ハワーズ・エンド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-7)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (505ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309709475

作品紹介・あらすじ

人と人は真に理解しあうことができるのか。思慮深く理知的な姉マーガレットと、若くて美しく情熱的な妹ヘレン。ドイツ系の進歩的な知識人家庭で育った二人は、ある時まったく価値観の異なる保守的なブルジョワ一家と出会う。ふかい緑に囲まれた、この一家の邸ハワーズ・エンドをめぐって、やがて二つの家族は意外な形で交流を深めていく-文学や芸術に重きを置き、人生の意味を探し求める姉妹は、イギリス社会のさまざまな階層の人間に触れながら、それぞれの運命をたどっていくこととなる。人と人とが結びつき、お互いに理解しあうことはいかにして可能になるのか。愛と寛容をめぐる不朽の名作を、吉田健一の香気ある翻訳でおくる。

感想・レビュー・書評

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  • 初読 ★3.5

    吉田健一氏の翻訳、を楽しみに読む始めたのだけど、
    これが私と合わなくて、なかなか苦戦。
    けど、癖になる、というのもうっすら理解できるような
    フォースターの人間の内面動きをこれでもかと
    文章化する手法にも圧倒されながら流してしまったような…

    お父さんが遺した遺産での文化教養三昧生活、イイナ〜
    とか思いながら
    イギリスの小説の明確過ぎる身分の上下に
    おお…と不思議な感嘆。
    それにしても、イギリスにおけるロンドンと田舎って
    単に都会と田舎、東京都心と地方、の感覚とは違うよね…
    田舎が美し過ぎるから?

    「金は世界で2番目に大事」の下りで出てくる
    「緯糸が何であろうと現金が文明の縦糸」
    巻末の池澤夏樹氏の解説で縦糸は最初から織り機にセットされている、
    とあり、ようやく縦と緯の違いを理解した次第。
    ああ、だから「縦の糸はあなた、横の糸はわたし」なのか!と笑
    セットされた縦糸に対して、及ぶのは緯糸って事かかぁ

    マーガレットとヘレンの関係は
    姉妹である自分と妹の関係を思い起こしてなかなか胸が痛かったり。
    「あやまち」をおかした妹に対してマーガレットのように
    大事な事を大事に、フェアに振る舞えるか?
    全く自信はない。40過ぎた今になっても。
    たとえ自分達が間違っていても、そちらの結果の方が良いなら
    「自分が間違えた」という事に頓着しない、
    そういうフェアネス、持ちたいどす…

  • ここに描かれているのは、おそらく滑稽な喜劇なのだろうと思う。
    登場人物たちはだいたいみな知的だし、理想を持っており、さらに日々の生活もきちんとしている。しかしそれでもなお、どうしてか、地に足がついていないのである。彼らはみな自分の頭でものを考えているにも関わらず、右往左往し、感情的になり、他人とすれ違う。ただ一人、本当に現実を見ているように描かれているのは主人公のマーガレットのみである。面白いのはそのマーガレットこそ、どうしようもなく他者の運命に飲み込まれ、やはり思うようにいかないところだ。
    ただひとつだけ、しっかりと地に根を下ろし、何物にも飲み込まれないものがある。それが「ハワーズ・エンド」である。この家が持つある種の引力が、まるで見えない緩やかな軌道を描いているかのように、めぐりめぐってマーガレットを導くのだ。

    私はこれまで、自分は芸術の話をしようとすると金の話になってしまうのは嫌いじゃない、と思っていたのだが、この本を読んでいて「そういうのはフィクションの中だけにしておくれ」とも思ったので、やっぱり嫌いなのかもしれない。自分は金の話ができると思っていたけれど、やっぱりできないのかもしれない。
    そういう人間にとっては、本書は読んでいて楽しいだろう。しかしそんな私でさえも、この本を読んでいて「なんとお節介なのだ」と感じた。
    それは、見ればすぐわかることをわざわざ言うようなお節介さである。つまりは、それ自体が皮肉なのだ。ご飯が食べられないと飢えて死んでしまうということを、人に向かって指摘すること事態が滑稽なのである。なぜならそれは誰にも自明だから。そこをあくまで真面目にやる「お上品さ」に耐えられないという人もいるだろう。

    それでも自分は何かを知っている、という思いが溢れて暴走してしまうヘレンのくだりが、私はとても興味深かった。彼女の素直すぎる性格よりも、彼女が固執しているものに私は共感した。彼女の冒頭の手紙の中には、確かに「どこにもないけれど私たちが知っている」ハワーズ・エンドが書かれている。

