- Amazon.co.jp ・本 (465ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309463100
作品紹介・あらすじ
ドゥルーズ初期の代表作であるとともにニーチェの復権の烽火となった名著の画期的な新訳。ニーチェ哲学を体系的に再構築しつつ、「力能の意志」、そしてニヒリズムの極限形式にして存在の一義性としての"永遠回帰"をあざやかに論じ、生成/存在、肯定/肯定の肯定としてのニーチェ/ドゥルーズの核心をあきらかにする。
感想・レビュー・書評
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面白かった。むずかったけど。
ニーチェの著作を読解していくドゥルーズ。
能動的諸力、反動的諸力など難しい単語が並ぶが途中から慣れてくる。
多を肯定する一とはまさに現代的な読み取りをするなら「マルチバース」のような多次元的な世界とも通じるもの。
また真と偽りの間に立つのが想像=芸術だと捉える視点にも大賛成。
映画や小説は偽りでもって真を生じる。
そこにこそ最も強い「力」がある。
偶然を力強く肯定する。
ニーチェの考え方を「ポジティブ」の一言でまとめてしまうことほど勿体無いものはない。
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ドゥルーズ先生めちゃくちゃ頭が良くて、ニーチェの哲学をオーバーライドしてニーチェの哲学について語っており全く間違っていないのだがその語りは間違いなくドゥルーズ本人の哲学を語っているのだ!というがその達人芸要ります?ドゥルーズはこう思ったで何がいけないのか。
あとこの人やっぱり大学の先生なんだなっていうポジショントークが見受けられる。
「己のなしうることの果てに向かって進んでいるものを能動的諸力と呼ぶのであり、それを剥奪するようなものとしての反動的諸力」 -
ドゥルーズが空白の八年から抜け出して最初に書いた著作。ニーチェの哲学を、反動的諸力と能動的諸力という二つの力に類型化しながら読み解くもの。力の性質として、肯定と否定が類型化され、肯定が肯定されている。あるいは、肯定を肯定することが肯定されている。想定される敵はヘーゲルとキリスト教。
訳者による解説もいい。ドゥルーズの解説なのか江川氏の哲学の展開なのかはもはやわからなくなっている。 -
2011/1/9読了
ニーチェはもっとも弱い者を弱者あるいは奴隷と呼ぶのではなく、その力がどんなものであろうと、自分の為しうることから分離されている者をそう呼ぶのである。もっとも弱い者も、果てまで進んでいくならば、強者と同じくらい強いことになる。何故なら、もっとも弱い者が自分の微弱な力を補完するための計略、鋭敏、精神性、そして魅惑さえもがまさにこの微弱な力に属しており、これによってこの力は微弱ではなくなるからである。諸力の測定とそれらの質の規定は、いかなる点においても絶対量に依存しないが、相対的な実現には依存している。闘争の結末と成功を基準にして、力や弱さを判断することはできない。というのは、もう一度言うと、弱者たちが勝利するのは一つの事実だからである。