- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309276588
感想・レビュー・書評
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人類が挑むフルマラソン2時間の壁。なぜアフリカ勢は強いのか?偉大な選手たちの家庭環境と練習環境は?高騰する賞金、ドーピング問題まで、マラソン競技の過去をたどり最前線まで丹念に取材した傑作。(帯)
めっちゃ面白い。
主に取り上げられているジョフリー・ムタイ選手の経歴だけでもすこぶる読ませるけれど、彼に至る東アフリカ選手、そしてマラソンという競技の歴史も記されており、自然とマラソン史を吸収できる。
読み終わった後、マラソンを見る、もしくは実際に自身で走りたくなってくる一冊だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
近年、アディダスやナイキといったスポーツメーカー、そして研究機関等がマラソンの2時間切りを現実のものとするべく、"サブ2"をテーマに据えたプロジェクトへの取り組みを始めていると、しばしば見聞するようになった。
本書はそういった動きに焦点を当て、多角度から論じているものなのかな…、と思いつつページを開いたが、もちろんそういった箇所もあるものの、大半はマラソンのこれまでの歴史の振り返りであったり、主として取材しているジョフリー・ムタイを始めとするトップランナーたちの等身大の姿であったりといった内容。
肩を透かされた思いはちょっとだけあるが、でもケニアやエチオピアのエリートたちが生み出されていく過程の真実や、テレビで観ているだけでは決して分からないレース中および前後の駆け引きややり取り等の描写は非常に読み応えがある。
特に所属チームに付随する事情やペースメーカーを巡る交渉等で描かれる、金銭にまつわるあれこれはやはり生々しく、ここまで書いていいんだろうか、と少し思ったり。
東アフリカのトップ選手たちは、生まれながらにして遺伝子や環境に与えられた天賦の才のみに拠ってあれだけのポジションにいるんじゃないか、彼らがもっと緻密なトレーニングに取り組んで限界まで努力をすればさらにタイムは短縮できるんじゃないか、なんて私は無根拠にこれまで考えていたような気がするが、もちろんそんな馬鹿なことは実際にはなくて、彼らは既に高度な科学に基づいて組み上げられたトレーニングプランに則って厳しい練習メニューをこなし、また幼少期からのハングリーさも影響していると言える、いわゆる根性も十二分に備えており、精神的にも追い込むシヴィアな毎日を送っているのだ、ということがよく分かった。
ステージはどこであれ、生活の中にランニングの習慣を取り入れている人にとっては一読の価値があると思う。
果たして生きているうちにサブ2を見ることはできるのか?
構成面では、時系列も登場人物も行ったり来たりするところが多々あって若干読み難いと感じたので、もう少し工夫する余地があったのかもしれない。 -
オリンピックイヤーである。多くの熱戦が繰り広げられる日も近い。
本書は、陸上長距離の花形、マラソンの歴史とこの先の展望を紹介する読み物である。
主に、男子マラソン、さらにはケニア人選手に焦点が当てられている。
マラソンはかなり特殊な競技である。相当な長距離を走らなければならず、ペース配分が重要だ。トップ選手であっても、1回のシーズンで何度も試合で走ることは不可能である。タイムは、コースの地形や気象条件、ペースメーカー(「ラビット」)の存在、ともに走る相手との駆け引きによって大きく左右される。
近年、世界中で多くの大会が催されるほどマラソン人気は高く、市民ランナーも増えてきている。一方、トップ選手となると、特に男子は東アフリカ勢の独壇場だ。タイムの上でも、順位の上でも、他の地域の選手はなかなか食い込めない状況になっている。
市民ランナーは参加費を払って大会に出場する。大会側はそうして集めた資金で、有名選手を大会に招待する。シューズ・メーカーなどのスポンサー企業もトップ選手を経済的に支えているが、もっと大きな収入源は多くの市民ランナーなのだ。
ある意味、ランナーのタイプは二極化が進んでいるとも言える。つまり、走ることを楽しみとする層と、足で大金を稼ぐ層だ。
そんな中、多くの人が注目するのは、本書のタイトルにもあるが「2時間」の壁を超えることができるかどうかだ。
ヒトはどれほどの速さでフルマラソンを走りきることが可能なのだろうか?
