神に追われて 沖縄の憑依民俗学 (河出文庫)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309418667

感想・レビュー・書評

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  • 「追悼 民俗学者 谷川健一氏 逝く」展示資料リスト 奈良県立図書情報館(平成25年8月30日現在)
    https://www.library.pref.nara.jp/event/booklist/tanigawa_kenichi.html

    覚え書:「今週の本棚・この3冊:沖縄文化に触れる=俵万智・選」、『毎日新聞』2013年07月14日(日)付。 - ujikenorio’s blog
    https://ujikenorio.hatenablog.com/entry/20130716/p3

    神に追われて 沖縄の憑依民俗学 :谷川 健一|河出書房新社
    https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309418667/

  • 凄まじい、怖い本だった。読むのに体力が要った。
    沖縄地方で神がかりにあってユタなどになった人のドキュメンタリーなのだが、なんというかこう、ロマンティックな要素は欠片もない。ただただ厳しく過酷な目に遭い、「もうそうするしかない」と言う風に理由もなく追い立てられていく人達の過酷な体験が述べられている。
    読んでいて「これは…ジャンル違いかもしれないが、リアルエクソシストみたいな…」と思っていたが、途中から本当にエクソシストみたいになってくるし、著者にも何かキリスト教対して重い気持ちがあったようだ。
    これほどまでに辛い目にあっても何も報われたようには感じられない、「そうするしかなかった」という人達の人生に圧倒される。

  • 比較神話学視点でとても刺激的であった。私が住んでいた島の、とても身近でとても遠い世界の話。"ミヤコ"と"グショウ"はカメラフィルムのネガポジ反転のような距離感なのかもしれない。

  • ・ 私は谷川健一が民俗学の研究者であることは知つてゐた。しかし、私の関心と関はるところがないかの如くで、谷川の文章を読んだことはほとんどなかつた。この谷川健一「神に追われて 沖縄の憑依民俗学」(河出文庫)もそんな1冊に違ひはないのだが、ただ私は書名の憑依とい ふ語にひかれた。憑依、憑霊、狐憑等々、かういふ言葉とその実体が好きなのである。だから買つて読んだ。おもしろかつた。かういふことを考へてきた人なのだと思つた。解説には、「沖縄、宮古島は、谷川民俗学の背骨を形成している。」(前田速夫「異様な宗教体験の記録」206頁)とある。谷川民俗学はかういふものであつたのだと教へられた。これがすべてではないにせよ、谷川にとつて南島は重要なものであつたのだ。
    ・最初に「魂の危機」といふ文章がある。序説であらうか。ここでイエスについて述べてゐる。「福音書を見ればイエスもしばしば悪鬼を追い出し、病人を癒している。そのために彼は悪魔の頭の力を利用して悪霊を追い出していると非難さ れ云々」(21頁)、これに対して谷川は、「正統的なキリスト教の信者には気に入らないかもしれない。」と書きつつ、「ここではイエスは危険な巫者の姿を衆人の前にさらしている。未開社会で悪霊を追い出し病気を治療する呪術師の医 師とイエスは寸分もちがわない」(同前)と評してゐる。かういふイエスの評価はどのくらゐ行はれてゐるのであらうか。私はかういふ考へがあるのを初めて知つた。同時に、これは極めて正当的な考えではないかと思ふ。イエスは巫者であ り呪医であつた。だからこそあのやうな様々な「治療」もできたのである。この やうなイエスが出てくるのは、「現代の南島社会の巫女が直面する神ダーリの体験もまったく異なるところがない。」(22頁)からである。本書に登場する何人かの巫女は皆「治療」もできるが、それ以前に「神ダーリ」を経てゐる。「神ダーリは神によってためされる試練である。」(15頁)それは神ダーリを受ける人間にとつての言ひ方で、一般的には「巫病と称すべきものである。」(同 前)が、語源的には「たたりの原義である顕つと関連があるかもしれない。」 (同前)といふ。そこから「神ダーリは神が顕つという意味」(同前)となるらしい。だから、イエスの荒野での試練を南島の巫女たちも経験してゐるのであ る。しかも、「神に追われて、逃げおおせることができなくなった時に、神に自分の魂を譲り渡す。これが南島で神の道に入った女の原則的で典型的な姿であ 。」(20頁、前の一文、傍点つき。)からには、結局、自分の選択の余地は ない。逃げることは許されない。神に選ばれたら選ばれるがままに生きるしかな い。イエスはこの点、どうであつたか知らないが、これは大変なことである。神ダーリを乗り越えて「神の道を開いた」(24頁)ら、その先は神の意のままに巫者として生きるしかなくなるのである。巫者と書くのは、南島には神ダーリを 受ける男性もゐるからである。この何人かの神ダーリの過程が書かれているのが本書である。それは私には考へられないことばかりである。この信仰の在り方が 私には分からない。身近にない。東北のイタコとも違ふやうな気がする。神ダーリがそのまま完全に受け入れられてゐる。この信仰は現在も生きてゐるのであらうか。谷川が巫病と言つたのは、谷川もまた南島の信仰圏に入つてゐなかつた、 いや入れなかつたからであらうか。解説の最後の一文に、「健一が憧憬してやまない南島の『明るい冥府』、すなわち水平線のかなたの他界に死後の魂の行方を望む」(210頁)とあつた。ニライ・カナイであらうか。

  • ぼぎわん→からの、この本。

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著者プロフィール

1921年、熊本県水俣市生まれ。東京大学文学部卒業。 「風土記日本」「日本残酷物語」、雑誌「太陽」の初代編集長を経て、文筆活動に入る。「南島文学発生論」で芸術選奨文部大臣賞・第2回南方熊楠賞受賞。「海霊・水の女」で短歌研究賞受賞。 1981年以来、日本地名研究所所長として現在に至る。文化功労者。 冨山房インターナショナルより「谷川健一全集」(全24巻)を刊行した。

「2013年 『谷川健一全集 全二十四巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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