心理療法という謎:心が治るとはどういうことか (河出ブックス 96)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309624969

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    *****
     ところが困ったことに,どれだけ専門書を読んでも,なかなか十分に納得のいく答えを見出すことはできなかった。心の病の治療法である心理療法(サイコセラピー)は何百種類も開発されており,それぞれが心の病の原因について独自の理論を持っていたため,どれが正しい理論なのか,そもそも正しい理論があるのかさえもわからなかったのだ。
     例を挙げると,同じ深層心理学的な心理療法でも,フロイトの精神分析とアドラーの個人心理学,ユング心理学ではかなり無意識の捉え方が異なっており,お互いの理論を批判しあっている。また,行動療法は精神分析の非科学性を批判し,自らの科学性を強調しているが,これは多くの心理療法も同じである。一方,ロジャーズの来談者中心療法も精神分析に批判的だが,患者の主観的な考え方を重視しているため,客観性を重視する行動療法とも対立している。さらに昨今では,ナラティヴ・セラピーのような構成主義の心理療法が登場し,科学的な真理,正しい無意識の解釈は存在しない,と主張しているのだが,これは従来の心理療法に対する強烈なアンチテーゼとなっている。
     このように,心理療法の数は多いのだが,どの心理療法の理論も科学的に証明されたわけではなく,お互いに批判しあっているため,どれが裁量の治療法なのか,皆目見当がつかない状況にある。これでは心理的な治療を受けようとする人も判断に困ってしまうだろう。また,実際の治療においても,問題が生じる可能性は否めない。(pp.10-11)

     もっとも,最近では理論にこだわらず,治療効果だけを重視するセラピストも増えているらしい。理論の正しさは証明できなくとも,治療効果についてはデータを集め,統計的に治癒の確率が高いことを証明できるし,症状に対する効果に応じて,より有効な心理療法を使い分けることもできる,というわけだ。しかし,治療効果の実績と言っても,一体何をもって「心が治った」状態と考えているのか,それが曖昧なままなので,やはり従来の心理療法と同じように,一時的に効果があったように見えても,その影響から新たな問題,苦悩が生じる可能性は否めない。(p.12-13)

     壊れた心とその治癒の本質を明らかにし,心理療法の共通原理を見出すことができれば,多様な心理療法が乱立する中で,どの治療法が有効なのかを見分けることも可能になるだろう。治癒の本質に見合わない悪しき心理療法は排除され,症状や精神疾患の違いに応じて,適切な心理療法を選択できるようになる。それは現代の心理的治療にとって,とても大事なテーマなのである。(p.16)

     行動療法はさまざまな心理療法のなかでも科学的な客観性,実証性があると言われるもので,当初は行動の変容のみを目的としていたが,現在では思考の変容を含む認知行動療法として,最も実用性の高い心理療法だと考えられている。科学的な根拠(エヴィデンス)を重視する現代の精神医療では,それも当然のことだろう。心理療法に懐疑的な精神科医でさえ,認知行動療法だけは容認している人が多いのだ。
     一方,来談者中心療法もパーソンセンタード・アプローチとして多様な展開を見せているが,客観性よりも主観的な意味や価値を重視することもあり,自然科学志向の精神科医で使う人はあまりいない。その代わり,臨床心理士,カウンセラーの間では,比較的重宝されてきた。(pp.34-35)

    [精神分析は]現在では批判も多く,精神科医,臨床心理士の間では過去の治療法とみなす人も少なくない… (p.38)

     最初にフロイトから離反していったのはアドラーであり,彼はフロイトの性的な欲望を中心とした考え方を批判し,劣等感から生じる優越性への欲求を重視するようになった。それに対してユングは,性欲も優越性への欲求も重要だとしながらも,独自の問題提起をしている。
     ユングによれば,禁じられた願望や衝動の満足が重要な人は,フロイト理論による治療が適している。実際,フロイトの患者の多くは社会的地位に恵まれた人々であり,その反面,性については禁欲的なモラルに縛られていることが多かった。逆に社会的地位に恵まれず,劣等感の強い人々は,性欲よりも社会的地位や権力のほうが重要になっているため,アドラー理論による治療が適している。フロイトかアドラーかという対立した構図に対して,ユングはどちらか一方が正しいのではなく,患者の求めているものが違うだけで,どちらも有効な理論だと考えたのである。
     しかし,ユングによれば,性欲を求めているのでも,権力や優越性を求めているのでもなく,もっと別のものを求めている患者がいるという。神経症は集団に適応できない人と,個性が発育不全の人に分けることができるのであり,前者の治療に関しては,フロイトやアドラーのように社会への適応を目指す治療が適しているが,後者にこれと同じ治療方法を用いれば,個性が破壊されることになる。(pp.44-45)

