- Amazon.co.jp ・本 (337ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309462158
作品紹介・あらすじ
ソ連の参戦は連合国側には歓迎すべきことだったが、強力なドイツ軍を相手に、その抵抗力は充分とは言えなかった。一九四一年十二月、日本の真珠湾奇襲攻撃によってついにアメリカが参戦に踏み切り、戦線は欧州から一挙にアジア太平洋地域へと拡大した。枢軸側の猛攻の前に連合国側は苦戦を強いられたが、カサブランカ会議やカイロ会談など反抗の準備が始まる。
感想・レビュー・書評
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第三巻では、チャーチルとソ連のスターリン、モロトフとの交渉と駆け引きに興味を惹かれました。当初、ドイツと協力関係にあったソ連ですが、ヒトラーが対ソ戦を開始したことにより熾烈な戦いへと引きずり込まれます。ソ連は、英国との共闘へ転回していていく中で、の英ソ交渉は水面下での駆け引きが多々あったことを感じさせる緊張感のあるものとしてチャーチルは述懐しています。
また日本の真珠湾攻撃により米国の参戦が決定的になったときのチャーチルの大きな安堵には、日本人として複雑な気持ちを抱きました。またミッドウェー海戦以降の旧日本軍の敗退については、情報戦で劣後したことや作戦に固執するあまりそれがうまくいかない場合にすぐ目的を放棄してしまう傾向も指摘されています。
対独戦については、まず北アフリカのドイツを責めることにより地中海での主導権を握ることによるメリットをチャーチルがスターリンに説明し理解を得る件が描かれています。この時、チャーチルはモスクワにいるのですが、スターリン、モロトフの歓待を受けて痛飲するときの様子が活写されています。
ドゴールについては、傲慢な態度に腹が立った、英国の友人ではない、と手厳しく記述していますが、一方クレマンソーとともに、押さえきれないフランス人である、との印象を持ったともいい、フランスに対する崇高な思いを体現するする人物として敬意を表しています。一方、ルーズベルトとは盟友ともいうべき仲を育んでいくのですが、マラケッシュを一緒にドライブした逸話など、アメリカに対するチャーチルの親しみは彼の母がアメリカ人であったことによると後に本人も語っています。
大戦当時の各国の巨頭たちとの交流や絆についてのこうした記述に、チャーチルの正直な感想が述べられており、彼の率直な性格がよく分かりました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
第3巻。アメリカがいよいよ正式に参戦。それも真珠湾。チャーチルは真珠湾のニュースに接してこう言っている。「この辞典で合衆国が完全に、死に至るまで戦争に入ったことが私には分かった。それゆえ我々は結局はすでに戦争に勝っていたのである!」アメリカと戦ってはいけなかったんだろう。戦わざるを得なかったのだろうが。「日本人について言うなら、彼らは粉々に打ち砕かれるだろう。」大喜びである。もう一つは原爆。対ドイツという事でしょうがないのだろうが、原爆開発にはイギリスも積極的に関わっていたし、データの多くもアメリカに提供している。チャーチルはこれに対して肯定的だったのだな。しかし日本に関わる箇所についてはやはり少し心がざわつくな。
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とにかくヨーロッパの地名、地図が頭に入りきっていないのでリアルタイムで理解は追いつかない、さらに登場人物も多すぎて混乱するが頑張って一旦読了。
ソビエトがようやく危機に気づく。スターリンとの会見でただものじゃないとチャーチルが感じた件は面白かった。アメリカも本気を出して北アフリカ戦線を制圧。徐々にドイツの旗色が悪くなってきている感じ。太平洋戦争は当事者じゃないので記述が少ないが、4巻では終戦までいくのだろうか。この勢いで読んでしまおう -
ロシア参戦からイタリア侵攻前まで
ところどころ訳文が直訳調すぎるところがあり
この手の本でありながら日付が間違っていたりといろいろ疑問
本巻では日本も本格的に登場し
戦後の英国から日本をどのように眺めていたか興味深い
それにしてもロシアは付き合うのは勘弁願いたいが見てるぶんには楽しいところだ -
P56
1941年12月7日 真珠湾攻撃 日米開戦
P62
1941年12月10日
戦艦プリンスオブウェールズ、巡洋戦艦レパルス撃沈
「すべての戦争を通じて、私はこれ以上直接的な衝撃を受けたことはなかった。」
P82
1941年12月22日〜1942年1月14日
