医学部バブル 最高倍率30倍の裏側 (光文社新書)

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  • / ISBN・EAN: 9784334043216

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  • 医学部バブル~最高倍率30倍の裏側~ (光文社新書)
    河本敏浩(かわもととしひろ)氏による著作。
    2017年11月20日初版1刷発行。

    名古屋市立向陽高校卒業後、同志社大学法学部政治学科を経て、同志社大学文学研究科新聞学専攻修士課程修了。
    大学在学中から現代文講師として活躍し、1994年から2012年まで東進ハイスクール講師(2000~01年、河合塾講師兼任)。
    現在、医学部予備校The Independent代表、学研「MyGAK」統括リーダー、
    映像講義「学研医学部ゼミ・スタンダード」統括リーダー、
    保護者対象講座担当。他に教員、講師、保護者、
    生徒を対象とする講演を毎年50回以上で行っている。
    主な著書に『名ばかり大学生』(光文社新書)、
    『誰がバカをつくるのか?』(ブックマン社)。
    医学部進学志望の受験生を持つ保護者対象のウェブマガジンを配信(医学部予備校The Independentのホームページを参照)。

    医学部入試を取り巻く現状を分析した本。
    医学部と言えば、あまりに難解なイメージがあって
    全く想像力を及ぼすこともなかった。
    かつて高校生の時期に学校から配布された進学資料に
    近畿大学医学部入学金100万円と記載されていて仰天した事を覚えている。

    真摯に医学部を目指しているが、合格が難しい現状が
    よくわかった。それだけに昨年2018年に発覚した私立大学医学部の不正入試はもっと大きく非難されてしかるべきだろう。
    私自身も認識を改めた。当時は私大医学部なんて元々
    そんなもんやろうと思っていたからだ。
    ただそこをまじめに目指している人たちがいかに熾烈な
    競争の中にいるか・・・まるで知らなかった。
    それだけに医学部を目指される方はこれだけ厳しい世界に挑むのだという覚悟を持つ意味でも本書を一読した方が良い。
    また学力を伸ばすということ、受験の資質というものを
    理解しておくことは医学部以外の受験においても参考になるだろう。

    印象に残った点を列挙すると

    国立大学医学部に合格するためには、まずセンター試験で最低限85%の得点が必要だ。
    さらに、高度な出題を基本とする二次試験も熾烈を極める。

    (昔から国立大学の)医学部入学熱は一貫して加熱し続けていると言える。

    今や私立大学の医学部の偏差値は、早稲田、慶応の
    理工学部と並ぶ(あるいはそれ以上)までになっている。

    医師の世界にはある種の役割分担がある。

    研究医(研究を主とし実際の患者の診察は研究に資するためのものに限定される)

    臨床医(診察主体の医師)

    研究医を目指すならば、国公立大学や、戦前から存在する
    慶應義塾大学医学部のような入学難度の高い私立医学部を出ていた方がよい。

    私大医学部の難度が上がった要因

    開業医の子供たちが殺到
    1970年代の新設医学部の設立時に医師になった方の子供

    母親の意識
    有形無形の資産としての医療法人を持つ家族の一員たる母親が子供に何を望むか

    女性志望者の増加
    医師家庭でも男女、兄弟姉妹揃って医師を目指すという構図
    2012年、2013年にこの傾向に拍車がかかった。
    私立医学部は相当な費用を要するが、贈与税の法改正があり祖父母からの資金援助を得やすい環境が整えられた。
    祖父母からの学費援助、塾予備校の費用援助が可能となった。

    なぜ子供達が医師になりたがるのか

    報酬と称賛の絶対的安定性
    報酬面の安定性と並んで、あるいはそれ以上に、医師という職業によって得られる尊敬の念

    官僚や大企業の社員になるためには、大学在学中に、
    かなり合格率の低い試験に臨まなければならない。
    その点、医学部に入学すれば、90%以上の確率で医師に
    なることができる。国家試験は大変だが、それは志望者をふるいにかける試験ではない。この点に、医師という職業の特性があると言える。

    地方の勉強のできる高校生にとって最高の選択
    生まれ育った場所での安定的な仕事として最高のものである

    民間理系研究の仕事は、都市型の仕事であり、その道に進むと地元に残って生きることはほぼ断念せざるを得ない。
    それに対して、過疎の進む地域における魅力的な理系職業は、技官系の公務員、教師、そして医師のみと言ってよい。

