憤死 (河出文庫 わ 1-4)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (185ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309413549

感想・レビュー・書評

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  • この作品の特長は、主人公はみんなおとなで、そのおとな達が子ども時代を回想しているという点にある。

    表題作「憤死」
    「佳穂は金持ちの子で、自慢しいで、子どものくせに選民意識が強く、容姿は魅力にとぼしく、女版の太ったスネ夫といってよかった」
    この軽やかな、爽やかな、毒。
    誰しもが持っているであろうその毒を、サラリと描いてしまう。心の中にある自分の毒を、いとも簡単に取り出してしまうような。そんな軽やかさがあった。
    「憤死」というそのタイトルは、その毒よりも強い印象があって、その毒をも突き刺してしまう針のような、強さがある。でも、その針は痛みというより、痛快だ。

    そしてこう続く。
    「しかし表向きは遠慮深く、おとなしかったので、クラスに一人はいる、伏字が似合うほどの変わり者ではなかった」

    わたしが最近、女性作家さんに対して思うのは、スクールカーストを具体的に表現するのが非常に巧いということだ。読者にはそれぞれのクラスメイトがいたにも関わらず、特に容姿を、的確な言葉で印象づけ、それを表現できる。わたしはもしそれを表現しようとすると、失礼なんじゃないか、怒らせてしまうんじゃないか、とかいろんなことが頭を巡って、うまく表現ができなくなってしまう。

    先日、テレビで嵐の大野くんが「ある程度人から見られることを想定して絵を描くようになる。それは仕方ない。来年少し時間をもらえるから、自分が描きたいものに向き合いたい」的なことを言ってて、わたしはここでレビュー載せているだけだけれど、それに大きく頷いてしまったんだ。
    自分が描きたいものを書こうとすると、それを目にした時に相手がどう思うかを考えてしまってうまく表現ができない。でも、もっと鋭い言葉で伝えたいことは、訴えたいことはたくさんある。
    だけどどうしても人の目を気にしたり、かっこつけちゃったり。とにかく、ありのままをありのままに表現したいのだ。

    この感覚を大切にしたいと思い立ち、ずっとやりたかったエッセイを、ひそやかに始めてみた。難しいけれど、そこでは、忖度をせずに、鋭い言葉で表現することを大切にしている。

    収録作「トイレの懺悔室」では、少しだけ変わった、でもありがちな学童期の体験から、いつの間にか恐ろしい世界に迷い込み、呑み込まれていく様子が描かれている。懺悔という言葉が持つ、自分の中から罪を引き出させようとする感覚と、トイレという、日常的でひとりぼっちで、解放的になるその空間。
    誰にも邪魔されないその空間と瞬間は、時に自分自身の嫌な過去と向き合うことになったり、時に自分の味方になってくれたり。人に囲まれてストレスを感じる人にとっては、その空間と瞬間は、唯一自分を解き放ち、安心できる場なのかもしれない。
    しかし、その空間が懺悔と結びついていると、トイレという場所に対しての罪悪感を彷彿とさせる。つまり、人に見られてはいけないものを、見られた時の恥ずかしさも同時に表現している。
    今書き始めたエッセイでは、まさにこの、トイレのような日常的な場所でひらめいたり思い立ったり、ひとりごちたりするような内容を書いている。それで忖度をしないもんだから、ほんと、もう、トイレ覗かれてるような、そんな感覚ですわ。

    わたしの背中を押してくれた、きっかけをくれた、大切な一冊になりました。

  • 『激怒したからと言って、人は死ねるのだろうか。怒ったとたん、血管が切れるか心臓が止まるかして、急死するのだろうか』
    …『憤死とはどのような死に方だろう』

    悔しかったですよね、無念でしたよね。ミチザネさんのお気持ちはどんなに長い時間が経ってもみんな知ってますよ。でもね、ミチザネさんが無念の死を遂げられて1100年の年月が流れても、カイシャという組織の中では未だミチザネさんが巻き込まれたのと同じようなことが繰り返されているんですよ。
    …数年前に訪れた太宰府天満宮。身内に入試祈願が必要な人がいなかったこともあって、御本殿の前で学問とは何ら関係のないそんなことを考えながらお参りをしている私がそこにいました。

