砂漠の教室: イスラエル通信 (河出文庫 ふ 20-1)

著者 :
  • 河出書房新社
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感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309419602

感想・レビュー・書評

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  • 砂漠の教室 砂漠の教室 I
    https://suigyu.com/hondana/sabaku03.html

    砂漠の教室 :藤本 和子|河出書房新社
    https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309419602/

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「砂漠の教室」藤本和子著|(金井真紀の本でフムフム…世界旅)日刊ゲンダイDIGITAL
      https://www.nikkan-gendai....
      「砂漠の教室」藤本和子著|(金井真紀の本でフムフム…世界旅)日刊ゲンダイDIGITAL
      https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/335532
      2024/02/13
  •  書店で見かけて、ぱらぱらと何気なく頁をめくったとき、『なぜヘブライ語だったのか』の冒頭、

    「イスラエルについて語ることは重たい。」

     という一文に出逢い、読まなければ、と直観してレジに向かったのは八月のことだった。

     今、このタイミングでこの本を読んでしまった。苦しくてたまらない。 予期せぬ「タイムリー」さを持ってしまったことや、こんなふうに、タイムリーなどという言葉が浮かぶ自分の浅はかさ、イスラエルという国の名前を聞いて連想する事柄から露見する自分の思考や思想の貧しさ、何も知らずに戦地に思いを馳せてしまう自分の愚かさを突きつけられた読書になった。

     何も知らずに語ることは、愚かで恐ろしいことだと思う。他者や異民族を「知る」「理解する」とはどういうことなのか。表面上の言葉だけでなく、実際にそれをするためにどうすればいいのか。(わたしはここで、梨木香歩さんの『春になったら苺を摘みに』の「理解はできないが受け容れる。ということを、観念上だけのものにしない、ということ」を思い出した)
     厳しく問いかけてくる一冊である。とくに『なぜヘブライ語だったのか』『おぼえ書きのようなもの』を読んでいるあいだ、普段の自分の知ったような言葉の使い方や浅い思考、傲慢な意識などを指摘されているようで、何度か頁をめくる手を休めなければならなかった。ただ、解説にもあったように、この文章たちは読者への示唆や、グロテスクな言動をする者たちへの批判というだけではなく、著者自身への自戒にも感じられた。この強く厳しい姿勢が貫かれていることで、「それならわたしはどう考えるべきか」という問いになって、わたし自身にも重く響いた。
     藤本和子さんは、実際に、砂漠の教室に行ったのだ。どうすべきか、と自問して、イスラエルに向かい、ヘブライ語を学んだ。もちろん、言語を学ぶことは、ただ言葉を覚える、知識を手に入れる、だけの問題ではない。すさまじい行動力と精神力だと思う。何かに対して、そこまで切迫した思いを抱き、行動できるひとが書いた文章。血肉の通った文章というものは、厳しく、潔く、美しいのだと思った。

  • 去年から藤本和子の著作を読み進めてきたのだが、本書だけは近所の図書館に所蔵がなくてほとんど諦めてしまっていた。そこに文庫版での復刊の知らせが来て、喜び勇んで発売日に購入した。

    帯や裏表紙の詞書からは明るく愉快な紀行エッセイを想像するだろう。そういう面もありはするのだけれど、実のところ重く、ごつごつ、ざらざらした読み味のパートが多い。

    本書よりあとに出たエッセイ(晶文社『ペルーからきたわたしの娘』)(こちらも復刊されないかな…)では、著者はペルー人の女の子を引き取った様子を記しているのだが、文中でその動機には触れられていなかった。それを少し不思議に思っていたのだが、本書では養女をとるきっかけとなったのだろうできごとについて語られている。その章での語りは自分をさらけ出す痛切なものだ。約50年前のことではあるのだが、こんなことがあっていいのか、と私自身も悔しく悲しい気持ちになった。

    自分とは異なる主体を、異なるまま、同化せずに受け容れること。無意識のうちにやってしまっている同化をなんとかときほぐして、世界に向き合っていきたい。

    実は、著者が参加していた「水牛」という雑誌のWebサイトで本書の内容がほとんど読めたりする。
    https://suigyu.com/hondana/sabaku03.html

  • 「焼きたてのパウンド・ケーキ! そして、トルコ・コーヒー! わたしはもう寒くなんかない。」

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著者プロフィール

1939年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。1967年渡米、ニューヨークの日本領事館に勤務した後、イェール大学のドラマ・スクールで学ぶ。その後、リチャード・ブローティガンの作品をはじめ、多くの翻訳を手がける。本書の他の著書に『ブルースだってただの唄』(ちくま文庫)、『塩を食う女たち』(岩波現代文庫)、『リチャード・ブローティガン』(新潮社)、『砂漠の教室』(河出書房新社)など、訳書にブローティガン『アメリカの鱒釣り』『芝生の復讐』(新潮文庫)、キングストン『チャイナ・メン』(新潮文庫)などがある。

「2022年 『イリノイ遠景近景』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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