- Amazon.co.jp ・本 (374ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309462141
作品紹介・あらすじ
一九三九年九月、ついに英仏両国はドイツに宣戦布告し、史上例を見ない規模の世界大戦が勃発した。翌年五月、ドイツ軍はオランダとベルギーに侵攻してフランスに進撃、たった三週間でフランス軍は壊滅状態に陥った。イギリスは最初は無防備のまま孤立するが、敵対的中立を装ってヒトラーを支援するソ連をよそに、「単独で」ヒトラー・ドイツと耐久戦を始める。
感想・レビュー・書評
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第2巻では、ついにドイツがフランスへの進行を開始。映画にもなったダンケルクでの救出作戦(ダイナモ)には、個人の所有する小型艇も多数参加し33万人以上の兵士を英国に救出したそうです。
フランスがドイツに降伏し、ペタンを首班とするヴィシー政権に移行しますが、ドゴールがフランスの未来を背負う人物として登場します。「平然とした振舞いのなかに、苦痛を耐え忍ぶ並々ならぬ資質がうかがわれた」とチャーチルによって評されています。ドゴールの評伝を読んだ際に、彼がチャーチルの英国やルーズベルトの米国に対して不信感を抱いていた様子が書かれていたのを思い出しましたが、チャーチルの言を借りれば、対独協力政権となったヴィシー政権に対しても関係の改善を促し続ける必要もあったことにより、英国は二心を持っている、との印象を自由フランスに与え、それを代表するドゴールとしては、英国の傀儡でないことを示すために強めの態度をとる必要に迫られたため、と説明されています。
1940年の夏のこの頃は、英国は西欧諸国にあって独伊に対峙する唯一の国だったようです。事実、この後にドイツによる激しい空爆に曝され、海上ではUボートに攻撃されながらも、バルカン、北アフリカ、中東にも戦線が拡大していく中での英国は正に孤軍奮闘の様相を呈しています。
敵将ながらチャーチルはロンメル将軍を高く評しています。1944年のヒトラー暗殺計画に連座して落命しますが、「素晴らしい戦争の賭博士」と評されています。
本書では、チャーチルが霊感によって使用人を空爆による爆風から守ったエピソードも紹介されています。絵を描いたり、闘い続けることに対するスピリチュアルな演説といい、チャーチルには神通力のようなものが備わっていたのかもしれません。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
第二巻はイギリスがやられまくる。ドイツ強すぎ。フランスがやられるとフランスもドイツに協力するので益々差が開いて行く。ドイツによる本土抗戦に多くページが費やされる。この頃はまだアメリカが参戦してくれていないので、孤軍奮闘、孤立して先が見えなく精神的にも苦しかったと思う。さらにイギリスは世界帝国でもあったので戦線が広い。広がる広がる。これは本当に大変だ。最後にドイツがロシアに宣戦布告するところで終わる。ドイツはロシアに戦線を拡大しなければ歴史は変わっていたのだろうか。本当に不思議だ。しかしドイツ強い。
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原書名:THE SECOND WORLD WAR,Abridged one‐volume edition(Churchill,Winston S.)