    世襲を誘発するキャリア教育
    人生の選択に関与する「キャリア教育」は深めていけばいくほど世襲が起こりやすくなってしまう。
    選択肢が多様になればなるほど、実感の伴った選択は困難になり唯一リアリティのある仕事が、親の職業ということになるからだ。

    進路選択を子供と母親に任せ、どんな選択でも尊重しようと身構えている父親(医師)を前に、子供が医学部志望を表明して驚かせる、という構図は、おそらく珍しいものではないだろう。
    どんな職業であれ、子供が親と同じ職業を目指すという構図は、親にとってみれば自分の人生に対する最大の承認であり、これを喜ばない親はまずいない。
    こうして、まず(勤務医であれ、開業医であれ)医師が家庭にいる子供が、医学部入学を熱望することになる。
    たとえ子供に志望が私立医学部で、学費が数千万円かかろうが、親はとことん支援する態勢作りに邁進することになる。

    一般入試で第一志望に合格するのは、なかなか困難なことだ。
    自らの学力と志望大学の求める学力との距離感に敏感でなければならないことが、わかっていただけただろうか。
    ある意味、厳しい部活に入部し、厳しい試合を重ねていくことに似ている。
    一般入試は、少数の強烈な成功体験と多数の(強弱はあれど)敗北感に覆われる世界である。
    多くの高校生が、消極的な選択として推薦入試に向かうのも納得できる面がある。

    慶応の法学部は、私立大学法学部の頂点だが、その入学式には東京大学に落選し、不本意にも入学を決断せざるを得なかった新入生が少なからず存在する。そして立教大学法学部には早稲田や慶応の落選組が多数存在する。さらに日本大学法学部には立教大学と同等レベルの法学部を落選した者が多数存在する。

    現在の高校、あるいは私立中高一貫校は、受験者(ほぼ)全員合格というところも少なくない。こうした学校の在学生は、多くのケースで中間・期末テストの対策程度の勉強に終始し、知識の蓄積を放棄している。

    こういう高校に所属する生徒の多くは、蓄積型の勉強には向かない。
    そして、生徒集団に蓄積型学習を拒まれると、唯一の勉強の機会である、
    中間・期末テストも簡略化の一途をたどる(全員を赤点にするわけにはいかないため)結局、受験勉強へとつながる学習環境が崩壊してしまうのだ。

    受験勉強の背後には、金銭や文化的蓄積を軸とした家庭環境の問題が存在する。加えて親自身の学習体験や大学受験体験がなければその初歩的な心構えやノウハウも存在しない。
    金銭的な問題だけでなく、合理的なノウハウの入手方法すらわからない家庭では、受験勉強は疎遠なものになるだろう。
    ゆえに、大学進学に関する成果をすべて高校生受験生個人の問題に帰するのは、あまりにも酷である。
    高校生受験生が平等の立場で競争しているという考えは、やはり「神話」と言わざるを得ない。

    勉強は努力の所産ととらえられがちだが、一定の努力をすれば誰もが同じ成果を得られるわけではない。そこにはどうしても「生まれながらの資質」がついてまわる。

    極めて簡略化して言えば、勉強の出来不出来には「生まれながらの資質」の問題がついてまわる。特に得意科目、不得意科目が生じる要因については明らかに資質の差が大きいように思われる。

    受験において、環境には回収できない「資質」が鋭く問われるのは最上位の競争である。中でも旧帝国大学医学部の合格者総数は毎年600名程度で、これはトップアスリート級と言っても過言ではない狭き門だ。この門を潜るためには、受験勉強について高い「資質」を持つ者たちの間の熾烈な競争を勝ち抜く必要がある。

    親の手によって、人工的にトップアスリートや旧帝国大学医学部合格者を輩出することは、不可能だと思う。
    早期教育を行うならば、将来を見据えて一つのことに焦点を絞るのではなく様々な領域の習い事に触れさせ、どこに「適性」があり、何を苦手とするかを見出す基準程度にとらえるのがよいのではないか。

    将来○○にさせたいから、5歳からそれに向けて教育を一心に行うというのは、(そこに「適性」がなければ)子供に息苦しさ、生き辛さを与えるだけだろう。そして、そういう事例は少なくないはずだ。