第一回ワシントン会談(ARCADIA)
「合同三軍参謀首脳委員会」を設立
帰路は急遽飛行艇で。
P93
戦争内閣の指導者のリアルな孤独。
P120
1942年3月28日 サン・ナゼール強襲
ドイツ占領下のフランス大西洋岸、ロワール川河口の重要なドックを破壊
P294
カサブランカ会談
ド・ゴールの態度
P311
モル・フランダース -
新書文庫
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「ソビエト政府はヒトラーに攻撃される瞬間まで、自国のことしか考えていなかったようだ。」フランスの崩壊やバルカン戦線への目論見を傍観しながらナチスドイツに重要な経済援助を与え、ヒトラーとの間で分割できるかもしれないと考えたイギリスに援助を求め、アメリカにはイギリスではなくロシアに補給品を要求し、危険や犠牲も顧みずにヨーロッパに再上陸し、第二戦線を作るように要請した。つまりソビエトはヒトラーに攻撃されてからも自国のことしか考えていなかったということだ。
「ソ連が敗れたなら、どうしてイギリスが勝てるというのか」脅しすかしのソビエトの唯一の歓待はモスクワのヒトラー街をチャーチル街に変えるくらいでしかないがそれでもイギリスとアメリカはソビエトに協力をする。やはりナチスドイツに対してはソビエトに踏みとどまってもらわなければならないからだ。
1941年8月12日後に大西洋憲章と呼ばれる共同宣言をチャーチルとルーズベルトは作成した。アメリカはまだ中立の立場ながら「ナチ圧政の最終的な壊滅」と踏み込んだ表現をしている。一方でインドシナを侵略した日本に対しては合衆国における資産の凍結、にイギリスとオランダが同調し日本は石油の輸入を断たれた。
真珠湾攻撃に対するチャーチルの感想は東洋においては大きな損害を被るがアメリカの参戦により「ブリテンは生き残るだろう」というものだった。しかし、シンガポールにおける最新戦艦レパルスとプリンス・オブ・ウェールズの喪失には強いショックを受けている。チャーチルがこの2艦をアメリカ海軍に合流させようと決めた直後だった。ただ戦時中の日本と違いチャーチルは議会に不利な戦況もきちんと報告している。
1942年前半はUーボートが大西洋で猛威をふるい7ヶ月間で300万tが損失を受け対するUーボートは14隻を失っただけだった。後半にはようやくUーボート対策が進み、6月のミッドウェイ海戦がひとつの契機となった。太平洋の制海権は日本からアメリカに移りまだビルマからインド進行の恐れはあるが東洋戦線の負担は限定された。しかし北アフリカではロンメルが脅威として残っていた。
1943年のフランス上陸作戦「オーバーロード」に先立ち、英米が取るべき作戦は何か。ソビエトは42年秋にシェルブールに上陸する「大鎚」を要求するがチャーチルの頭にあったのは北アフリカ進行の「たいまつ」とノルウェーの「ジュピター」だった。42年6月にはリビアのトブルクが陥落しロンメルはアレクサンドリアのすぐ手前まで迫ってきた。エジプトが陥ちるとスエズから中東の石油がヒトラーのものになる。
アレクサンドリアではロンメルを撃退しようやくバランスはイギリスに傾き始めた。そして10月末のアラメインの戦いでは強化された連合軍が優位な空軍によってドイツアフリカ軍団の補給を妨げロンメルは決定的な敗北を喫した。ソビエトでもスターリングラードで反攻しここから連合軍が明らかに優位に立っていく。「アラメイン以前に、われわれには勝利はなかった。アラメイン以後、われわれには敗北はなかった」アラメインの戦いはミッドウェイと並ぶ転機となった。
チャーチルの描写はソビエトやヴィシー政権のフランスなど気にくわない相手の時ほど冴えてくる。抑えてはいるのだろうけど腹を立てているのがよくわかる。 -
長かった。 (−_−;)
途中で何度やめようと思ったことか。
ストレスなく読むには私には教養がなさ過ぎました。
ヨーロッパを中心とした第二次世界大戦の、主要な場所、戦闘とその計画、重要な会談等々が頭に入ってないと
読んでいて、もうワケワカラン。
チャーチルさん、宰相の書く文章じゃないっす。
こまかすぎます。
加えて日本語訳も分かりづらい。
ずいぶん昔に訳されたっきりみたいです。抄訳が読みたかった。
でも読んで良かった。
本書を読んで、自分は日本から見た第二次世界大戦しか知らなかったという事がよく分かった。
アメリカって、太平洋だけでなく
ヨーロッパでも戦ってたんだね~。
ノルマンディー上陸作戦というのが、だいたい何なのかようやく分かった。
本シリーズ読破は今年の目標30個のうちの一つでした。
次はベストアンドプライテストで、ベトナム戦争について理解を深める。