定本 夜戦と永遠 下---フーコー・ラカン・ルジャンドル (河出文庫)
- 河出書房新社 (2011年6月4日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (495ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309410883
感想・レビュー・書評
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筆者の饒舌ぶりは美麗さなど伴ってはいないし、むしろ自身の論理の欠陥を補うアップリケのように思われる。その最たるものが、執拗に繰り返される倒置であり、時にページの半分にも及ぶ傍点であろう。筆者は論理で読ませるのではなく、まるで目の前に語るときに、大切なところを大きな声で汗ばみながら必死な形相で語るのと似たことを、文体の中でやっている。それをどう評するかは人によって分かれるだろうが、個人的には余裕を演じる必死さや論理を覆い隠す情動には、冷やかな視線を向けることしかできない。
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痛快。面白かった。理解度や把握度は低いがその文から、文と文から、文と文と文から、立ち上る香りをめいっぱい吸い込んだ。
ラカンが、ルジャンドルが、そしてフーコーが何を言っているかを概説しつつ、彼らから何を読み取るべきかをその特有の太い文体でもって論じている。この3名を引くことでその論旨はより堅固で強靭なものとなる。糸と糸と糸を編み上げるとこのような書物になる。言うまでも無いが、3名以外も登場する。
「Aさんがこう言っていました。Bさんはこう言いました。Cさんはこう言い、そしてDさんはこんな風に言いました」
しかしながら、「つまり」と「しかし」の連続に頭が付いていかなかった箇所も多い。私の読解力の貧弱さゆえか、彼ら(特にフーコー)の理路の遠大さなのか。その文脈は濁流によく似た清流であり、高透過度を維持しつつも濃厚系である。その文圧にその都度たじろいだ。
思想家、哲学者は目に見える、事実とされているものそれぞれを具に確認し、それらの「あいだ」にある目に見えないモノ・概念について語る。語ろうとする。
そしてそれらにはまた「あいだ」が生じ、また次の概念が生まれる。その存在の有無も分からないままに、あるいは在ることを仮前提してその諸概念について論考を進める。こういう営為が永遠に続くのだろうと思えてくる。構造的に結論は出ないことになっている。関係性はあるにせよ。
精神分析、心理学と哲学のその双方のスタンスと距離感についても自分としては発見と収穫があった。
それにしても法、政治、統治、性と生、書くこと、読むこと…その対象領域の広大さが何とも果てしなく眩暈がするほどであった。
筆者は「何も変わらない」と連呼している。このことの真意を噛み締めたいところ。 -
革命の蠢き
「切り取れ、あの祈る手を」の理路をより丁寧に辿っていくことができる著作
ルジャンドルとフーコーの対立の底にある奇妙なまでの協奏を描き出し、超歴史的なものへの反抗の超歴史性が浮かび上がってくる
ルジャンドルについて体系的な記述を読めたのがはじめてだったので、それが極めて興味深かった。
フーコーの理路を辿る著述も明快で正確。フーコー入門としてこれ以上のものもないのではないか。
読んで狂わずにいることなどできない。
人生が変わる著作である。 -
ミシェル・フーコー、生存の美学の此岸で◆この執拗な犬ども
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貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784309410883 -
主にフーコーを追う。監獄の誕生から始まって、王権・規律権力・生権力。その後のセキュリティから統治性へ。リベラリズムも司牧権力の枠組みに押さえ、ルジャンドルと重ね合わせる。
自己への配慮、生存の美学はあまりかわず、むしろ霊性の議論を拾い、精神分析を改めて接合する。そして、最終的に改めてフーコーの枠組みを用い、ダイアグラムへ、モンタージュへ。ドゥルーズ=ガタリのアンスクリプションへ。外部としての<夜>へ。
終盤の論理構成がよく分からなかったのでそのうち読みなおしてもいいかもしれないが、いかんせん文体がきつい。早く他の本を読みたい。 -
読み終わってしまった。なんと素晴らしい本だろう。私たちを規定するダイアグラムを、言表と可視性との強引な接着を、根拠律を、ドグマを、統治性を、それらを操る司牧権力を……つまり僕の敵を明らかにしてくれた。それらが全く動かしうるものであることを教えてくれ、それとの闘いのゴングを鳴らしてくれた。つまり、女性の享楽、執拗な犬、新しいダイアグラム、ダンス、神秘主義……それらがあることを教えてくれ、それらのほうへいざなってくれた。
よろしい。僕は既にこの社会からあぶれつつあるエリートである。残念ながら。既存の統治性規律権力の走狗だったらどんなに楽であったことか。しかし、もうよい。僕は大手を振って出ていこう。服を脱ぎ捨て、犬になろう。憐れみの眼差しに刺されつつ、この醜き走狗どもを睨み返してやろう。そして吐こう、スキャンダラスな真実を。別の生を。
僕はこの本に出会えて幸せだった。なぜなら、この本は全てを語っており、まだ何も語っていないからだ。 -
DJだね。特に文庫で下巻にあたる、フーコーの文章を次々とつないで彼の思考の遍歴を浮かび上がらせていく流れにシビれた。DJ的なモノは原則褒めないんだけど、これはイイです。
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フーコーもラカンもルジャンドルも全くどのような思想か知りませんでした。(フーコー、ラカンはちょっと本を読んだことがあったかもしれませんが、「どっからどう考えたらそういう風に考えられるのか」と思うほど意味が分からないまま終わりました。)が、この本でこれらの人が言いたかったのはこういうことだったのかということがやっとわかりました(表面だけかもしれませんが)。著者の説明は本当に感謝です。大きな意味を述べた後に小さな言葉を何度も言い換えたり、なぞったり意味する所の輪郭を細かな所までリズム良く掘り出してくれるところは凄さを感じます。上下巻と長いですが、内容はぎっしり詰まっています。