    受験競争の世界は、東京大学理科三類を含む旧帝国大学医学部といった頂点の競争を除けば「何とかなる」ものだからだ。

    人間には「適性」「資質」の拭いがたい影響がある。
    だから、そのことを自覚したうえで、それを乗り越えるためにどのような努力や選択が合理的かということを考えるべきなのだ。

    私立中学入試対策の終盤戦、そのタイミングでの最上位クラスでの順位付けは、絶えることなく続くテストのラッシュの果てに、受験勉強に対する「適性」がどれほどあったか、といった当たり前の事実を提示しているに過ぎない。
    私立中学の合格実績を競うタイプの塾の存在意義は、最高難度の中学の受験問題に適した「資質」を持つ者たちを選抜し、その者たちをテストの連鎖で格付けをしていく仕組み自体にある。
    クラスの昇降の基準となるテストを、スポーツの試合のように気持ちを込めて受け、そこで好成績を残せるのは、一様にその「資質」を有している者たちである。
    また、私立中学入試は、各科目で込み入った問題が出題されるが、それは基本的には大学入試の雛形である。
    つまり、私立中学入試への高度な適応は、そのまま難関国立大学の入学試験への適応につながる。
    よって、極めて当然のことだが、競争が激しい難関中学であればあるほど、接続する高校の大学進学実績が良好となる。
    あまりにも自明のことではあるが。

    東京大学の合格最低点は、難度最高峰の理科三類で60%台後半から70%程度。年度によって異なるが、最も入りやすい時で50%台である。

    この合格最低点の割合は、東京大学合格率最高峰の筑波大学附属駒場、開成、灘の中学入試の最低点の割合とほぼ同じなのである。
    勉強ができる学生を対象にしながら、それでも40%程度の「解けない」問題を共に用意しているわけだ。
    →難関国立大学入試との接続性がある

    慶應義塾中等部の合格最低点は(非公表だが)80%を超えると言われている。つまりここで問われているのは、比較的与しやすい問題でミスをしない学力であり、難解な問題に戦略的に取り組み、点数を積み上げていく学力ではない。
    当然のことながら、慶応義塾中等部は難関国立大学入試との接続性を欠いている。

    難関大学の進学実績を向上させるためには、難解な大学入試問題に対応できる「資質」を持つ者を、難解なテストでふるいにかけ、さらに広く集める、という施策が非常に重要になる。

    →東京都立日比谷高校、東京都立西高校の躍進の背景
     一般の公立高校の入試問題と切り離し、問題の難度を上げた
    (特に数学の難度が上がった)
    2003年に学区制を廃し、都内の中学生を広く受け入れる

    大学入試に直結した「資質」を持つ者をいかに集めるか
    これこそが重要なのである。

    (東大理科三類や京大医学部は現役有利なため)時間のアドバンテージは非常に希薄と言わざるを得ない。

    医学部受験の競争には、3つの層があると考えられる。
    一つは、東京大学理科3類や京都大学などの、旧帝国大学医学部レベルの最難関校を争う第一の層。
    もう一つは、地元の大学がよいが国立大学ならば基本的にどこでもOKという第二の層。
    さらに私立大学医学部を基本として受ける第三の層である。

    私立大学医学部志望の受験生は、医療法人の跡継ぎで、親や親族の期待を背負っている場合が多く、合格するまで降りることのできない修羅の道を行くことになる。その多くは、二浪までに何とか合格するが三浪、四浪、五浪にまで進むケースも少なくない。
    実際、2014年における私立医学部の三浪以上の合格者は20%弱、
    対して国公立医学部では10%強である。

    2014年の国公立医学部 現役・浪人比率
    現役 45.3% 一浪 34% 二浪 10% 三浪以上 11%

    2014年の私立医学部 現役・浪人比率
    現役 28.6% 一浪 32.8% 二浪 19.5% 三浪以上 19.1%
    (学校基本調査から算出)

    三浪、四浪比率の高い私立医学部の入学試験は、相当な激戦区になっている。
    国立医学部の滑り止め組の参入に加え、ここ数年で志願者が激増したため、1点の違いが重くのしかかってくる。
    浪人生の戦いがより激しくなるのが、私立医学部なのである。

    そもそも医学部は、定員に対して一人の誤差も出すことがないよう、一人一人執拗に繰り上げ合格を行っていく。
    それは、医学部は学生に対する教員比率が格段に高く、
    教育設備の予算も莫大で、多額の費用が投入されていることに起因する。
    ゆえに定員管理は厳密に行われる(医師養成は国策とも言える)。