    「だから、この家はそうなんだってかまわない式の所ではなくて、眼をつぶると、やはりわたしたちが考えていた、長い廊下のホテルにいるような気がする。でも、眼を開けるとそうではなくて、それには野薔薇が綺麗すぎる。」

  • 少し前に文庫で出た吉田健一の『文学の楽しみ』を読み返していたら、フォースターの『ハワーズ・エンド』をまだ読んでいなかったのを思い出した。この人の文章には中毒性があるらしく一度はまると他の人の文章ではものたりなくなるのだ。そういえば、イーヴリン・ウォーの『ブライヅヘッドふたたび』もこの人の訳で、その翻訳の文章にすっかりまいってしまったのだった。『ブライヅヘッドふたたび』は、読者のリクエストに応えての復刊だった。『ハワーズ・エンド』は文学全集に入っている。今頃この人の文章が新刊本で読めるのはありがたい。この訳者の文章には熱心なファンがついているようだ。

    さて、『ハワーズ・エンド』だが、ジェイムズ・アイヴォリー監督、エマ・トンプソン、アンソニー・ホプキンス主演で映画にもなっていて、小説を読む前に映画の方を見てしまった人も多いかと思う。それでも、そんなことはちっともかまわない。「見てから読むか、読む前に見るか」というようなことがよく言われるが、いい小説というものは話の筋を知ってから読んでもおもしろく読めるものなのであって、それが証拠に、おもしろい本は再読を妨げない。それと同じように、いい映画というのも何度でも繰り返し見たくなるもので、一度見たらそれでおしまい。一度読んだら二度と手にとることがない本などというのはそれだけの映画であり、本なのである。

    まず、これはイギリスの小説であるということ。イギリス人というのは概して田舎が好きで、昔から変わらない田園風景を何よりも愛し、父祖伝来の家や敷地内にそびえる古木を愛でてやまない。そういえば、先にも書いた「ブライヅヘッド」も貴族の邸宅のことであったが、何も豪壮な家だからというのではない。「ハワーズ・エンド」というのは、作品冒頭に引用される手紙の中で「古くて小さくてなんとも感じがいい、赤煉瓦の家」と紹介されるように小さな家である。代々の家族がそこで暮らしてきた、そのことが大事なので、いわばその家の人々の「魂の容れ物」が、家なのである。

    小説はマーガレットとヘレンという二人姉妹の結婚話を中心軸にして進められる。妹のヘレンは美しく、姉のマーガレットは思慮深い。二人には資産があり、文学や音楽を楽しみながらロンドンで何不自由なく暮らすアッパー・ミドル(上流中産階級)に属している。この二人の生活に飛びこんでくるのが、資産はあるが教養を身につける余裕もまたその気もない実業家のウィルコックス家の人々であり、薄給生活を送りながらも教養のある生活に憧れるレオナードである。つまり、歴然とした階級社会の中で人と人は階級差をこえて理解し合えるのかという、これもまたいかにもイギリスならではの問題を扱っているわけだ。

    話は旅先で知り合ったウィルコックス家に招待されたヘレンからの手紙で始まる。彼女は、その手紙でロンドン近郊ハートフォード州にあるハワーズ・エンドの素晴らしさにふれ、そこに暮らすウィルコックス家の人々への愛、中でも出会ったばかりのポールとの恋愛関係を知らせてくる。結局その恋は成就することなく、気まずさから両家は疎遠になるのだが、ロンドンに戻ったウィルコックス家が通りの反対側の屋敷に引っ越してくることで小説は新しい局面を迎える。

    挨拶の返礼にウィルコックス家を訪れたマーガレットはルース夫人と親しくなる。ウィルコックス家の中でただひとりマーガレットの持つ思慮深さや判断力が理解できる夫人は、自分に似た資質を持つマーガレットをハワーズ・エンドの後継者にと考える。容れ物に相応しい魂が見つかったわけだが、俗物たちに理解できるはずもなく夫人の遺志は握りつぶされてしまう。一方妻を亡くしたヘンリーはマーガレットに求婚する。文学や芸術を好む教養人のマーガレットと実務家で現実派のヘンリーというどう考えても相容れない二人が心の深いところで、互いに敬愛の念を深めていくくだりが実によく書けていて、これが三十才の若さで書かれたとは信じがたい。イギリスには風俗小説の伝統というものがあって、それに則って書かれたのだというのが池澤夏樹の説。なるほど。