「マラソン」の名称は古代ギリシャのマラトンの戦いで、伝令がアテネに走り勝利を伝えて事切れた故事に由来するという。だがこの話はさほど根拠があるものではない。2世紀頃に記されたきり、さほど注目されていなかった(そしてさほど根拠がない)言い伝えは、19世紀の詩人ロバート・ブラウニングが詩にしたことで再び日の目を見た。情熱的な詩の物語性に目を付けた第1回近代オリンピックの主催者が、マラソンを競技として採用した。
実のところ、42.195キロという距離も、マラトンからアテネへの距離ではない。近代の揺籃期のマラソンは、25マイル(40.23キロ)が標準であった。26マイル385ヤード(42.195キロ)という珍妙な距離となったのは、1908年のロンドン・オリンピックの際、スタートとゴールを王室の人々が観戦しやすいように恣意的に引き延ばされたためである。
マラソンの距離は、そんなわけで、偶然の産物であるが、「2時間」はこの距離をヒトが走りきる限界として、実に格好の数値設定となった。
ヒトが2時間でフルマラソンを走れるか。
支持派、反対派の双方がいる。ある研究者によれば、「理論的には」1時間57分58秒で走行可能だという。乳酸性作業閾値、最大酸素摂取量、肺容量といった数値が「理想的」な場合、「理想的な」気象条件の中であれば、このタイムで完走できると試算したのだ。
だが、考察された条件が、十分であるのか、適当であるのかに関しては、コンセンサスが得られているわけではない。2時間を切ることなどあり得ないとする悲観論者も少なくない。2時間を切る選手が出れば、一気に結論が出るが、そうでない場合、それが人間の限界なのか、それとも何らかの条件が整っていないだけなのか、判断に困ることになる。
スポーツの世界では、こんなゴールには到底到達できないだろうという壁が、次々と越えられてきた。「より高く、より強く、より速く」。しかし、それは一体、どこまで可能なのだろう。
42.195キロという距離を、出来る限り短時間で走るためには何が必要なのか。
それには、ケニアを初めとする東アフリカの選手はなぜ強いかを知ることが手がかりとなる。だが、実は「何」が彼らの強さの秘密なのか、完全には解明されていない。彼らは体格もさまざまだし、トレーニングを始めた時期もまちまちだ。民族間の行き来もそれなりにあるため、遺伝的にもさほど均一な集団なわけではない。しかし、集団として速い部族は確かに存在する。
先天的な要因以外にも、後天的な要因があるかもしれない。そのうちのどれが「理想的」なマラソン選手を作るのか。
シューズが買えないために裸足で訓練してきたことか。細い体躯を覆う、筒のような筋肉を持つことか。坂道の多い不利な練習場で練習していることか。あるいは、これらの国々ではよくあるように、抑圧的な父の元で虐げられるなど、家庭状況から来るハングリー精神か。
他のスポーツ同様、マラソンにも複雑な要素が絡み合う。
アスリートの身体だけではない。シューズやトラックの材質でもタイムは変わりうる。
もう1つ、近年、大きくなっているのはドーピングの問題だ。
実際のところ、現在の2時間3分台という記録でさえ、ドーピングなしに達成することは不可能なのではないかと疑問視する研究者もいる(つまり多くの選手がすでに「汚れている」のではないかということだ)。
悲しいことではあるが、カネが絡む以上、いつだって「汚い」「ずるい」手を使うものは現れる。東アフリカ勢の場合、「ドーピング」の意味をよく理解せず、「疲れが取れる」クスリだからと、怪しげな医者に怪しげなものを投与される選手もいるようで、事態はさらに複雑である。
本書は、マラソンへの興味、トップ選手への畏敬の念をたたえつつ、冷静に読みやすくまとめられている。
マラソンという競技を知る読み物としては格好の1冊だろう。 -
マラソン中継を見たくなる,という朝日の書評そのままの感想を抱く本だった。ほんと,見てみたくなる。増田明美の開設も以外と良かった。
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スポーツの記録は破られるためにあるが、人間の肉体には限界があるのだから、記録にも限界はあるのだろう。世界記録が更新され続けるマラソンにも限界はあるのか。人間は42.195kmを2時間で走ることはできるのか。本書はその可能性を追求する。
現在のマラソン界を引っ張るのはケニアなどのアフリカ勢だ。幼いころより、交通機関がなく、酸素の薄い高地で育った彼らが走力を身につけることは自然なことだが、それだけで説明できることだろうか。また、ランナーはレース前に何を考え、レース中にどんな駆け引きをしているのか。優れたランナーはどんな報奨を得るのか。
こうしたマラソンの文化、歴史を紹介しつつ、ケニア人の国際的ランナー、ジョフリー・ムタイの生き様を追ったノンフィクション。
現在では100m走で10秒を切るのは当たり前。となれば、マラソンでも2時間を切るのは当たり前という時代が来るのだろうか。 -
2011年ボストンマラソンで圧倒的な未公認(コースの高低差による)世界記録2時間3分2秒を出したジョフリー・ムタイを中心に、サブ2に近づきつつあるい現在の男子マラソン業界を過去の歴史を交えて俯瞰する。他の作品と違うのは、今のトップ選手キメット、キプサング、マカウあるいはゲブレシラシエなどにも密着して、彼らの生い立ち、練習環境あるいは東アフリカのドーピング状況(ロードバイクと比べ非常に初歩的)にも入り込んでいる点がある。1kmダッシュ20本を未整地でグループを作って行う。リーダーが遠征で稼ぎつつ仲間及び自分の一族も養っていくそのようなバックグラウンドで、多数の世界記録保持者がケニヤ特にカレンジン族の中で育成選抜(西洋のトレーナーなどに)されていく。細長い足など遺伝的な要素もあるかもしれないが環境の要素も大きいと思われる。また、その中で金や酒に溺れるものも出てきたり、いろんな争いに巻き込まれるケースも多々ある。ムタイ自体はボストンマラソンをピークに次のベルリンで優勝するも世界記録は出せず、ピークアウトしてしまった不運のランナーと言えるかもしれない(16/3現在現役)。