    …,行動療法が認知的アプローチを取り入れていったように,認知療法も行動的アプローチを取り入れていったのであり,互いの技法が相互補完的に機能し,より治癒率の高い認知行動療法となっていったのである。(p.77)

    …,歪んだ認知構造(この場合は抑うつ的思考)が自動的に現れても,それに気づき,距離を採って見据えることができれば,悪い影響を受けることは少なくなる。認知の「構造」(内容)を変えるのではなく,それを「機能」させないようにする方法が,マインドフルネス認知療法なのである。(p.79)

     もっとも,現在のパーソンセンタード・アプローチは,イギリスのように比較的盛んな地域もあるのだが,アメリカでは認知行動療法の強い影響力の影に隠れ,目立った展開は見られない。これはパーソンセンタード・アプローチだけでなく,他の実存主義的な心理療法にも同じことが言える。それは哲学的な人間論が深く関わっているため,自然科学的な枠組みでは捉えがたく,治療効果についても,認知行動療法に比べると統計的なデータが取りにくいためであろう。(p.95)

     実存主義的な心理療法よりも認知行動療法や精神分析のほうがすぐれている,と言いたいわけではない。思考の歪みを修正するには,その歪みを認め,受け入れることが不可欠だが,ただ間違いを指摘されても素直に認められるものではない。セラピストとの信頼関係があってこそ,歪んだ思考に基づく感情があることに気づき,考えを変えても他人に受け入れてもらえる,と信じることができる。信頼関係に基づく感情の気づき,という実存主義的な心理療法のやり方は,実は思考の歪みを修正する上で,とても効果があるのだ。
     しかも最先端のパーソンセンタード・アプローチともいえるEFT[感情焦点化療法]では,もはや「本当の自分」を想定していない。自己はその都度の文脈のなかで構成されるのであり,ここにもやはり,構成主義の影響を見ることができる。
     いずれにせよ,自己への気づき,自己了解において重要なのは,「したい」という欲望と,「しなければならない」という当為,義務感に気づくことであり,自分の納得できる判断を導き出せるようになることだ。残念ながら,これまでの実存的な心理療法は,こうした問題にあまり自覚的ではなかった。しかし,理性からの感情の解放ではなく,むしろ理性の自由こそが目指されるべきなのである。(pp.103-104)

     そもそも患者と治療者との間で共通了解された物語が,正しい無意識の解釈でも客観的真実でもないとしたら,ではなぜその物語を受け入れれば治るのか,構成主義的な心理療法ではその理由が明確にされていない。また,その物語が患者と治療者の二者関係,あるいは少数の家族関係においてのみ共通了解されたとしても,第三者を含む複数の人間関係,学校,職場など,社会の中でも共通了解されるとはかぎらない。場合によっては,その物語によって新たな人間関係の齟齬,亀裂が生じる可能性もある。(p.117)

     近代以降の心理療法は科学という共通の枠組みを重視してきたため,当初は科学的な実証研究が進めばおのずと理論は淘汰され,共通原理が見出され,理論的な統合も進むように思われたが,自体はまったくそのようには進まなかった。それも当然のことだろう。心理療法における理論対立の多くは,科学的な仮説の真偽を競う対立ではなく,思想や人間観の対立であるからだ。(p.119)

     もっとも,現在では状況が変わり,心理療法の世界ではすでに対立や議論は少なくなっている。精神分析が批判され,多くの心理療法が生れた一九六〇年代には,まだ各々の心理療法家は自らの理論的正しさ,方法的優位性を強く主張し,互いに論争を繰り返していたが,次第に激しい論争はなくなり,心理療法はお互いを余り批判することがなくなったのだ。
     理由はいろいろ考えられるが,心理療法の効果にあまり差がない,ということも原因のひとつのように思える。飛び抜けて優れた成果のある心理療法が存在せず,どの理論も科学的な実証性に乏しいため,各心理療法はお互いに相互不干渉を暗黙のうちに決め込み,お互いの人間観には口出ししないようにし,自分たちの技法を守ろうとしている,という見方もできるからだ。(p.127)