    ヘレンは偶然知り合ったレオナードの境涯に同情し何かと世話を焼く。善意ではあるが世間知らずのお節介はかえってレオナードの失職という事態を呼ぶ。義憤に駆られたヘレンはレオナードとその妻を連れ、娘の結婚式のため田舎の館に滞在中のウィルコックス氏に会いに行く。メロドラマ的なすれちがいが一組の男女の過去を暴き出し、喜劇的な筆触で描かれていた小説に悲劇的な影が落ちる。弱者を見たら放っておけないヘレンと、立場のちがう相手を受け容れるためには妥協も辞さないマーガレットの対比もまた、この小説の主題のひとつになっていて、主義主張の異なる者同士が理解し合うことの難しさと、それ故にこそ立場の異なる相手を否定せず共に生きてゆこうとする人生が如何に美しいかをフォースターは力を込めて描いている。

    悲惨な破局を迎えるかのように見えた小説は、ハワーズ・エンドの管理人でウィルコックス夫人の旧友でもあるエーヴェリーさんというトリックスター的人物の登場によってなんとも見事な幕引きを見せる。その予言が成就される様は予定調和的に過ぎると見えるかもしれぬが、終幕部がそのまま冒頭部にオーバーラップして緩やかに環を閉じる構造は、二十世紀イギリス小説の完成度の高さを体現していると言ってもいいだろう。吉田健一は『文学の楽しみ』の中でこの作品に触れ、「確かにこの小説では人間が生きていて、生きているからその存在を通して人生の姿が明かにされ、ただそれが美しいという印象を伴うことも免れなくて、立派な、或は真実の行為は美しいという関係がそこでも成立する」と述べている。「小説を読むのは単に楽しむため。人生だの道徳だのというのはご免こうむりたい」などとうそぶいている貴方にこそお薦めしたい一冊。

    • マヤ@文学淑女さん
      はじめまして。レビューにいいね!ありがとうございます。
      最近この池澤夏樹編世界文学全集にハマっており、abraxasさんのレビュー興味深く...
      はじめまして。レビューにいいね!ありがとうございます。
      最近この池澤夏樹編世界文学全集にハマっており、abraxasさんのレビュー興味深く読ませていただいております。
      フォースターの作品を読むのは初めてだったのですが、男の人が書いたとは思えず、ジェイン・オースティン風の英国の香りを感じました。知的な女性たちはもちろん素敵ですが、何もかもお見通しといった不思議な夫人エーヴェリーさんも魅力的です。
      本棚も拝見しましたが、海外文学たくさん読まれているのですね!私も海外文学好きなので、参考にさせていただきたいと思います。
      2017/10/04
    • abraxasさん
      マヤさん、コメントをありがとうございます。本棚にお邪魔しました。お互い海外文学ファンなのですね。ウォーの『回想のブライズヘッド』も読んでいら...
      マヤさん、コメントをありがとうございます。本棚にお邪魔しました。お互い海外文学ファンなのですね。ウォーの『回想のブライズヘッド』も読んでいられるとは、好みの良く似ていることに驚きました。ここのところ、ミステリその他に偏りがちですが、池澤夏樹個人編集の文学全集は、僕も随分読みました。最近は、日本文学全集が出ていて、こちらも面白く読んでいます。訳者によって原作の趣きが変わってくるのは、外国も日本の古典も同じのようです。
      2017/10/04
  • 「ネコは家につく」なんて言葉があるけれど、人も家につくタイプがいるのだな。先日読んだハーディの「テス」といいウォーの「ブライヅヘッドふたたび」といい、イギリスの小説は情景描写が美しく目の前に景色が広がるようだ。嗚呼憧れのハワーズ・エンド。わたしにとってのそれは、どこにあるのだろう。
    自分も東京という都会に住んでいるので、ロンドンに住み流れ行く人や物に不安を覚えるマーガレットの気持ちはなんとなくわかる。「人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたしはしまいには、どこかの場所がわたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」
    そう気付きながら、自分とかけ離れた考えの男と自分を「結びつけ」ようとするマーガレット。この「結びつけようとする」ことが難しく見えて初めからやる気にならない事が多い私にはマーガレットが超人に見える。自分が認められる前に相手を認めること、とはよく言われるけれど、言葉で言うほど簡単ではないと思うから。
    それにしても家って不思議なもので、そこは誰かが住んでいないと「家」ではなくて、ただの建物に過ぎない。しかし住んでいる(あるいは住んでいた)からといって、そこが自分にとってほんとうの「家」といえるとは限らない。自分がそこにいるべき場所、マーガレットにとってはそれがハワーズ・エンドだったのだけれど、こういう場所はみんながみんな見つけられるわけではないから、見つけられたならその人は幸福だ。ハワーズ・エンドになんの未練もなかったウィルコックス氏その人が結局はそこを住処にするのが妙。マーガレットの結びつける力、恐るべしである。
    人と人との関係だけでなく、人と場所との関係を描いた小説でもある。今の自分の居場所に疑問を感じている人が読むと、共感できるのではないだろうか。関係性の築き方も参考になるかもしれない。

