写真はわからない 撮る・読む・伝える――「体験的」写真論 (光文社新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334046019

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  • 小林紀晴が初の写真論『写真はわからない 撮る・読む・伝える――「体験的」写真論』 を刊行:Photo & Culture, Tokyo
    https://photoandculture-tokyo.com/contents.php?i=432

    ◆言葉と向き合う複雑さ潜む[評]大竹昭子(作家)
    写真はわからない 撮る・読む・伝える──「体験的」写真論 小林紀晴(きせい)著:東京新聞 TOKYO Web
    https://www.tokyo-np.co.jp/article/177259?rct=book

    写真はわからない 小林紀晴 | 光文社新書 | 光文社
    https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334046019

  • 写真家でありカメラマン、大学教授でもある筆者による、これまでの試行錯誤の軌跡、経験に基づいた写真論。
    特に写真が趣味という訳ではないが、写真の向こう側で、ファインダーを覗いている写真家がどういう思いや思考でシャッターを切っているのかを少し垣間見れる1冊。
    これまでと少し違った角度や思いで写真を見れるかもしれない。

  • 著者が審査員をするときの基準としてあげている、新鮮であるか、新たな価値観の提示になっているかは、論文にも共通するなあと思った

  • 自分にはまだ写真がわかるとかわからないとか語るレベルに到底到達していないことだけはよくわかった。わかるわからないっていうのは人の思考にとってとても大切ですね。

  • 大好きな写真家の写真論。こんなこと考えながら撮ってるんだなと分かったけど、ルポ読みたいな。

  • 視界から得られる考え事の連鎖。それが醍醐味だと思います。
    写真の解釈の理解と誤解について、鏡の節でわかりやすく論じられていました。

    昔は撮るのが楽しくてたまらなく、何でも矢鱈にシャッターを押していました。
    最近は撮りたいと思った時しか撮らなくなったのですが、それを肯定して頂けたような気がして、救われました。

    拝読したことで、写真は確固に散漫に思考を働かせる人間に与えられた断片を残す手段だと、改めて思いました。

    小林さんの経験から得られた気づきがふんだんに記載されていました。興味深く拝読、1日で読了できました。

  • 頭の中の整理がついた。

  • この書籍でいう写真とは「写真作品」という意味合いがほとんど。作品としての写真とはどうあるべきだろう、という問いに対して「わからない」、つまり、「決まったものはない」、ということ。たかがシャッターを押した瞬間の記録である写真ではあるが、何かを伝えたい、という明確な「意思」を持った写真があるのは事実で、意思の主体は写真家である。写真家はその意思を写真を通してどうやって伝えていくのか、そこに初めて、撮影のテクニックやテーマの選び方、といった方法論が生まれていく。表紙帯にある「いい写真」とは、鑑賞者側からすれば「伝わってくる写真」であり、写真家にとっては「伝えることのできる写真」ということだ。それについての著者が現場で得てきた体験的方法論であり、写真を撮って、撮るだけでなく、作品として発表しようとしたことがある人には面白いと思う。

  • ・消費されてしまう写真とそうでない存在
    ・道具あってのフォトグラファー。最新の機材を使うのは当然のこと。
    ・フォトグラファーになるための条件は「写真よりも興味があるものを持っていること」
    ・写真を「窓」か「鏡」のいづれで見るか。
    ・自分の写真をいかに客観的にみることが出来るか。
    ・「作品に質は量に比例する」森山大道
    ・携帯電話とメールアドレスがあれば、多くの仕事は成立する。
    ・答えは決してひとつではない。
    ・写真を通して「何がしたいのか」
    ・二つの基準
     新鮮であるか
     新たな価値観の提示になっているか
     「自分には撮れないと思わせてくれるもの」

  • 著者作品は、かれこれ3冊目。
    同世代ということもあってか、なんとなく手に取ってしまうことが多い。

    考え方も近い?

    「どうしたら写真を撮る者になれるのか。それは、写真より好きなものを持つことができるかどうか — これに尽きると思う。」

    まさに御意。写真を職業としていない自分などはまさにそうだ。好きなものを記録しておきたい、写し留めておきたい。あるいは、目的のために利用したい。そのための写真だ。

    また、村上龍の「切り取られた一瞬」という一文を引いて語っているように、撮影者として、その場所に行くこと、居てられることが、一つの才能である、というのも、大いに賛同。

    そして、写真について考えれば考えるほど、わからなくなる、という思いも同じだ。

    自分の写真展の前に、写真について反芻することができて良かった。
    YAJ写真展『エール』@Gallery-T、江ノ島 https://mfk-photos.com/archives/2511

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著者プロフィール

1968年長野県生まれ。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。新聞社カメラマンを経て1991年独立。アジアを多く旅して作品を制作する。また近年は日本国内の祭祀、自らの故郷である諏訪地域などを撮影している。紀行、ノンフィクション、小説なども執筆。近著に『まばゆい残像』『孵化する夜の啼き声』『深い沈黙』など。1997年『DAYS ASIA』で日本写真協会新人賞、2013年『遠くから来た舟』で第22回林忠彦賞を受賞。2021年に初監督映画作品『トオイと正人』で国際ニューヨーク映画祭、南京国際映画祭入賞。東京工芸大学芸術学部写真学科教授。

「2021年 『深い沈黙』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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