     なるほど,幼児期の体験がその後の精神に大きな影響を及ぼすことは否めない。しかし,ひどい親に育てられた子どもでも,心を病むことなく,健全に,むしろ苦労した分だけ優れた人間性を身につける人もいる。問題なのは,過去の呪縛に囚われ,それを変えられない宿命として捉えてしまう点にある。苦悩の原因を過去の親子関係やトラウマに見出し,その影響力を絶対視してしまえば,新たな可能性を見出すことはできなくなるのだ。
     人は誰もが何らかの苦悩を抱えているが,自分の苦悩の意味をどう受け止めるかで,納得した生き方ができるかどうか決まってくる。心の病においても,自らの苦悩の意味を了解し,そこから自らの将来の可能性を見据えることができるなら,納得できる行為,生き方を選ぶことができるだろう。問題は過去の事実を決定論的に捉えることではなく,そうした過去に対する主観的な意味づけであり,心の病における症状,苦悩に対して,自分がどのような捉え方をしているかなのである。(pp.141-142)

     必要なのは,心の病についての一般的な意味であり,誰もが納得し,共通了解し得るような,普遍性のある本質である。それが解明されなければ,個々の主観的世界の解釈は恣意的になり,開かれた自己了解,納得のできる行為の選択につながらない。当然,治療の原理もはっきりしないだろう。多様な治療方法,心理療法の根底にある共通原理,それを解明するためには,心の病という現象の共通の意味,本質を考えておくことが不可欠なのである。(p.144)

  • 心理療法の治るについての、著者の分析と考察。心理学者ではない著者がこのレベルまで調べ上げ分析されてることに、ただただ尊敬しかない。
    極端で、断定的で、狭い範囲の結論になってるところに対しては、意見したい、疑問を投げかけたくはなったけど、自分のなかの治るとは何か、何を目指しているか、どうありたいと思ってるか、自身の価値観を考え直すきっかけになった。それは著者がしっかり調べて分析して考察して一本の流れをつくってくれたから、それを鏡に考えることができた。そういう本は良書だと思う。

  • 心理療法の本質を探る挑戦的な本。

    世の心理療法を4つに分けて外観しているところはとてもわかりやすかった。

    そこから現象学をもとに「間主観」の合意を目指して、本質、共通、基盤的なものをモデル化しているが、どうしても乱暴におもえ、やや納得感がなかった。

    なお、私は、心理療法の共通的な要素として考えうるとすれば「生きのびる」ことへの効果という物差しが共通的なものかなとおもうが、これも測りがたいという課題がのこるとおもう。

  •  
    ── 山竹 伸二《心理療法という謎:心が治るとはどういうことか 20160711 河出ブックス》
    https://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4309624960
     
    (20220223)
     

  • 本書は独学で心理学、精神医学を学んだ著者の「なぜ、心は治るのか」をめぐる分析である。

    ただただ、独学でこのレベルまでいったこと驚きです。

  •  非専門家による心理療法の概説。
     煩雑な用語の違いも著者に整理されたうえで説明されれるので、分かりやすい。この内容が選書で読める嬉しさ。
     ちなみに筆致は岩田(元)副総裁による啓蒙書に近い。

    【版元の情報】
    単行本 B6 ● 296ページ
    ISBN:978-4-309-62496-9 ● Cコード:0311
    発売日:2016.07.12
    http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309624969/

    【メモ】
    ・山竹伸二の心理学サイト
    http://yamatake.chu.jp/


    【目次】
    目次 [003-007]
    はしがき [009-016]

    I 心はいかにして治されてきたか?――心理療法の理論と歴史 017
    1 心理療法の歴史 018
      古代から中世の宗教的心理療法
      無意識の発見
      ジャネとフロイトの無意識
      精神病は脳病か?
      心理療法はどこへ向かうのか?
      催眠術から力動精神医学へ 

    2 深層心理学的な心理療法――精神分析の系譜 037
      フロイトと無意識の発見
      精神分析療法
      ユングとアドラー
      ネオ・フロイト派の対人関係論
      自我心理学と対象関係論
      理論的統合と自己心理学
      精神分析の最前線
      ラカン派の精神分析
      精神分析はどこへ向かうのか? 