  • [03][130212]<mo とても饒舌だけれど、それが、私たちの内側から言葉の形で現れ出てくるものはほんの一握りだということを逆説的に表現している。付属の池澤夏樹の月報に「仮にマーガレットが実在するとすれば、彼女はいかにも『ハワーズ・エンド』を愛読しそうな女性ではないだろうか」とあってちょっとにやっとしてしまった。良くも悪くも言い得て妙。

  • 221209*読了
    イギリス贔屓のため、イギリスが舞台であることだけで喜んでしまう。
    上流階級で育ち、遺産で暮らすマーガレットとヘレン姉妹と、ハワーズ・エンドという家を持ち、いわゆる成金の一家との交流、そして愛。
    違う環境で育ち、異なる価値観を持った人たちのやりとりが描かれていました。
    コメディを観ているような、茶番ぽい部分もあったりして、そこがこの小説の素敵な味付けに思いました。
    こういうイギリスの文学はこれからも読みたいところ。

  • 3.98/271
    内容(「BOOK」データベースより)
    『人と人は真に理解しあうことができるのか。思慮深く理知的な姉マーガレットと、若くて美しく情熱的な妹ヘレン。ドイツ系の進歩的な知識人家庭で育った二人は、ある時まったく価値観の異なる保守的なブルジョワ一家と出会う。ふかい緑に囲まれた、この一家の邸ハワーズ・エンドをめぐって、やがて二つの家族は意外な形で交流を深めていく―文学や芸術に重きを置き、人生の意味を探し求める姉妹は、イギリス社会のさまざまな階層の人間に触れながら、それぞれの運命をたどっていくこととなる。人と人とが結びつき、お互いに理解しあうことはいかにして可能になるのか。愛と寛容をめぐる不朽の名作を、吉田健一の香気ある翻訳でおくる。』


    原書名:『Howards End』
    著者:E・M・フォースター (E.M. Forster)
    訳者:吉田 健一
    出版社 ‏: ‎河出書房新社
    単行本 ‏: ‎505ページ

    メモ:
    ・20世紀の小説ベスト100(Modern Library )「100 Best Novels - Modern Library」
    ・死ぬまでに読むべき小説1000冊(The Guardian)「Guardian's 1000 novels everyone must read」

  • 本書の初版が1913年、漱石の明暗が1916年。洋の東西は異なるが、社会階層や生活経済、女性の自立等の問題意識は共有されていたことがうかがえる。吉田健一流の「〜で」でひたすら繋いでいく文体に流されるように読み続けると、行ったことはないイングランドの風景に陶然となり、正直最後の方は主人公達の細かな諍いなどどうでも良いような気分に浸ることができた。

  • フォースター 「 ハワーズエンド 」

    描かれているのは 「身分や財力に上下の差があっても、人間に上下の差別はないとする人間観」


    この本で問われているのは
    *人と人との関係(人は階級を超えて理解し合えるか=精神を理解できるか)
    *人と精神の関係(精神の象徴として ハワーズエンドという家を描いた)
    *人とお金の関係

    この本で強調されているのは
    *落ち気味の資本家階級と上昇している中産階級の心のギャップ
    *家の精神性(単なる建物でなく精神の象徴であったり、精霊が宿っているようにも感じる)

    人とお金の関係
    *精神とお金は 縦糸と横糸→お金があれば カドがとれる
    *人間の死が お金が無意味であることを教えてくれる

    人と人との関係
    「人と人との関係が本当の人生」
    「人間を信じること〜人を瞞すのは人間がすることだけれど、人を信じなくなるのは悪魔の仕業」
    「私たちはみんな霧の中にいる」
    「死は人間を消滅さけるが、死の観念は人間を救う」

  • 価値観というのは、時代とともに変わるものなのだろうか。多くの人は肯定するだろうと思う。僕だってそう思っていたし、そんなこと常識過ぎて、疑ってみたこともなかったからだ。けれど、本書を読んで、この100年の間に人間の価値観はどれだけ変わったのだろうと疑問を持った。
    本書が執筆された100年あまり前の英国と今の日本とでは、あまりに考え方が違うようにも思える。だが、本質的にはどうなのだろうか、と考えざるを得ない。今でこそ息子が大学でLGBTの問題を講義で習ったりしているが、本書でもすでに性的マイノリティの問題を匂わせるような議論も提示されている。本書に登場する「教養が低い」とされる男の言葉など、つい最近の日本の政治家の下卑た発言と驚くほど似ている。
    云えることは、どんな時代でも、価値観の違いを乗り越えて理解し合うことは本当に難しい、ということではないだろうか。

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