- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309630038
作品紹介・あらすじ
ある日、地球上のありとあらゆる動物たちが、何かに導かれるかのように不思議な行いをとりはじめる。家を離れた飼犬たちはどこへ向かっているかもわからぬまま走り出し、海じゅうの鯨たちは恍惚と踊り、ゲージのなかの雌鶏や機械に吊された雄牛、食肉工場の雄豚までもが、つかのま希望の幻影を見る。人間には聞こえない"呼びかけ"のもと、動物たちは本能のままに、ひとつに結ばれようとしていた-大学の実験室で去勢され、臓器を抜かれ、残酷な実験の末に気が狂い、人間レベルの知性を持ってしまった鼠「ドクター・ラット」ただ一匹を除いて。1976年に発表され、センセーションを起こして以来、長らく翻訳が待たれてきた、グロテスクで美しい幻の寓話がついに登場!すべてが動物たちの一人称で語られる、超問題作。世界幻想文学大賞受賞。
感想・レビュー・書評
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グロいエグい
ドクターがゲイネズミに掘られるシーンにはびびった詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人間で読むか、動物で読むか。
いつだって、他者の目線で考え感じる事が出来たらば、世界はきっと、
まあ、無理な話ですけど!
みんな、自分が可愛いでしょう?愛しいでしょう?
その可愛さ、愛しさの下にどれだけのものが横たわっているか、考えてみれば、世界はきっと、きっと
言っときますけど、"みんな"ってのは、ねえ、あなたの事ですよ。
私の事ですよ。
逃げんなよ。
この本から眼を背けようったって、私が捕まえて、両眼こじ開けて、たっぷり注いでやるから。 -
3.32/245
内容(「BOOK」データベースより)
『ある日、地球上のありとあらゆる動物たちが、何かに導かれるかのように不思議な行いをとりはじめる。家を離れた飼犬たちはどこへ向かっているかもわからぬまま走り出し、海じゅうの鯨たちは恍惚と踊り、ゲージのなかの雌鶏や機械に吊された雄牛、食肉工場の雄豚までもが、つかのま希望の幻影を見る。人間には聞こえない“呼びかけ”のもと、動物たちは本能のままに、ひとつに結ばれようとしていた―大学の実験室で去勢され、臓器を抜かれ、残酷な実験の末に気が狂い、人間レベルの知性を持ってしまった鼠「ドクター・ラット」ただ一匹を除いて。1976年に発表され、センセーションを起こして以来、長らく翻訳が待たれてきた、グロテスクで美しい幻の寓話がついに登場!すべてが動物たちの一人称で語られる、超問題作。世界幻想文学大賞受賞。』
冒頭
『コロニーで、わたしはドクター・ラットと呼ばれている。この研究室にはとても長くいて、とても念入りに調べられてきたので、当然ながら、ほかのラットたちがみんなつけている耳の内側の刺青以外にもしるしをあたえられている。』
原書名:『Doctor Rat』
著者:ウィリアム・コッツウィンクル (William Kotzwinkle)
訳者:内田 昌之
出版社 : 河出書房新社
単行本 : 304ページ
受賞:世界幻想文学大賞 -
実験動物が反乱を起こし、人間以外のすべての動物が参加して大勢力になる。主人公のドクターラットは、1人人間に味方するが。
怪作 -
p50 おれは人間ちの手をなめて、クラッカーでもなんでも、彼らが投げてよこすものをねだっていたが、いまはーーいまは朝のように冷たくて澄みきった森の小川をなめている。 強烈やわ。
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1976年発表。様々な動物の一人称視点で語られる寓話。人間に支配されてきた動物達がスピリチュアルな何かに導かれ、集結しようとする。残酷な動物実験によって知性を得た「ドクターラット」は、人間による動物達の犠牲の正当性を説くが……。
まさにストレンジとしか言いようがない小説だった。寓話らしく、全ての描写が非常に極端。特に、主人公のドクターラットの性格が印象的。おそらく彼は人間の姿そのものなのだろう。もちろんここまで露骨ではないだろうが、私達は概ねこんな考え方を持っているはずだ。だからコミカルでグロテスクな表現を変な話だと笑う一方で、薄ら寒い気も起こる。
こういうテーマ自体はありきたりと言えばありきたりなのだろうが、この小説が面白いのは、ラストを破滅的に描いたところと、その破滅さがポジティブともネガティブとも言いきれないところだと思う。単に不穏。そして少し寂しい。これが安易にホンワカした結末だったら、思想を押しつけてくるベジタリアンや捕鯨禁止を訴える団体の気配を感じ、読んでいて萎えてくる気がする。 -
表紙に騙された。
いや、見ればわかるだろうと当時の自分に言いたい。 -
動物好きは泣いちゃうかも。
残酷な実験の末に、人間並みの知性を持つに至ったと主張する一匹の気狂いマウス、ドクター・ラット。彼を狂言回しとして物語は進んでいく。
彼の語る動物実験の残虐さは身の毛がよだつほどなのだけど、彼の躁的な語り口調や、彼が人間の代弁者として弁ずる、全く実のない実験の必要性などには思わず笑わされてしまうという、なんとも複雑な読み心地。
自我に目覚め、大いなる「呼びかけ」を内に感じて一点を目指して集結しようとしている様々な動物たちの一人語りにも心うたれる。
ブロイラー養鶏場の雌鳥のアンニュイなつぶやき、屠殺場に引かれてきた牛や豚のとまどいや慄き。
なかでもかつてつがった雄熊に対する、雌熊の切ないような思いには、ぐっときてしまう。
そうした一人語りを経て後であるせいか、最後のシーンでは、虐殺されゆくのがまるで動物ではなく、子を抱いた母親や足元も覚束ないような老人であるかのような、かつて、そして今も行われているかもしれない、非戦闘員に対する殺戮をも思い浮かべてしまった。 -
今まで読んだ本で一番怖い。
怖くて途中までしか読めなかった。
10ページくらいでライフゼロになる。