土台穴 (文学の冒険シリーズ)

  • 国書刊行会
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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784336039545

作品紹介・あらすじ

「私的生活30周年を迎えたその日、ヴォーシェフは、彼がそれまで生活の資を得ていた小さな機械工場を解雇された。通知状には、体力のなさや思考癖がいよいよ目だち、全体の作業テンポを著しく乱していることを理由に現場から取りのぞかれると記されてあった。…」自らの存在に不安を覚えつつ、ヴォーシェフは生活の糧を求め、永遠に快適な生活を約束する共同住宅の、建設現場へとたどり着く。そこには、貧しい食事と厳しい自然に苛まれながらも、理想の住宅を作るために土台となる穴を掘りつづける労働者や技師たちがいた。朝から晩まで、骨身を惜しんで働きつづける男たち。やがてそこに、1人の孤児の少女が現れ…。驚倒すべき視覚的イメージと、異様ともいえる言葉の衝突で、現代に生きる人間の孤独と生死を超えた宇宙の営みを描き出し、「20世紀のドストエフスキー」と異名をとる、今世紀ロシア最大の作家の幻の傑作。

感想・レビュー・書評

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  • 2024/1/9〜19(計10日間)

    1/9(火)  p.3~23
    自然の擬人化が多め? 抑制的だがやや独特な文体。生きることの哀しみ、憂鬱さ。『あまりにも騒がしい孤独』を少し思い出す。

    >陽が西にとっぷりと傾くまで、ヴォーシェフは黙々と町を歩きまわった。それはまるで世界が広く知られる時を待ち望んでいるかのようだった。しかし彼には、この地上のことがあいかわらずぼんやりしていて、何もないのに、何かがはじまるのを何も妨げない静かな場所が体の闇にあるのを感じていた。 本人不在のままで暮らす者のように、ヴォーシェフは人々のそばを散策し、 嘆き悲しむ頭が力を増していくのを感じつつ、ますます自分の窮屈な悲しみへ引き籠っていった。 p.15
    こういう文章が頻繁にある。「世界」「体の闇」よく出てくる

    主人公ヴォ―シェフはASD傾向っぽい。というか三人称の語りそのものが。「世界」とか、やけに抽象的に風景事物を捉えている。
    もう「土台穴」出てきた。主人公たちの労働現場か

    >空き地に技師が一人立っていた。年老いてはいなかったが、その白髪には自然の年輪が刻まれていた。彼は世界全体を死体のように想像していた。彼は世界を、自分がすでに建物に変えた部分によって判断していた。世界はいたるところ自然の惰性という意識にのみ閉じられた彼の注意深い空想的な知恵に屈していた。物質はつねに正確さと忍耐力に屈していた。よって、物質は死んでおり、虚ろなのだ。しかし、人間は生きていて、もろもろの倍しい物質のなかにあって価値があった。だから技師はいま、職人たちの組合(アルテリ)に丁重に微笑みかけていた。 技師の両頬が、十分な栄養のせいではなく、心臓の余分の鼓動からピンク色に染まっているのにヴォーシェフは気づいて、この男の心臓がいきいきと脈うっていることが気にいった。 pp.20-21

    >「土の下にはなぜか傲慢さがあったんだが、ここは粘土が出はじめた。 じきに石灰石が出るぞ!……わけないことさ。起こるべきことが起こったんだ。鉄なんぞで土を掘るなよ。 そんなことしたら、バカ女みたいに土が寝ちまう。やれやれ!」 p.22
    どゆこと?

    >粘土の素っ気なさと、アルテリの擁する人手が足りないという意識から、チークリンは古い土壌を急いでつき崩していき、おのれの体の全生命を、死んだ地面に打ちつけることに向けていった。彼の心臓はいつも通りに脈うち、がまん強い背中は汗で憔悴し、皮膚の下には余分の脂肪がまったくなかった。彼の古びた血管と内臓は皮膚の表面に身を寄せあい、計算や意識はないながら彼は的確に周りのものを感じていた。かつては彼も若い頃、娘たちに愛されていた。おのれを惜しまず、すべての人々に捧げられた力強い体、どこへでもゆったり歩いていく体に対する貪欲さからだった。その頃、いろんな女たちがチークリンを必要とし、彼の誠実なぬくもりに保護と安息を求めた。しかし彼は、自分にも何かが感じられるようにあまりに多くの女たちを保護しようとしたため、嫉妬した女たちや仲間たちから見放された。そして、チークリンは寂しくなると、夜ごとバザールの広場に出向いていっては屋台を倒したり、どこかへ持ち去ったりし、それがためにやがて牢獄で苦しむはめとなり、桜の咲く夏の夜に彼はそこから歌を歌うのだった。 pp.22-23
    「かつては彼も若い頃……」からの、ヌルっと簡潔にサブキャラの個人史を描写する手つきがうまい。そして最後の一文で飛躍する。

    いつのまにか人名がたくさん出てきててもう分からなくなった。

    1/10(水) p.24〜37
    上部構造とは、精神活動、文化みたいなものか

    >すでに黄昏が迫り、遠くで紺青の夜が立ち上がり、眠りと涼しい息吹を約束していた。まるで悲しみのように、大地の上に死んだ高みが漂っていた。 p.29

    「大地の上に死んだ高みが漂っていた」??

