- Amazon.co.jp ・本 (424ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309467115
感想・レビュー・書評
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ある日突然、目の前が真っ白になり失明してしまう奇病が発生。
その奇病は伝染し、あっと言う間にパンデミックが起きる。
その状況下ではじめに発症した人々は隔離されるのですが、その状況下で発症してないのに、家族と一緒にいるために発症したと偽った女性がただ、1人、目が見える状況で語る、壮絶な隔離生活とパンデミック下の街での生活のお話です。
まず、文章的なことを言うと、本書は鉤括弧がなく、ページ一杯にこれでもかというくらい文字が羅列しており、文章としては一見読みづらそうというものなのですが、そんな状況なのに、地文と話言葉の区別、誰が話しているかわかるので、読みづらいということはなかったです。
ただ、この本読んだあとに別の文庫を読むと、鉤括弧、行間のある素晴らしさに感動しましたけど(笑)
本作品は、ゾンビものやパンデミックものが好きな私は物凄く楽しく読めた作品です。
5感のどれか1つでも欠けたら不便であることこの上ないのですが、目が見えなくなるということの辛さ、これは本書に書いている通りの地獄だなと思いました。
これが、ある日自分だけではなく、1人の例外を除いて見えなくなるとどうなるのか、文字は見えないですし、トイレに行くのも大変、食べ物を見つけるにも一苦労などなど生活も大変ですが、更にライフラインが止まると悲劇になります。
この世界を想像しただけで、想像の世界ですが、いかに私達が目を頼りに生きているのか思い知らされます。
また、目が見えない状態ということは、周りからも見られない状況。
そんな中で行われる人間らしさというのはどういうものなのかを改めて考えさせられました。
たとえば、私が作品と同じように目が見えない状況になったとき、はじめはなんとか生きて行こうとするでしょう。身の回りに食べ物や飲み物で食いついないで、なんとかトイレも済ますかもしれません。
しかし、食べ物が尽きて外に探さないといけなくなったらどうするか。
生きるために食物を盗まないといけないかもしれませんし、トイレもその辺で済まさないといけない。
徐々に普段生活しているような状況というものからかけ離れていきます。
そこで、私がとれる方法は2つ。盗みを働いてまで生きたくないから死ぬか、生きのびるためにあらゆる行動をとる。
実はどちらも人間らしい生き方なんだろうなと思いながら、パンデミックのこの世界を通じて、人間らしさとは何なのかを問うた作品なのかもしれない。
私達は常に理想や建前の奥底の本心については常に盲目なのだということを。 -
・すごく面白く読んで、意気込みながらパソコンでめちゃ感想書いたのに、最後の最後でボタン押し間違えて全部消えて本当に萎えました。
・新宿紀伊國屋でジョゼサラマーゴが没後100周年なことを知った。 -
ある男が突然失明した。暗闇に包まれたのではなく、視界が全て白くなる「白の闇」に覆われた。その症状は、感染症のごとく広まっていき、最初は数人を隔離しておくだけで済んだのが、徐々に多くの人が罹患することになる・・ただ一人を除いて。そんな中、人々は何を考えてどういう行動をするのか?政府はどういう対応を取るのか?といった一種のシミュレーションを描いた物語。
これ完全にウォーキングデッドでした。というか、ウォーキングデッドより酷いかも知れません。いわゆる、ポストアポカリプスモノというのか、自分がこの世界に放り込まれたら、速攻で死ねる自信あります。衛生が失われる描写や、モラルが失われる描写、少ない食料を巡って争いが起きたりといったこともありますが、終盤の残酷描写がやばいです。気になる方はぜひ読んでみてください。 -
・ジョゼ・サラマーゴ「白の闇」(河 出文庫)の「文庫版訳者あとがき」はカフカの「変身」から始まる。ある朝、目覚めたら甲虫になつてゐた「変身」に 対して、信号待ちの車中で突然目が見えなくなつた「白の闇」、いづれも不条理であらう。しかしその先が違ふ。カフカは短い。これは長 い。しかも個人の問題ではなく、その集団全員の問題である。集団といふのは、もしかしたら国であるのかもしれない。そんなにも大きな 不条理を扱ふ「白の闇」、カフカとは全く違ふ作品であらう。
