夏みかん酢つぱしいまさら純潔など (河出文庫 す 15-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309416908

感想・レビュー・書評

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  • Amazonのお勧めに出てきて、鈴木しづ子という名をその時に初めて知った。
    そのタイトルに一瞬で胸をつかまれた。
    と思ったけど、違った。
    本当はそれよりも先に、顔だった。
    凛々しくて、聡明な感じで、気が強そうなんだけど爽やかな色気があった。
    白黒写真から時代を感じたけど、スカーフをカチューシャのように巻いた姿はモダンで、多分濃いめの口紅。
    文庫の帯には「娼婦と呼ばれた」なんて書かれていたけど、その人は媚びるように笑ったりしていなかったし、かといって不機嫌そうでもなく、きちんと自分に責任を持って生きてきた人の眼差しだと思った。
    …までを、数秒で感じた。いや、ホントに 笑

    「夏みかん酸っぱしいまさら純潔など」というタイトルになった句も素晴らしい。
    これ、ある程度年齢と恋愛を重ねた女性でないと詠めない句だと思った。
    レモンでは酸っぱ過ぎるし、爽やか過ぎて、青臭さが過ぎる。
    同様に、まぁ有り得ないけど、ミカンではぼんやり甘いだけで、年配に寄り過ぎてて、家庭の匂いがし過ぎだ。
    甘酸っぱい想いに揺らぎそうな自分を、瞬時に「いまさら純潔など」と笑って切り捨てて現実を見る、そんな印象を受けた。
    だから酸味が強めの甘さは「夏みかん」じゃなきゃダメだ。

    こんなに語っておいて、まだ表紙の段階 笑

    本書は、長らく鈴木しづ子の師であった松村巨湫、評論家の古谷綱武による紹介文を含めた、彼女の句集「春雷」「指環」の全2集が楽しめる。
    さらに、ノンフィクション作家である川村蘭太の情熱的な「鈴木しづ子追跡」と、それにより入手した未収録俳句が収められている。
    容量もたっぷりだが、その執念の追跡は内容が濃くて、最後までとても面白い。
    しず子は師である松村氏に約七千もの句を送っていたというから驚きだ。
    なんだか彼女にとっての俳句は、「詠む」というより「生きる術」のように感じる。

    俳句は季語という決まりもある中で、季節の移ろいや感情をたった17文字にのせる。
    私には俳句の知識は殆どないが、それを鑑賞することに魅力は感じる。
    文字数が少ない為か、趣きまでも取り込んだ独特の漢字や言葉を使うので、調べながらでないと読めないし掴めないのだが、それもまた楽しい。
    幾つか紹介したい。

    『春浅みややまどかなる宵の月』

    「春浅し」と通常使うらしく、春の季語だ。
    梅の花などは開き始めても、まだ風は冷たい。そんな様子を表すらしい。
    「ややまどか」とはやや円かで、やや丸い。
    円かそのものの意味も相俟って、穏やかで、春の柔らかな空気も感じるような気がする。
    「宵の月」宵とは、まだ日も暮れて間もない頃を言う。
    そんな空に、丸みを帯びた月がすっと浮かんでいる。

    『昃る梅おもひすべなく梳(くしけず)る』

    「昃る」が読めなかったが、「昃」は訓読みで「かたむ(く)」とか「ひるす(ぎ)」と読むらしい。「かたむる梅」と読むのかな?
    「梅」は春の季語だ。
    「思い術無く」なす術もないとは言うけど、思いが術無いとは?
    どう思えばいいのかさえ分からぬ程に苦しい心持ちなのだろうか。
    「梳る」は髪を櫛でとかすこと。私には、少し頭を傾けて髪を梳かしている様子が浮かんだ。
    例えば長い髪の右側を梳かす時は、右に少し首を傾けますよね。
    枝垂れ梅だろうか、それとも枝が斜め下に伸びているのか…その梅の傾きと、髪を梳かす自分の傾きを重ねているのかな。
    苦しい胸の内に気を取られながら、ぼんやりと髪を梳かしている姿。

    『船距つ投げて散らさむ落花の葩』

    「距つ」これは「へだつ」と読む。
    「落花」「らっか」は、花が散って落ちること、またはその花びらを意味する。(桜を意味して春の季語でもあるらしい)
    「葩」は難しい字ですが「はな」「はなびら」と読む。
    この句は、麻薬に蝕まれて戦地より帰還した恋人ケリーが、しず子の看護もむなしく母国アメリカに帰国する際に詠まれたようだ。
    横浜から船で帰国の途につくのに、しず子も見送りに出向いたらしい。
    海面に散った花弁が浮かび、船上のケリーと自分とを隔てている。
    散ってしまったものは元には返らず、別れを決定づけている。
    「落花の葩」という表現に、その華麗ささえ感じてしまうが、しず子の気の強さの表れか?もしくは強がりか?
    水面の花弁は波に揺蕩って、行く末の不安な気持ちも表現されているような気がする。

    『たんたんと降る月光(つきかげ)よ玻璃きづつく』
    『コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ』
    『夏みかん酸っぱしいまさら純潔など』

    僅か俳句歴4年で第一句集を発刊出来たのは何故か。
    発刊に至ってはカラクリがあったようにも見受けられるが、取材を受けた者は肝心の部分だけ記憶が曖昧だった。(そんな事あるんだろうか?)
    同僚の内縁の妻となるが、身籠っていた子を堕胎、離婚、東京を離れ岐阜へ。
    ダンサーとして生計を立て、駐留米国黒人兵のケリーと出会い共に暮らす。
    そのケリーとも戦争と麻薬で引き裂かれ、第二句集を発刊するも消息を絶つ。
    その間、たったの10年。
    そんな彼女は、「墜ちた」とか「娼婦俳人」だとか言うレッテルが貼られていた。