第二部 単独で1940.5.10~1941.6.22
ノーベル文学賞
著者:ウィンストン・スペンサー=チャーチル、1874イギリス・オックスフォードシャー-1965、政治家、サンドハースト王立陸軍士官学校卒、元イギリス首相
訳者:佐藤亮一、1907青森県-1994、翻訳家、慶応義塾大学卒、元共立女子大学教授 -
独ソ戦開始まで
戦時内閣の首班当事者かつ文学賞を得る筆力を備えた人物による記録は
ガリア戦記を思わせるものがある
これはブリテンでなくイギリスの戦いと書かれているけれど
日本にとってはわりと関係ない大西洋の戦いやアフリカ戦線も興味深い -
引き続きなかなかのボリューム。
地名、地理が頭に入ってない部分があるのでところどころよくわからず読み進めてしまうが、総じて戦時下の最高司令官の目線での物語は面白い。
一巻に続きソビエト侵攻に対する名スピーチでの終わり方は次を読みたくなってしまう -
新書文庫
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「最初の40日間以降は、勝ち誇ったドイツとイタリアが、われわれに必滅の攻撃を加え、ソ連は敵対的中立の立場で積極的にヒトラーを応援し、日本は計りがたい脅威であった。われわれは単独であった。」
第2巻はヒトラーの侵攻でズタズタにされるフランスとロンドン空襲に耐え忍びながら反撃の機会を狙うイギリス。アメリカは兵器の支援を約束したがそれを含めても兵器の足りないイギリスがそれでも各国を支援し進撃するナチスドイツをなんとか防ぐ。イタリアはドイツと協同で作戦をしてるというよりは英仏が弱った好きにどさくさ紛れに領土を広げようとしている。
フランスが早々に占領されたため1944年上半期まで連合軍はイギリスにかかっていた。アメリカが西部戦線の主力となったのは45年になってからだ。海運の被害総数の半数がイギリスならUーボートを中心に敵潜の半数を沈めたのもイギリスだった。
挙国一致の戦争内閣を率いたチャーチルは実質に重きを置いて組織を改変した。「憲法は短く、あいまいにしておくべきだ」現代日本でこう言うとかなり叩かれるだろうが、チャーチルは自分の義務と権利を規定しないように気を配り法的手続きで時間が浪費されるのを避けた。臨時招集した下院で信任投票を行い、あらゆる政党からの信任を受けた。遅ればせながらイギリスは勝利を目指して戦うことで団結した。フランスが陥ちればイギリスは戦争を諦めると読んだヒトラーの目論見はすでに外れていた。
1940年5月9日の空襲を皮切りにドイツはフランスに進撃を開始した。ドイツの126個師団に対し連合軍は135師団と拮抗していたがドイツの攻撃力が上回り、フランスの防衛戦には50マイルもの穴が空きドイツ軍が流れ込んだ。15日にはフランス首相のレイノーは我々は負けたといい、オランダは降伏した。フランスは後詰めの機動部隊を用意していなかったため前線が崩れると後は後退しかなかった。包囲されたイギリス軍はダンケルクからの撤退に成功し34万人が逃げ延びた。3万人の捕虜とほぼ全ての陸軍の装備を失ったがドーバー海峡の制空権と制海権はまだイギリスが握っており、イギリスは闘志を保っていた。
ムッソリーニが参戦、ソ連はドイツの勝利を祝福し、踏みにじられたフランスはイギリスとの同盟のために単独講和を結べない。フランスではイギリスに対する反感が沸き起こり、イギリスはフランスの植民地を奪い取ろうとしているというものがあれば、ナチの一州になった方がましだというものまで現れた。しかしイギリスは空軍が負けなければドイツの上陸は防げる、量的には優勢なドイツ空軍に対しても士気が落ちなければ対抗できると信じ、そしてそれは実行された。
ドイツがイギリスに上陸しようとすれば秋になり海が荒れる前に制海権を保持しなければできない。そして制空権を握れなければ一度上陸したとしても補給ができず後が続かない。陸海空軍がチャーチルのもとで団結したイギリスと違いドイツはバラバラで、上陸しさえすればなんとでもなるという陸軍、ノルウェー沖で敗れ上陸に悲観的な海軍、そして回廊を形成する責任は空軍に押し付けられた。空軍のゲーリング元帥は威信の高い陸軍に対抗するため空軍だけで勝利を得ようとした。
バトル・オブ・ブリテンでは両空軍の性能はほぼ同じだった。数で上回ったドイツが当初は優位に立ったが最終的に損害数は変わらずドイツは制海権を手に入れることはなくやがて上陸作戦は破棄された。おそらく攻撃目標をロンドンにして士気を折ろうとしたのが戦術的なミスで、空軍の消耗戦をしかけた方がイギリスは困っていたのだろう。瓦礫の下でロンドンは耐え忍びながらイギリス軍は空港と航空機の修理に回ることができた。「人類の歴史の中で、かくも少ない人が、かくも多数の人を守ったことはない」というのがチャーチルの有名な演説として残されている。
ヒトラーはバルカン、アフリカ、中東と戦線を拡大しついにソ連に戦線を布告する。ソ連を落とせばイギリスには後で戦力を集中できるからだ。しかしイギリスの戦いでも途中から制空権ではなくロンドン空爆でイギリスの心を折ろうとした様に、戦線拡大も上手くいかなかったところは置いといて転戦している様にも見える。一方のイギリスは本土防衛の戦力を割いてでも他国を支援した。敵対的中立から一転して援助を訴えた傲岸不遜なソ連に対してさえもだ。