社会を展望するゲーム理論―若き研究者へのメッセージ

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  • 勁草書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (322ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784326550579

作品紹介・あらすじ

長い間、ゲーム理論に携わってきた著者が、ゲーム理論の課題について、また「ふるさとの崩壊」をはじめとする高度成長期から現在までの社会的計画のあり方について、必ずしもゲーム理論を専門としない多くの分野の人々に、希望を込めておくる。

感想・レビュー・書評

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  • 筆者は、ゲーム理論を中心とする経済学や数理の研究を、その黎明期から行ってきた。一方で、社会工学や計画理論に関する教育にも長く携わっている。

    本書は、そのような筆者の経歴の中で書き溜められてきた文章が再構成されている。主に第一部はゲーム理論の紹介に関する文章が集められており、第二部は経済や社会など様々な場面でつくられるようになった「計画」というものに対する筆者の考えを述べた文章が集められている。そして第三部には、研究者、教育者として長く大学に在籍した筆者が、この分野に触れ、探究を深めていったプロセス、そして社会工学などの新しい教育をどのように構想していたのかについてのエッセイなどが集められている。


    ゲーム理論の概説は、この理論の誕生から様々な分野への応用に至るまで、非常に幅広い領域がカバーされており、またわかりやすい内容になっていた。特に筆者が述べている、ゲーム理論は状況を「明確に見る」ことで起こりうる状況を発見するための装置であるという観点は、どんどんテクニカルになっていくこの分野の研究を、その意義に立ち戻って理解するために大切なものであると感じた。

    そこから、社会的に安定な解としての制度論や交渉における相互協力が生まれるメカニズムの解明などの応用が生まれてくる。幕末の勝海舟と西郷隆盛の江戸城開城に至る交渉プロセスへの応用など、興味深いトピックもあった。


    第二部の計画に関する筆者の考えをまとめた文章は、計画というものが広く社会に適用されるようになった時代を見てきた筆者による同時代的な視点が生きており、とても興味深い内容だった。

    1970年代ころから政策の分野に本格的に計画という概念が導入され、国土計画、都市計画、経済計画、家族計画など、様々な名称の計画の利用が社会に定着していった。計画に関する理論を研究している筆者にとっては、この状況は一見好ましいもののようにも思えるが、筆者は、その状況に対しても警鐘を鳴らしている。

    特に、計画する行為やその達成が自己目的化してはならず、計画自体の目的に対する倫理や、その決定における民主的なプロセス、そして計画を決定したり実行したりする主体の責任といった点が認識されていなければならないという提言は、計画万能論的な風潮を戒める、非常に重要な指摘であると感じた。

    計画自体の目的に対する倫理の観点からは、合理性や効率性だけを計画の目的とすることへの警鐘が綴られている。また、計画には予定調和的な将来像を志向する作用があるが、このような調和の幻想についても、筆者は一定の距離を置くことを勧めている。

    この点は、民主主義的な計画プロセスの観点からも重要である。なにか1つの目標に対して合理的かつ調和のとれた計画を策定することは、計画の観点から見れば美しい結果であるが、社会の多様な視点から見るとそれは必ずしも好ましいとは言えない。むしろ不調和を前提として、相互の畏敬の念に基づいた計画こそ、我々が求めるべき計画であるという筆者の意見は、大切なことを述べていると感じる。

    計画はその実行にあたっても、行き過ぎることによる弊害が生じる危険性がある。その具体的な事例として、素材化と操作主義ということを筆者は述べている。計画対象を目的追及のための道具としてとらえる視点が孕む危険性である。この観点からは計画対象者の意思が捨象され、また計画目的に合致しないものは排除される可能性がある。

    このような目的論的な計画の危険性を緩和するため、筆者は責任論的計画論という考え方を提唱している。目的論的計画が「我―それ」という関係性にもとづく計画であるのに対して、責任論的計画論は「我―我」の態度を基にしている。

    社会は様々な主体から成り立っており、それぞれが自己の目的を持って存在している。計画はそのような個々の主体の目的を前提としつつ、それらがどのように相互作用しながら社会を作っていくのかを表現したものであるべきだというのが、筆者の考えである。そして、このような社会を形づくる応答行為においては、相手に対する説明責任や予見可能性が求められる

    「計画における目的というのは、人間がお互いに生きることを認め合うという究極的な目的以外は、いかなる目的も先験的に設定することはできない」、と筆者は述べている。そして、そのような社会に対しては、相互作用を継続的に積み重ねていくことで社会を構築していくという、「責任を負うものとしての計画」のあり方を考えて行く必要がある。

    これは、各々の主体がどのように社会に参加していくかということとかかわる問題であり、各々が「社会的場において、いかに生きるか」ということを示す体系である。ゲーム理論の観点から社会を見てきた筆者ならではの、重要な問題提起であると感じた。


    本書の最後では、筆者自身がどのようにゲーム理論を学んできたか、そして筆者が関わった大学教育における提言に関する文章がまとめられている。

    筆者自身、当時は本流から離れており学際的な分野であったゲーム理論を学ぶ過程で、広い視野を持つことの大切さを感じてきたようである。そして、教育の場でそれを実践するため、東京工業大学に新しく社会工学科が設立されるにあたり、人文社会科学から理学、工学を含む幅広い領域を学ぶ場として、この学科を構想している。

    この学科は、理論から応用に至るまで、様々な研究者が集う構想になっており、高度化、複雑化する社会の課題に対応できる教育をしたいという想いも、非常によく伝わってきた。

    社会工学科の構想には、第一に社会工学の哲学的基礎としての、哲学、歴史、論理学など、第二に社会機構を解析するための心理学、社会学、経済学やシステム工学、第三にそれらを実践する技術としての、経済計画、都市計画、地域開発など、そして第四に社会的情報を工学的に処理するための情報工学という内容が、学科の構成やカリキュラムに含まれる構想になっている。

    これらは、我々が社会を知り、それに働きかけていくためにもそれぞれの分野における素養を持っておくことが望まれるものであると思う。そういった意味で、1960年代の後半からこれらのことに着目してきたということは、素晴らしいことであると感じた。


    過去に書かれたエッセイなどを再構成しているため、全体としては複数のテーマに関する本が1つにまとめられたような印象はあるが、ゲーム理論についての概略だけではなく、そこから広く社会や計画のあり方に視野を広げるという意味では、興味深く読むことが出来る本だった。

  • 3213円購入2013-03-19

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著者プロフィール

東京工業大学名誉教授

「2014年 『ゲーム理論のあゆみ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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