    真摯な努力家が跳ね返されるのが、今の医学部入試、特に私立医学部の入試状況である。

    三浪以上に向かう受験生は、数学に困難さを抱える者が圧倒的に多い。
    というのも数学は、一度苦手意識を持つと、相当にやっかいな科目になるからだ。

    現在の受験システムでは、数学の不得意な者が、受験から数学を外す環境が整っているということになる。すると、何が起こるか。
    高校3年生、浪人生が参加する全国的な模擬試験では、春、夏、秋と時節が進むに従って、数学受験者は、数学を勉強し続けた者たちのみで占められるようになる。
    つまり、母集団の学力レベルが高いのである。
    これでは偏差値はなかなか上がらない。あたかも岩盤のような壁が存在しているかのようだ。

    (英語は文系、理系を問わず全員参加なので)この母集団の中で偏差値を上げることは、数学ほど困難ではない。同じ偏差値65を目指したとしても、英語は偏差値を上げやすく、数学は上げにくい構造になっているのである。

    加えて、国立・私立中学の受験者増加は、小学校の塾通いを通して算数のレベルを引き上げる。適性のある者に対しては、さらに極めて難度の高い問題を提供する。この点を考慮すれば、そもそも中学入学段階で、算数、数学には大きな差がついているのである。
    (当然、中学入試では、受験科目として英語はほぼ存在しない)

    さらに着眼すべき側面がある。それは数学には抽象的な思考力が求められる点だ。
    国語や英語は言語に関わる科目である。
    そして人間は成長するにすれ、自然に言語能力が高まり、理解できない言葉、読めない漢字もどんどん減っていく。
    英語は単純な暗記学習が大量に控えているが、それをクリアすれば、扱っている文章内容は高度なものとは言えず与しやすい。
    現代の入試英語で、訳された日本語を読んで言わんとしていることが理解しがたいという受験生は非常に少ないだろう。
    少なくとも解答や訳を見れば、自分の解答の正否が概ね判断できるはずだ。
    こういう意味で、言語能力の成長によって自然に学力が高まる科目なのである。
    それに対して数学は、年齢を重ねれば自然に力がついてくるということはない。
    抽象的な思考を好み、その訓練に充実感を見出せる者でないと、立ち向かえない科目である。仮に準備なしで大学受験数学の問題を解かせたら、解答を見ても解説を見ても、そもそも何が書いてあるのかすらわからないだろう。
    大胆に言えば、「英語が苦手」と「数学が苦手」は同列に論じることができないのだ。

    数学は言語系科目とは異なり、その克服の過程が明らかになっておらず、努力を傾けても傾けてもなかなか報われない受験生が多い。

    (和田秀樹氏、福井一成氏による受験指南書で数学は暗記だという指摘は昔からされてはいる。されてはいるが、数学から撤退する人間が続出している事から目をそらすべきではなかろう)

    数学を苦手とする者にとっては、手間と時間と良き指導者の三要素が必要であり、その上で、数学を苦手とする者特有の欠点を是正していかなければならない。

    数学の指導者には、絶対に数学ができるようになる、と豪語する者が少なくないが、そういう指導者の指導を受けながら、成績が向上しない
    事例は枚挙にいとまがない。(受験生が数学という科目から退去し、私大文系に向かうケースは非常に多い)。

    数学の克服が、英語や国語ほど簡単でないのにはいくつか理由がある。
    まず、数学的思考が、日常とほとんど連動していない点が挙げられる。
    言語を離れて人間は生きていくことはできないが、数学で問われる思考様式は、言語のように生存に必要なものではない。

    与えられた条件を整理し、問題の意図するところを正確に読み取り、観念的な思考を組み立て、見出しにくい着眼点を発見していく思考プロセスは、高度な仕事をする際の遂行過程と似ているが、日常的思考と連動しているわけではない。

    数学は)基礎分野のみの学習では微々たる報酬しかなく、即効性に欠けることである。嫌気と戦いながら、それでも学習を継続していかなければならない消耗戦なのだ。

    基礎トレーンングを重ねたとしても、英語のように感動体験が押し寄せるわけではない。基礎トレーニングで得た知識は正解を導くだけの単なる前提となるだけで、難解な問題の突破口になるわけでもない。
    英語では、難解な単語の意味を一つ判別できただけで、下線部和訳の問題を正解することもできるが、
    数学において基礎トレーニングはあくまで基礎トレーニングに過ぎず簡単な基礎問題が解けるのみである。