    『憤死とはどのような死に方だろう』と考えを巡らせる主人公。『晩年に敗戦や家臣の裏切りなど不遇の目に遭い、そのまま巻き返せずに、世を恨みながら死んで』いくことをいうのだろうか、菅原道真のように…と考える主人公。そして『だれが見ても悔しくて失意のうちに死んでいった人物を、憤死扱いにするらしい』、と考えるもののどうしても納得のできる答えにはなかなか行き当たりません。そんな中、主人公の身近に、とても身近に起こったある出来事をきっかけに『憤死』とは何かという納得の結論に至るその結末。そう、〈憤死〉という、この短編を含む4編から構成されるこの作品は綿矢さんの芥川賞受賞十年後に出された短編集です。

    長いもの、短いもの、長短が極端な4編の作品から構成されているこの短編集。どの短編も甲乙つけがたい不思議な魅力をまとっています。特に長い2編はホラー小説っぽい雰囲気が漂うこと、そして書名の「憤死」という響きからも、作品自体とても暗いものという印象を受けますが、読後は人生の奥深さを感じる豊潤な余韻が残ります。

    まずは、〈トイレの懺悔〉という作品ですが、
    こ・れ・は、こ・わ・い
    です。結末に向かってどんどん背筋がひんやりしていくのを感じる恐怖の読書。そんなこの短編は主人公視点で展開していきます。『小学生のころの夏休みの思い出といえば、やっぱりあれだな、地蔵盆』という主人公。『小学校六年生の地蔵盆の思い出は奇妙だ』というその日。『おまえらこんなとこで遊んでないで、数珠廻しに参加しろ』と親父に声をかけられます。『親父といっても公園の近所に住んでいる赤の他人、妙な男だった。いつも昼間から酒臭くて、険しい目は赤くゆがみ、煙草の臭いが服にしみついてた』というその人物を『おれは好きだった』という主人公。数珠廻しが終わったあと『おまえら、年はいくつになった』と親父に問いかけられる主人公たちは、11歳、12歳と答えます。それに対して『よし。じゃあそろそろ、洗礼の時期だな』という親父。『ちんこの皮をむくんだろ』と冗談を返すも『情けねえ奴らだな、洗礼も知らないとは』。そんな親父は主人公たちを自宅に招きます。『みすぼらしい家の並ぶエリアだった。踏むと割れた音の鳴るトタンの橋を渡り、親父が鍵を開けた家に入る』主人公たち。そして、今度は『おまえらは懺悔を知っているか。犯した罪を告白して神に赦しを乞う、キリスト教の儀式だ』と言い出す親父。『トイレの壁際にある椅子に来い。おれはトイレのなかに入り、顔を直接見ずに開けた窓から聞こえてくる声を聞く』、それが懺悔だという親父。『正直に話せば神様はおまえたちが大人になるまえに、その罪を全部赦してくれる』という親父。『罪を話すってどういうことなんだろう』と思いつつも『多分これが罪って言うんだろうなという事柄』がすぐに思いついて息苦しくなる主人公。そして、そんな主人公の順番がやってきた…と展開していきますが、冒頭の『地蔵盆』を取り上げるどこかノスタルジックささえ感じる描写が、後半になって、一気に緊迫感を帯びていきます。『懺悔』という日本人には少し縁遠い響きのこの言葉。しかし、これを『相談』と置き換えれば一気に身近なものになります。『懺悔』の場も『相談』の場も基本的には一対一。そしてその『相談』の場を『普通、悩み相談は!相談される側が得をする』というまったく想像もできなかった考え方が、ある人物によって唐突に提起される後半。私には『洗脳(この言葉は出てきません)』という言葉がふっと浮かび上がるとともに、ゾクッとするまさかの結末への展開にとても恐怖を感じました。
    こ・れ・は、こ・わ・い。

