パンツを捨てるサル: 快感は、ヒトをどこへ連れていくのか (カッパ・サイエンス)
- 光文社 (1988年4月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334060343
作品紹介・あらすじ
ヒトは、パンツをはいたサルである。パンツは、ヒトを人間たらしめているものだ。このパンツは、それを脱ぐときの快感のためにある。これが、栗本理論、すなわち過剰=蕩尽理論の核心である。そしていま、ついにパンツを脱ぐときがやってきた。脱ぐだけでなく、捨ててしまわなければならないのだ。その結果、ヒトはヒト以外の生物に「進化」するだろう。それは同時に近代社会の崩壊を意味している。
感想・レビュー・書評
-
ジャレド・ダイアモンドについて話題にした時、友人が触れたのが栗本慎一郎だった。かなり古いが、パンツをはいた猿は有名だろう。その後彼は政治にも携わり、バラエティ番組にも頻発に登場した後、半身不随にもなっている。しかし、私は知らなかった。そして、この本で初めて彼を知った。
しっかりと意識を保たないと、この本はトンデモ本に読めてしまう。それほど、論理に飛躍があり、しかも今となっては古く、更に著者がいかがわしいのだ。しかし、内容の一部は素晴らしく、今となっては通説とも言えるだろうか、ウィルスによる人類の歴史を説いているのである。そう、この点で、ジャレド・ダイアモンドと繋がったのだ。
読んでいて楽しい。古いと書いたが、その分、当時の雰囲気を味わえる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著者の思想にそれほど通じているわけではないのですが、いくつか著書を読んでいく中で、この人の思想を3つくらいの時期に区分できるのではないかという気がしています。アカデミズムの枠内にとどまって、カール・ポランニーの経済人類学の紹介をおこなっていた頃が第1期、カール・ポランニーやバタイユの思想をヒントに編み出した「過剰‐消尽」理論によって人間の諸現象を読み解き、ニュー・アカデミズムの思想家の一人として立った頃が第2期、そして、文明の変遷のウィルス原因説など本格的なトンデモ理論が思想の前景に出てくるようになったのが第3期と、このように理解しています。ちなみに、それぞれの時期の代表的な著作は、第1期は『経済人類学』(講談社学術文庫)、第2期は『パンツをはいたサル』(光文社カッパ・サイエンス)、第3期は本書『パンツを捨てるサル』(光文社カッパ・サイエンス)といった感じでしょうか。また、政界に進出して実践の中で思想を展開していくことになった時期以降を独立に立てて、第4期とすることができるかもしれません。
そんなわけで、本書以降の著者はトンデモへの傾向を強めていったという印象をもっています。前著『パンツをはいたサル』では、過剰なエネルギーを抱え込むことになった人間が、カオス的な「外部」へと関わらざるを得なくなったことが説明されていました。こうした考え方を受けて、本書では人間の遺伝子レヴェルでウィルスという「外部」が深く食い入っていることが説明され、この「外部」と「内部」とのダイナミズムが、人間を快感へと駆り立て、人類の文明を動かして来たと主張されています。
生物学・歴史学の実証性はとりあえず棚上げして、思想の問題として考えてみても、「外部」と「内部」のダイナミズムをあまりにも実体的に捉えているところに問題があるような気がします。