなかった。
鎌倉時代に限らず坊主というのは汚職と堕落にまみれていたし、仏教自体が国体に飲み込まれたり、生臭坊主の飯の種になったりしていた。血の穢れと称して女性への差別が強くなっていったのもちょうどこの頃である。
そんな時代に身分も貴賤も男女も関係なく念仏による救いを説いて廻ったのが一遍上人であって、差別の歴史を考える上でも実は重要な人物である。
本書の特色といえば冒頭触れたとおり帯でも触れられているとおり、独特の文体、口語混じりの勢いであろう。例えば13歳から25歳まで九州で仏門修行に出ていた一遍が呼び戻された後のくだりである。
「一遍は、十二年ぶりに故郷の道後にもどった。きっと、お兄さんも弟たちもよろこんでくれたことだろう。その後、ちょっとした屋敷をかまえて結婚もした。一遍もいい歳だ。そりゃあやることはまあきまっている。セックス、セックス、セックスだ。子どももうまれた。女の子。しかも、ひとりではない。どうも一遍には、もうひとり奥さんがいたらしく、そっちにも女の子がうまれている。いいね、煮ても焼いてもセックスだ」
別に一遍は生涯性豪だったわけではなく、後に再出家して旅に出てからは淫戒を守っている。ただまあ、本書全体がこういう雰囲気で進んでいく。ところどころに著者の感想が織り込まれてくる。いいね、とか、かっこよすぎる、とか、そういうのがちょいちょい入ってくる。好みの問題であろうが、授業というよりは講談のような勢いである。
一遍上人そのものでなく、著者が一遍上人をどう見ているか、が本書の主題であろう。著者のことはよく知らないが、この人がこんなにも愛してやまない一遍上人とはどういう人だろう、みたいな興味が湧く。人の心理とはそういうものだ。詳しく知りたかったら別の資料を追えばいい。巻末に大量の資料が掲載されている。膨大なバックボーンがそこにあるのだが、別に難しいことは考えなくていい、ただこの文体の流れに乗って踊ればいい。それが一遍上人の教えであろう。
あえて注文をつければ一遍上人に関する絵図は数多く残されているのだから、関連する絵図を掲載して欲しかった。権利とかいろいろあったのだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
一遍上人はおろか仏教すらまともに知らなかったが、面白くかつ分かりやすかった。はしがきの部分から面白い。コミカルでテンポが良く、所々ですくっと笑えた。漢字とひらがなの使い分けが独特で読みづらいところもあったが、何よりノリが軽くどんどん読めた。これだけ読むと、一遍てパリピなの?みたいな印象になってしまう程だが、そんな軽ノリで一遍や仏教に触れられて良かったと思う。とりあえず踊念仏がどんなものか気になって仕方ないのと、念仏を唱えたくなった。
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ひらがなの使い方など、文体が独特。
中身はおもしろかった。フオオオオ!
感動して泣いた。 -
「人」を語り継ぐことは
なかなか難しい
ややもすれば、無条件の礼賛になってしまって
そりゃ、いい人なんだろうけれど…
となってしまって
あなたはそう思ったのだろうけれど…
になってしまいがちである
ところが
栗原康さんが語れば
いや、これが面白いのなんの
良いことも、だめなことも
なにもかもみんなひっくるめて
そりゃあ、次に伝えたい
この人
だろうね
になっていく
一遍上人の
姿、形、人となり
息遣いまで届いてきそうです -
作者の想像でうまく補完しながら軽妙に読ませる一遍上人の一生。太くてまっすぐで、現代に苦しむ自分にも響くものがある。あとがきまで含めての作品。
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全力で踊って遊んでいたいな、子供のように
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寺山修司みたいな自暴自棄の香りがする
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宗教
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勢いがあった。めんどくさいものを捨てたくなった。
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踊り念仏一遍上人伝。であることは間違いないのだが、何だこれは。巻頭から始まる劇画調超破壊的口語垂れ流し文体攻撃。まえがきだからだろうと読んでいたら、なんと本文全編がこの調子なのだから恐れ入る。終始だらだらと同じ調子の繰り返し。牛のよだれで顔を洗っているような気色悪さ。世の中は広いからパンクだかロックだかポップだか知らんがこういう軽いノリの読み物を求める人もいるのはわかるし、それが悪いとはいわないが、真面目に一遍の生涯が読みたいと思う人は近づかないのが身のためだ。時間の無駄。