    >プルシェフスキー技師はすでに二五歳の時から自分の意識が圧迫され、生命のさらなる理解に終止符が打たれているのを感じた。暗い壁が、感じとろうとする彼の知恵の前に執拗に立ちはだかっているかのようだった。それ以来、彼はその壁のそばで悶々とし、つまるところ、世界と人々が一つに結合した物質のもっとも中心の、真のなりたちを体得した、として心を落ち着かせた。欠くべからざる全ての科学は意識の壁の前でいまも足踏みしているが、壁の向こう側には、ことさらめざさなくてもよい退屈な場所があるだけなのだ。しかしそれでも、だれか、その壁をよじ登り、出ていったものがいたか、ということには興味があった。 p.32

    この後、プルシェフスキー技師が自殺を決心した


    1/11(木) p.38〜71
    ふたりの男がそれぞれ工場主の娘とすれ違ったエピソードを引きずっている。
    ヴァーシェフが主人公というより、土台穴の工事関係者たちの群像劇か。
    男しかほぼ出てこない、めっちゃホモソーシャルっぽい空間。
    引退して年金生活に入ることができるのか→コズローフ。怪我や病気などの事情がないと駄目?

    > ジャーチェフは台車ですでにすぐそばまで来ていた。やがて台車を後ろに引くと、勢いをつけて突進をはじめ、コズローフの腹めがけ全速力でもの言わぬ頭を突っ込ませた。コズローフは恐怖のあまりひっくり返り、最大限の社会的利益という願いをしばし失った。チークリンはかがみこむと、台車もろともジャーチェフを持ちあげ、勢いよく空中に放り出した。ジャーチェフは運動のバランスをとると、飛行線から辛うじて言い分を伝えることができた。「なぜだ、ニキータ! おれはやつに、第一等の年金をもらってほしかったんだ!」そして彼は落下の力を借り、体と地面の間で台車をばらばらに砕いた。 p.66

    いきなりバトルアクションパート始まって草
    「片輪者」ジャーチェフいいな。足は不自由だけど台車を使えるというキャラ立ち
    こんだけガッツリ社会主義体制批判みたいなことしてるのに弾圧されないのは、周りのこいつらも結局は体制に抑圧される労働者階級だからなのか→いやジャーチェフは資本主義・ブルジョワ階級ガチアンチで社会主義にはむしろ賛成か。


    1/12(金) p.72〜93

    >チークリンは、自分が大人になり、うかうか感情を浪費し、遠い土地を歩き回り、いろんな仕事をしてきたことが、悲しくもあり、神秘的でもあった。 p.73

  • ロシア語のテキストで紹介されていたので読んだ。不思議な小説である。

  • [ 内容 ]
    「私的生活30周年を迎えたその日、ヴォーシェフは、彼がそれまで生活の資を得ていた小さな機械工場を解雇された。
    通知状には、体力のなさや思考癖がいよいよ目だち、全体の作業テンポを著しく乱していることを理由に現場から取りのぞかれると記されてあった。…」自らの存在に不安を覚えつつ、ヴォーシェフは生活の糧を求め、永遠に快適な生活を約束する共同住宅の、建設現場へとたどり着く。
    そこには、貧しい食事と厳しい自然に苛まれながらも、理想の住宅を作るために土台となる穴を掘りつづける労働者や技師たちがいた。
    朝から晩まで、骨身を惜しんで働きつづける男たち。
    やがてそこに、1人の孤児の少女が現れ…。
    驚倒すべき視覚的イメージと、異様ともいえる言葉の衝突で、現代に生きる人間の孤独と生死を超えた宇宙の営みを描き出し、「20世紀のドストエフスキー」と異名をとる、今世紀ロシア最大の作家の幻の傑作。

    [ 目次 ]


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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • ソ連の共産主義社会を描いた小説。
    いわゆる底辺労働者の描写が主で非常に暗く、救いがない。

    別に読んだプラトーノフ短編集のほうが個人的には好みであるが、労働者の中、1人瑞々しい生気を纏った少女の存在感は素晴らしかったと思う。
    人々は彼女のような子供にしか未来を見られなかったのではないだろうか。
    (もっともその未来もかすかに見える程度だろうし、既に共産主義、或いはソ連の社会によってゆがめられたレンズを通して、かもしれないが)

  • 二十世紀の「阿呆舟」として。

  • 暗い。
    とにかく暗い。
    これほど救いのないようのないはなしは無いくらい暗い。

    弱っているときに読んでは読んでは絶対にダメ。

  • 100

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著者プロフィール

アンドレイ・プラトーノフ(Платонов, Андрей Платонович)
1899年、ロシア南西部ヴォロネジに生まれる(出生時の姓はクリメントフ)。中等教育修了後、鉄道工場などで働いたのち、鉄道技術専門学校で電気工学を学ぶ。ロシア革命後の内戦では赤軍側で参戦した。1920年代前半には、ヴォロネジ県の土地改良・灌漑事業などにおいて指導的な役割を果たす。作家としては、10代から地元の新聞・雑誌上に評論や詩を発表して頭角を現し、1922年に詩集『空色の深淵』を出版してデビュー。1926年にモスクワに移住し、以降は職業作家として活動。短・中篇や戯曲を中心に執筆するも、短篇「疑惑を抱いたマカール」(1929)や「帰還」(1946)、ルポ「ためになる」(1931)などが権力者や批評家からの苛烈な批判の対象となり、出版がままならない状態が生涯つづいた。後半生には創作童話や民話の再話、従軍記者として第二次世界大戦の前線に取材した短篇、文芸批評などにも取り組むが、不遇のまま、1951年に結核によりモスクワで死去。死後、娘マリーヤらの尽力により遺された作品が続々出版され、20世紀文学の主要作家としての地位が確立されつつある。

「2022年 『チェヴェングール』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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