    そして、最後の〈人生ゲーム〉。これは、最近はやる人も少なくなってきたかもしれませんが、ある世代より上の方はその大半が子供時代に必ず遊ばれたはずのあのゲームが鍵を握る作品です。『人生はゲームみたいなものなのさ、どれだけシンケンに生きても、結局は運しだい。ゲームと変わらないほどにばかばかしいのさ』、と語るのはこの作品の鍵を握る謎の『人物?』。人は長く生きれば生きるほどに、このある意味での『結局は運しだい』を感じるのではないでしょうか。『本物の人生はリフジンだらけで、どれだけ真面目にやっても、叶わない願いがあれば、どうでもいいと思ってちゃらちゃらやっていたのに、意外と良い結果に終わることもある』という、もう誰もが日々感じるこの『人生』というものの捉えようのなさ。そんな『人生』をゲームにしてしまった『人生ゲーム』。『このゲームは早くゴールについた人間ではなく、誰よりも多く金を稼げたプレイヤーが勝ちだ』というそのルール=人生の結果論から私たちが思うこと、考えること、そして学ぶこと。この作品もある種のホラー小説と感じる方もいるかもしれませんが、私にはどちらかというと大河小説を読んだかのような充実した印象の読後感を迎えました。そして、一見繋がりのない4つの短編をなんだかこの作品が全て包み込んで、一つの作品として感じられるような、そんな奥深さも感じました。

    綿矢さんの短編集は初めてでしたが、短編集にありがちな無理筋の展開やそれによる消化不良はまったくなく、また、それぞれの短編は、まったく別の場で発表されたものであるにもかかわらず、〈人生ゲーム〉という最後の作品が存在することで、本全体としてひとつのまとまり感があるようにも感じられました。

    なんだか短い時間の中でいろんなことを考えさせてくれた作品。人生ってそうだね、そうだよね、そんなものかもしれない、という思いに包まれた読後感。「憤死」。書名自体にはギョッ!とさせられますが、とても印象深く、そして読み応えのある逸品でした。

  • 綿矢さん初読み。裏表紙の解説を見てしまったので世にも奇妙な物語的な話だと知って読んだので驚きは少ない。子供時代の出来事が大人になった主人公達の人生に影を落とす。表題作「憤死」は意外にも爽やかな着地。一番衝撃な「おとな」は実話?

  • ブクログさんのレビューをみて、断然、興味をそそられて、読んだ本。

    綿矢りさ 著 「憤死」
    タイトルは憤死だが、4つの短編小説
    その短編集のどれもが面白い、そして、怖い。
    着眼点の鋭さ、嫌味かユーモアか判断つかないような…しかし、類稀な才能を感じる。

    なんとも短い”おとな”という話しから始まり…
    いきなり、ゾワッ。「ねえ、おぼえていますよ。」のこの物語の始まりの恐怖を感じ、
    2編目の“トイレの懺悔室”は本当に怖い!
    しかし、この物語の おれの地蔵盆の思い出話から始まるのだが、最後は思い出なのか現在のおれなのか?何者?不気味な様相を呈しながら、
    読み続けざるを得ないような恐怖の行方を追わずにいられない感覚 
    不気味を超え気持ち悪さが残る衝撃的なラストで終わる。

    3編目は”憤死”
    何という捉え方だろう 小中学校時代の女友達が、自殺未遂をして入院していると聞いて、興味本位で見舞いに行くことにした なんて始まって また、全然違う観点から切り込み始まる

    この物語にも興味を持たずにいられない「どんな性格なの〜?」と何だか嫌な感じの女性だなぁと思いながら、読み続けると、またもっと…いゃ、もっと違う嫌な女性現るって感じ。
    しかも、その女友達を「女版の太ったスネ夫」と表現に、思わず吹き出した(笑)
    この作者の感性、只者じゃないなって確信させられる一撃!しかしながら、ひねくれた不快な感じの女友達の話しをラストには嫌味な部分を残しつつ、小気味良い、爽快さも残し締めくくっている。

    4編目の”人生ゲーム”って…
    兄きを持つ者に憧れを抱く子供時代の可愛い感じから始まり 暗い影を残す大人になるまでの人生の岐路を描いている
    ゲームが怖いのか?人間が怖いのか?ゲームに似た人生を歩む危うさと、やはり怖い感覚のまま、ラストは、寂しいような和むような、少し泣きそうな感覚になった。
    それにしても、すごい作家だったんだね〜と、改めて感じた。

