- Amazon.co.jp ・本 (402ページ)
- / ISBN・EAN: 9784313752078
感想・レビュー・書評
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山川健次郎先生もいいけど、やっぱり山川浩さんが素敵。辛酸をなめた会津藩の家老が、明治の世でも活躍している様が嬉しい。藩主の松平容保さんへの想いもあたたかい。
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旧会津藩山川家の物語。
大河ドラマ「八重の桜」でちょいちょい出てきました。浩、健次郎、二葉、捨松と人物を輩出してます。
家柄がつくる雰囲気ってあると思う。それを表しているんだろうなあ。 -
幕末から明治以降の(旧)会津藩の求心力でもあった山川浩、健次郎兄弟の通史。山川捨松も登場する。
二人とも薩長閥が幅を利かせる明治社会の中で差別を受けながらも、実力でその地位を築き上げていく。反骨精神に溢れる生き方に共感するところ、見倣うところが多々あり。
著者には順逆史観を排し史実に忠実であろうとする姿勢が明確。健次郎の留学に際して長州の前原一誠等が支援していたことなど、新しい発見もあり。これは秋月悌次郎の人脈が活かされたわけだが、歴史の底辺ではやはり人と人との繋がりが動かしている。
東大の理学部長、総長も務めた健次郎が数学を学び始めたのが17歳。
それでも米国留学後にエール大学を優秀な成績で卒業する。
明治時代の多くの知識人にいえることかもしれないが、国家を背負う、また会津藩の復権を賭ける等、私事だけでないところに凄みが生まれるのだと思う。
以下引用~
・古典や読書などを通じて、正しい行為とはいかなるものであるかを知り、それを実践の指針にしようとする考え方=知先行後(朱子学)
・知ることはすなわち行なうことであり、行うことが知ることであるとして、体験に密着した認識の重視を表象した語である=知行合一(陽明学)
・猪苗代への移住を選択する余地もあったのである。斗南の悲惨は、明治政府の無情とともに山川浩以下斗南藩首脳たちの見通しの甘さも物語っている。
・昭和3年は、会津藩が戊辰戦争に敗れて滅藩のやむなきに至ったあの年からかぞえ、二度目の戊辰の年であった。その一月十八日、宮内省は松平容保の四男恒雄の長女節子と、大正天皇の第二皇子秩父宮雍仁親王との婚儀に勅許が下されたと発表。
ついで三度目の戊辰の年から一年後の平成元年には、今上天皇の第二皇子礼宮文仁親王と川嶋紀子さんの婚約が発表され、また会津若松市は湧いた。川嶋家の女系は、会津藩士池上武輔へとさかのぼることができるからだ。 -
これはもともと歴史雑誌に連載していた史伝で、当時(十数年前…いやもっと前か)図書館に通って全部コピーしてました(笑)。幕末マニヤの私が数多い幕末史上の人物の中でも最も敬愛しているのが会津藩の山川浩。戊辰戦争のときで24才にして会津藩の軍事総司令官、明治になって軍人になり、会津藩の汚名を濯ぐために尽力しました。新撰組の斉藤一と縁の深い人で、仲人をしたり、子供の名づけ親になったりしています。弟の健次郎は初代東大総長になった秀才。会津藩史を語るのに欠かせない兄弟。
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会津戦争で負け、滅藩処分を受けた会津藩の家老だった兄浩と白虎隊の生き残り健次郎の物語です。浩は明治時代の陸軍内の「会津差別」をはねのけて少将にまで出世します。健次郎は今で言う東大総長にまでなった人物です。著者の中村彰彦氏は、会津側から見た戊辰戦争を多く本にしている人です。薩長側から見た「勝者の歴史」ではない、本当の戊辰戦争を多く世に送り出している人です。
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幕末・明治に活躍した会津藩の士族、山川浩・健次郎兄弟の生涯を描いた本。
明治の世となった後、戊辰戦争で朝敵とされた会津藩や会津藩士を逆風から救うためにいかに山川兄弟が奮闘したかは感動の一言に尽きる。
また兄弟を支えた前原一誠らの人物の描かれ方も注目です。 -
みんな読んだらいい。
そして山川にはまるがいい。
もう超おすすめしたい小説。持ち歩いてる級。
読み返しすぎてぼろぼろになったので2冊もってる、
さらにもうひとつハードカバーがある。 -
幕末会津藩の家老でのち陸軍に入った山川浩、その弟でのちに東京・京都・九州帝大の総長を務めた健次郎兄弟の苦労と努力を描く史伝。日本女子留学生・大山捨松の兄たちですが……すごい。有能な兄弟ですがその努力と意思に頭が下がります。『獅子の棲む国』が軽かったんで資料っぽいのが欲しかったのですが、労作。面白く読みました。