・サラマーゴはノーベル賞作家であるらしいのだが、私はそれを知らなかつた。だから初めて読んだ。読んでゐて思つたのは構成の問題で あつた。起承転結が実に見事であつた。患者発生、隔離、暴力集団支配、解放・省察、この第4部の結を2つに分けて考へることもできよ う。発生と隔離をまとめて解放と省察を分ければ4つになる。いづれにしても起承転結である。この患者は眼病である。いきなり目が見え なくなつた。見えるのは「白の闇」ばかりである。最初の患者は運転席で赤信号を待つてゐた時に発症した。そんな眼病だから病名は書い てない。しかし、これは伝染性があり、まづ先の男を助け(たふりをし)て車を盗んだ男に伝染する。その信号を待つてゐた男は(総合病 院の)眼科に行く。するとその待合室の患者や受付、そして診察した医師や看護師にも伝染する。もちろんその家族にも……といふやうに 次から次へと伝染していく。眼科医は己が症状を院長に電話連絡する。「接触感染症だという証拠はありません。しかし、たんに患者の目 が見えなくなり、私の目が見えなくなつたのではないのです。云々」(48頁)これで集団隔離の措置がとられて患者は「からっぽの精神 病院」(54頁)に収容される。何しろ目の見えない患者である。緊急事態とその事の重大性ゆゑに患者の世話はない。患者自らが自らを 世話する。そこで様々なことが起きるのだが、最も重大なことは暴力集団の登場とその支配である……とまあ、かうして書いてゐたら切り がない。この暴力集団をも乗り越えた時、患者は隔離施設から出ることができた。そこは皆が目の見えなくなつた世界であつた。秩序はな い。あるのは人間のありのままの欲望の世界であらうか。食ひたい物を、といふより今そこで食えるものを食ひ、眠りたいところで眠る。 排泄はどこにでもできる。全員が目が見えなくなつたのかといふと実はさうではない。最初期の患者、眼科医の妻は目が見えてゐたのであ る。これは全員が見えなくなると物語を進められなくなるといふ事情があつたのかもしれない。見える人間がゐればそれを視点に物語がで きる。あるいは別の事情があるのかもしれない。彼女はいはば神の如き超越した存在であり、だからこそ皆の目が見えるやうになると、 「顔を空へ上げると、すべてがまっ白に見えた。わたしの番だわ。」(408頁)となるのかもしれない。最後の一文、「町はまだそこに あった。」(同前)とは、そこに町があつても妻には見えないのか、町は見えたのか、これがはつきりしない。たぶん妻に見えなくなつた のだと思ふが、さうであればこそ事の不条理性が強まる。そしてカミュも「ペスト」の最後で希望をもたらしたが、サラマーゴもまた希望 をもたらしたのである。結局、皆が見えるやうになつた……現在私達の眼前にある新型コロナ肺炎といふ不条理も、最後はこれらの物語の やうに希望で終はることを望むのみ、カフカの「変身」ではなくである。あるいは、もしかしたら、ザムザの家族が、逆説的ながら、眼科 医の妻の役割なのであらうか。「変身」も見方によつてはハッピーエンドであつた。 -
コロナによって、本書がパンデミックものの先駆けとして話題になった。サラマーゴは「目が見えないという社会的伝染病」は文字通りの意味というよりは比喩的に書いたのだろうが、我々はパンデミックをリアルに経験してしまった。謎の病気が発覚し、無視できなくなってきたところで罹患者と今で言う濃厚接触者を隔離する。病気への恐れ、次々と罹患していく残酷さ、生き延びるためのエゴなどは予言的に読める。
インフラが壊滅しトイレや風呂が使えず汚穢にまみれ、街に死体とゴミが散乱するという有様だが、女の目線としては、女性は生理をどうしていたのか気になる。収容所のベッドも服も生理の血にまみれ悲惨だったはず。食べ物と引き換えのレイプも、極限を表現するための描写としてはまだ甘いと感じた。 -
目が見えなくなる伝染病が急速に伝播しパンデミックになる世界。一人、なぜか病に罹らず目が見える女性が主人公。身の危険を感じ、「見える」ことを隠しながら家族や仲間の世話をするのだが、食べ物がない、トイレもいけない、情報も途絶え弱肉強食、世界が無法地帯と成り果てる中、彼女たちは苛烈な状態に追い込まれる。
2020年夏に読んだ。Covid19が世界に蔓延してパニック状態だった頃。現実と物語との境界が曖昧になるほどリアルな恐怖を覚えた一冊。傑作。 -
3.1