    3 実証科学的な心理療法――認知行動療法の系譜 067
      認知行動的アプローチ
      行動療法の登場
      行動療法における認知革命
      認知療法と論理療法
      認知行動療法とマインドフルネス
      認知行動療法の新たな展開 

    4 実存主義的な心理療法――パーソンセンタード・アプローチの系譜 083
      実存主義の影響
      ニューエイジとセラピー文化
      ロジャーズと来談者中心療法
      フォーカシングと体験過程
      パーソンセンタード・アプローチと感情焦点化療法
       ロゴセラピーと自意識の問題
      実存主義的な心理療法の問題点 

    5 構成主義的な心理療法――家族療法からナラティヴ・セラピーへ 104
      構成主義の影響
      コミュニケーション派の家族療法
      家族療法の多様な展開
      ナラティヴ・セラピー
      関係論から構成主義へ 

    6 どの心理療法が優れているのか? 119
      心理療法の仮説は科学で証明できるのか?
      心理療法は本当に効くのか?
      心理療法に優劣はあるのか?
      心理療法の理論に共通性はあるのか?


    II 心が病むのはなぜか?――人間の存在本質と心の病 133
    1 心の病はなぜ生じるのか? 134
      精神疾患はどう理解されてきたのか
      心の病は脳が原因か?
      心理的原因としての過去
      心の病の意味をどう考えるか? 

    2 心の病の本質論――フロイトから現象学へ 144
      フロイトの神経症理論
      心の病の本質論
      現象学的思考法の特質
      人間科学における現象学 

    3 “心が病む”とはどういうことか? 157
      不安に起因する行為
      過去の不安に起因する行動
      〈不安回避〉から見た心の病
      自己ルールとパーソナリティの歪み
      症状はすべて「不安への防衛反応」なのか?
      心の病とは何か
      「不安への防衛反応」はどこまで普遍的か
      不安からの自由 

    4 “自由の主体”の発達 184
      不安と欲望の起源
      自己価値への欲望と不安
      共感と感情の了解
      「できる」から「したい」へ
      自己ルールの形成
      〈一般的他者の視点〉の必要性 

    5 不安からの脱出と自由への道 207
      自己ルールの歪みと心の病
      心の病は〈自由の主体〉の喪失か?
      一般存在様式と心理療法 


    III 心の治療とは何か?――心理療法の本質と原理 217
    1 多様な心理療法に共通する要因とは? 218
      効果研究から何が見えるか
      心理療法の共通要因
      共通要因としての「意味の変容」
      心理療法の本質を考える 

    2 心理療法にとって無意識とは? 228
      無意識の現象学
      「無意識」経験の意味とは?
      何が無意識を確信させるのか?
      存在本質としての自己了解
      欲望の葛藤を了解する 

    3 各種セラピーの再検討 242
      精神分析はなぜ無意識を解釈するのか?――深層心理学的セラピーの本質
      来談者中心療法が「本当の自分」にこだわるわけ――実存主義的セラピーの本質
      認知行動療法に自己了解はあるのか?――実証主義的セラピーの本質
      家族療法とナラティヴ・セラピーの可能性――構成主義的セラピーの本質 

    4 心理療法の本質とは何か? 258
      二者関係における自己了解の限界
      グループワークと「一般的他者の視点」
      心理療法の三つの原理
      心理療法は〈自由な主体〉を取り戻せるか?
      看護・介護現場への応用
      保育・教育現場への応用 

    5 現代社会と心理療法 283
      近代社会はなぜ心理療法を必要としたのか?
      承認不安の時代における心理療法
      セラピー論から見た人間


    【メモ】
      第一部は、心理療法(または精神療法)の歴史や学説。
     特に1.1では、H. F. Ellenberger (1905-1993)の『無意識の発見』に即して心理療法の歴史的な展開をまとめている。
     ※邦訳の版元〈http://www.koubundou.co.jp/book/b156641.html〉 

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著者プロフィール

山竹伸二(やまたけ・しんじ)
1965年、広島県生まれ。学術系出版社の編集者を経て、心理学、哲学の分野で批評活動を展開。評論家。同志社大学赤ちゃん学研究センター嘱託研究員、桜美林大学非常勤講師。現代社会における心の病と、心理療法の原理、および看護や保育、介護などのケアの原理について、現象学的な視点から捉え直す作業を続けている。おもな著書に『「認められたい」の正体』(講談社現代新書)、『「本当の自分」の現象学』(NHKブックス)、『不安時代を生きる哲学』(朝日新聞出版)、『本当にわかる哲学』(日本実業出版社)、『子育ての哲学』(ちくま新書)、『心理療法という謎』(河出ブックス)、『こころの病に挑んだ知の巨人』(ちくま新書)、『ひとはなぜ「認められたい」のか』(ちくま新書)、『共感の正体』(河出書房新社)など。

「2023年 『心理療法の精神史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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