    (これは数学は暗記だという指摘を受けて解法暗記に取り組んだものの、定期試験レベルでは解けるが、模擬試験レベルになるとお手上げだった事と通じるなと思った。学校の習うレベルと直結してないと思う事がよくあった。日本史(社会科)などとの大きな違いだ)

    数学Ⅰは数学IIより簡単というわけではなく、分野の違いに過ぎない。数学Ⅰの領域だけで、いくらでも難解な問題を作ることができてしまう

    ただでさえ、量の面で厳しい基礎トレーニングをこなしながら、さらに発想を磨くための演習までこなさなければならない。
    しかも、それが多ジャンルにわたる。

    医学部受験では、数学の克服が通過儀礼のように求められているだけと言っても過言ではない。つまり数学は受験期においてのみ克服すべきものであり、入り口をくぐるための努力として求められているに過ぎないと言える。
    (これは殆どの国公立文系にも当てはまるだろう。経済学部でも 数学を使うというが、受験数学とは異なる教育を施した方が良い今の日本の受験数学は単に難易度調整のための科目になっている)

    微積ができなければ工学系の学部に進学するべきではないが、数学ができなくても医師の適性を欠くというわけではないので、医師志望を捨てる必要はない。

    そもそも日本の大学受験は数学ができる者を優遇する仕組みを持つ。

    様々な高校の進学実績を見ると、生徒の数学の成績と連動していることがうかがえる。
    すなわち、良好な進学実績は、数学の成績が良好な者をどれだけ抱えているかで決まるのだ。

    都立日比谷高校の躍進は、入学可能な地理的範囲を拡大し、数学の問題を難しくした点にあったことを思い返してほしい。
    高校の努力もあるだろうが、それ以上に「資質」を持つ者を選別し迎え入れている事実の方が重要だと考えるべきである。

    地方の公立進学校から医学部合格を目指し、多浪する者は多い。
    これは公立高校入試では県下一斉の同一試験を採用せざるを得ず問題が簡単になり、後の高度な受験数学に対応できないレベルの受験生でも、入学難度の高い公立高校に合格できてしまうことによる。
    公立中学の学習レベルは、難しくなりすぎないように難度が調整されており、実際、それほど勉強しないで地方公立高校のトップ校に合格する者も少なくない。
    その受験生が、数学に対する「資質」を持っていれば問題ないが、数学を得意だと感じないまま、言語系科目や社会などの好成績で合格してしまうと、入学後の学業成績が一気に不振に陥る。

    地方公立高校で、県下一斉試験を採用しているトップ校の進学実績と難関国・私立中高一貫校の進学実績を同じ学年で比べても開きがあるのは数学に対する「資質」の差だと言える。

  • 予備校講師らしく、現状の医学部進学学生の適不適を喝破。医学部、学生、社会的背景の分析も論理的でわかりやすい。

  • 東2法経図・開架 B1/10/915/K

  • 日比谷高校 進学指導重点校 入試問題のコンセプトチェンジ 簡単な問題で90点取るのと、難解な問題で60点取るのは意味が異なる

    難関大学の進学実績を向上させるには、難解な大学入試問題の対応できる資質をもつものを、難解なテストでふるいにかけ、さらに広く集めるという施策が非常に重要となる

    数学には抽象的な思考力が求められる

    英語が苦手と数学が苦手は、同列に論じることができない

    英文法 nextstage vintage


    東進ハイスクールが発見したのは、学力が上がる具体的道筋。英文法の理解定着が、その後の受験英語の学力に必須である

  • これを読んで私立の医学部のイメージが大きく変わった
    今の受験生がいかに勉強して入学しているかよくわかった
    その後の選抜がほぼないだけに、入学が大きな関門となっていることはあるのだろう
    一点気になったのは著者は数学は選別のみに有用で臨床には無関係のように書いていたが、医学が科学の側面を持つ以上全く無関係ではない
    むしろ、確立や統計などへの理解が現在の医療の必須事項であり、入試しか関門がない以上そこで数学的才能を問われるのは致し方ないと思われる

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