    2003年頃かな〜?
    金原ひとみ「蛇にピアス」(集英社刊)、綿矢りさ「蹴りたい背中」(河出書房新社刊)が、第130回芥川賞を受賞。金原20歳、綿矢19歳の最年少受賞で話題となった。
    「蹴りたい背中」は、村上龍「限りなく透明に近いブルー」以来、芥川賞受賞作として28年ぶりに100万部を突破。
    「蛇にピアス」も50万部のベストセラーとなった。という記事が出ていた。
    あの頃、金原さんの「蛇にピアス」は読んだ気がする 痛い話しだ 心身ともに…。
    「蹴りたい背中」は読んだような読んでなかったような…。
    しかし、受賞の若い2人に驚いた感覚は残っている しかも、綿矢さんに至っては19歳の最年少受賞だよ(まだ、最年少記録は破られてないらしい)

    綿矢さんの芥川受賞作品を読んだかどうか覚えていないのは、この頃の自分は海外小説(特にミステリー)の好きな作家ばかりに耽っていた時期だったからだ。
    その前には日本の人気作家の本を読んでいたのだが、とにかく、この時期は人気で有名な海外小説の作家の書いた小説を読み漁ってハマっており、日本の小説家の本は読んでいない、読む時間もない時期だったったくらい…。
    だから、今は新鮮な気持ちで、改めて才能ある日本の作家さんの本を(とっくに出版されていたもの)を新刊のような気持ちで読んでいる訳なのだが…こんなに沢山の新進気鋭な作家さんの作品に驚き、なんて才能を感じる事だろうか?

    今後も、綿矢りささん始め、色んな日本の作家さんの作品を堪能したいものだと思います。

  • 3篇(+1)からなる短編集。昔のアメリカのテレビ番組「トワイライトゾーン」を思い浮かべたが、どの話もそれよりもっと繊細なニュアンスの不思議さが漂っていて面白かった。

  • 綿矢りさってこういうのも書けるんだあ!って新発見。
    世にも奇妙な物語にありそう。
    人生ゲームが1番好きかな。

  • 可愛らしい装丁に似合わぬタイトル。
    思わず、書店で手にとってしまった。
    これで、タイトルが明朝体だったりすると
    印象も違うのだろう。
    似合わぬのは内容も。
    この装丁ゆえに中身の気持ち悪さが際立ち、
    ドロリと読み手に纏わりつく。
    怖くて面白くて、目が離せなくなる。

  • 不思議な世界観に引き込まれました。

    “おとな”
    これを読んで、これからゾッとするような話が始まるのかな?と身構えました。
    “トイレの懺悔室”
    “憤死”
    “人生ゲーム”
    短編集だけど読み応えのある、人間の本質が見えるような物語でした。

  • 文庫カバーのかわいさとは裏腹に、こわい物語の短編集である。

    人間のもつ悪意や残酷さは無邪気で、救いがたい。

    表題作『憤死』、『トイレの懺悔室』なんかはまさに無邪気で残酷な物語と言える。

    どの物語も、語り手は奇妙なほどに自己を客体化している。

    語り手の行き様は空虚と言ってもいいだろう。

    その空虚な語り手の人生に、悪意のある者、唾棄すべき俗物や変質者、妖怪然とした主体が関わる。

    そこに、こわい話しがうまれる。

    短編集として完成度が高いのは『人生ゲーム』という救いのあるこわい話しが最後に収録されていることかもしれない。

    P.165『人生とは不思議なものだ。一生懸命働いているのに、なぜか充実感より、空虚さの方が強い時がある。また、反対に、失敗続きで、貧乏で、明日がまったく見えないのに、空虚さは感じず、自分の生を強烈に感じて充実している時もある。みんなと笑いあって、一人で泣いて。』

  • 人生ゲームに出てくるイケメンの兄ちゃん、私の前にも現れないかなあ。たあんと話聞いてほしいのに。

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著者プロフィール

小説家

「2023年 『ベスト・エッセイ2023』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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