- Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
- / ISBN・EAN: 9784326152537
作品紹介・あらすじ
呼びかけ‐応答しあうは、いかなるに支えられているのか。というテーマに即し、権力現象を解く。
感想・レビュー・書評
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わからん!
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前著『他者とは誰のことか』(勁草書房)で論じられた著者のシステム論の観点から、権力が発生し人びとがそれに服従するようになるプロセスを考察している。
著者は、個人そのものは社会システムの「外部」の存在だが、同時に社会の要素である行為連鎖を担うことによって社会に参与すると考える。言語は、規範的なコードによって人びとのさまざまな行為を統合してゆくための「メディア」である。しかも言語は、コードの効力をいったん括弧に入れてその妥当性を議論する、メタ・コミュニケーションをも可能にする。
ところで言語は、コードの妥当性の問いそのものを議論の対象とすることをも可能にする。このようにして、私たちは妥当性の問いを無限に遡行することができる。だが、現実の中で有限の社会的資産を用いて諸個人の行為を社会的に組織してゆかなければならない私たちは、コードの妥当性についての問いの無限遡行に陥ることなく人びとの行為可能性を縮減するために、一般的に行為空間の機能的目標を設定することで人びとの行為を期待可能性の内に取りまとめる「権力」というメディアを採用する。
〈ココ〉にいる〈私〉は、〈ソコ〉にいる〈汝〉との呼応において、〈私〉であることができるというのが、著者の考えの出発点だった。だが権力は、かくかくの場面では〈ひと〉はしかじかに行為するべきだ、という仕方で、一般的に人びとの行為の可能性に限定を加える。社会システムは、権力というメディアによって行為の可能性を制限し、行為主体である人びとを「役割」の中に絡め取ろうとする。これに対して、いっさいの役割を離れることで真に自由な自己を実現できると主張することも、社会の中での役割の他に真の自己はないと主張することも、ともに誤りである。
著者は、あくまで〈汝〉との呼応の中で〈私〉が成立するという出発点に立ち返って、そのつどの具体的な場面で「役割がどうのではなく、あなた自身としてはどうするのか?」とたがいに問うことによって、システムの「外部」の存在である個人の「人格」を相互確認することができるというのが、著者の考えである。