    面白いのは、後年、愛と人生であるとか官能といった句として
    『体内に君が血流る正座に耐ふ』
    が紹介されており、
    「作者は娼婦へと転落、町で拾った客の子種をやどしかのか、他人の血が混じり流れている、つわりを堪え座を正しているのがやっと、行為の軽率さを嘆いても始まらない、身の処置を考えたであろう」
    等と評されている。
    鈴木しづ子のレッテルを思えば、発表当時から世間でも性を詠んだ衝撃の句と騒がれただろうと思う。

    しかし川村さんは、発表当時の鈴木しづ子本人による自句自解を見つける。
    『體内にきみが血流る正坐に耐ふ』
    平仮名と漢字の表記も違う。特に「きみ」。
    「きみ」は「君」でなく「きみ」でなくてはならなかった。
    何故なら、男性を想う心ではなく、母親を想う気持ちを詠んだ句であったから。
    「一瞬でもいいから體の支柱、心の支柱が欲しい。血を分けたはらからが慕わしい。母よ何故生きていてくれなかったのだ、私は訴えるところが無いではないか、私の理性はこんなにも脆かったのか、悔恨と自棄的な諦感、身も心も崩れそうだ…幾度かの推敲を経て、正坐に耐ふとした私の必死の表現だ」
    というような事が書かれている。
    軽率な性など詠んではおらず、亡き母と同じ不幸な道を辿る宿命の血を、母への愛と共に詠んだ句だった。

    レッテルとは、ブランド化もされるが大きな過ちも生みかねない。
    影響力のある者が誤った発信をすることで、そちらが正しい認識として広まり続ける。
    真実を知ってしまえば、偽の正のなんと愚かな事か。
    『欲るこころ手袋の指器に触るる』
    論争は「器」だった。
    「器」を男性性器と読むか、食器類あるいは彼女が好きだった壺として読むか。
    答えは載っていない。

    私には、謎多き女性ではなく、「戦後の荒れた世の中を、俳句を詠む事でなんとか精神のバランスを取りながら、懸命に生きただけ」のように思えてならない。
    その時代としては少なかったであろう、自立した女性だったのだろう。
    時代を選ばない容姿の美しさも持ち、それに魅せられる男性も多かったのだろう。
    そんなつもりはなくても人目を引くような。
    彼女は懸命に生きただけなのに、時代や世の中の風潮が、「墜ちてしまった娼婦俳人鈴木しづ子」を作り上げてしまったのではないか。
    川村さんの「鈴木しづ子追跡」の中で関係者が話す内容が全てを物語っていると思った。

    「彼女の美貌をひとめ見んものと、俳壇の中年、老年どもがわんさと押しかけた。
    いつの世でも、女性の魅力、威力にはおそるべきものがある。」

    「…鈴木しづ子を通じて、俳壇の、いろいろの秘密や、そして、その他いろいろ悲劇喜劇の演出を目撃した。
    これは、大変おもしろく、同時にさびしい光景であった。むしろ、いたましいといった方が正解かもしれない。」

    松村氏は、とうに鈴木しづ子は消息を絶っているというのに、手元にある彼女の俳句を投稿し、句を評してみせたとある。
    松村氏は何を思っていたのか。
    その翌年、松村氏は生涯を閉じたとあるので、ご自身の死期を悟って様々な想いに駆られたのだろうか。
    彼女の魅力に、松村氏や当時の俳壇、周囲の男達、そして時を超えて川村さんまでもが魅せられ惑わされていた。
    だが、過去にどんな事柄があろうとも、慕われる人は後に伝説となる。
    鈴木しづ子さんに限らず、この時代を生き抜いた人達の人生は皆ドラマチックだろうけど。

  • 幻の俳人、鈴木しづ子の作品集と彼女を追ったドキュメンタリー。特に、取材した川村蘭太さんに感心した。わずかな手がかりからその生涯に迫る様に執念を感じる。しかし、それでも彼女の実像は一部しかわからない。それでもいえるのは、「娼婦俳人」などという言葉でくくることのできない、彼女の愛だろう。

  • 巻末の、未発表投稿句が鈴木しづ子の真骨頂な気がしてならない。恋人ケリー・クラッケを詠んだ数多の句は、その物量からして迫ってくる力が強い。ずしりと重い。

  • 先日、Twitterで知った、戦後、娼婦俳句、パンパン俳句などと呼ばれ注目されるもその後消息を絶ち消えてしまった俳人、鈴木しづ子の句集「春雷」と「指環」の2冊に評伝を合わせたもの。(ボリューム的には2/3を評伝が占めてるけど)
    句集も良いけど、評伝がかなり頑張って調べており興味深い。
    「体内にきみが血流る正坐に耐ふ」という句はイメージとして妊娠を想起させるけど、「きみ=母」であり母娘の関係を句にしたものであることを解き明かしたり、雑誌に投稿された句が実は過去にまとめて送られてきたものを師である松村巨湫が都度投稿されたかのように偽装したものだった(俳句の世界では良くあることなんだろうか?)とか読み物として面白い。

  • 「伝説の歌人」といわれた鈴木しづ子の歌と、その後の彼女を追ったルポをおさめた1冊。

    一瞬輝いて、消えた歌人・鈴木しづ子。
    赤裸々な歌の数々。

    彼女に何があり、どこへ消えたのか。
    どこかで生きているのか、亡くなっているのか、それすらもはっきりしない。
    歌のエネルギーだけでなく、そういうところにも何かひきつけられるものがある。

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著者プロフィール

1919年東京神田生まれ。俳人.『樹海』同人.『春雷』『指環』2冊の句集を遺し、1952年失踪。

「2019年 『夏みかん酢つぱしいまさら純潔など』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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