僕がコントや演劇のために考えていること

著者 :
  • 幻冬舎
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感想 : 77
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  • Amazon.co.jp ・本 (151ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344026247

感想・レビュー・書評

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  •  著者の手掛けた「カジャラ」や「ポツネン氏」などのコントというかお芝居というか、それらはどれも面白くて、美しくて、不思議な世界でした。

     個人的には笑いは批判精神で成り立っているものだと思いますので、著者のように他人を傷つけず笑いを生み出すことは難しいんだろうなと想像します。

     そんな心地よい笑いが生み出される舞台は、シンプルでこざっぱりした印象を受けます。そこに置かれた道具類はどれも抽象化されていて、著者の芝居と自分の想像力で補った独創的な世界が作り出されているように思います。そして、それらと独特な音楽が相まって不思議な世界が作り出されます。

     これが面白くて、余韻に浸りたくて、何度もお芝居を見に行きました。本書はそんな舞台を作るために心がけていることが著者の考え方とともに記されています。著者の作品に対する真摯な姿勢がひしひしと伝わってきます。

     一方で、著者の思う術中にはまる自分も客観視できた気がします。優れた表現者の考え方を知ることができました。

  • 2、3ツイート分くらいのちょっとした考えが羅列されている。
    ボイスパーカッションみたいな音の地名を発見し、他に同様の地名がないか片っ端から調べたというエピソードが独特。

  • 厳しさと満たされた心を持った人だな。と
    またいつかパラパラと読み返したい

  • 「面白くて、美しくて、不思議であること」を目指す劇作家小林賢太郎さんの至言集。 「なんとなく」ではなく、しっかりと自分の考えをもって、自分を貫く賢太郎さんの生き方は本当にかっこいいなと思いました。コントや演劇は実際に見たことがなかったけれど、賢太郎さんのコントや演劇に対する姿勢は、それ以外の職業や自分自身の生き方のあり方を教えてくれている気がします。いろいろ失敗して、苦しんだり悩んだりするけれど、「後悔」じゃなくて「反省」して努力しつづけよう、と前向きな気持ちになることができました。

  • 自分が何を好きで、何故好きなのか。単純に一つの理由がある訳じゃない。自己顕示欲とか表現欲とか。認められたい欲とか。
    自分の事を考えるきっかけをくれました。

  • ファン向けのエッセイかもしれない。

  • 小林氏と自身が職業であるというそのものがよくわかる作品。わたしは自分自身が職業であるとは言い切れかねますが、4月のこの時期、いろいろはじまったり見つめ直したりの季節におもしろい本かもしれません。舞台また観たくなりました。

  •  小林賢太郎を知ったのはラーメンズのコントを見たのがきっかけだった。とにかくテレビで見るお笑い芸人のネタとは質が違うと感じた。一つ一つのコントが練りに練られていて、どれだけの熱量を込めたらこんな作品ができるのだろうと圧倒された。この本にはラーメンズを含めて小林賢太郎の仕事への向き合い方が書かれている。真似しようと思ってもとてもできないが、プロフェッショナルな姿勢は刺激になる。テレビにあまり出ないことやシンプルなセット&服装にも彼の考えがしっかりあって、それを知ると今まで見ていたコントも見方がまた違ってくる。

  • 個人的に小林賢太郎をとても尊敬しているので読んでみた。
    ストイックなプロ意識と純粋な優しさがにじみ出ていてとてもいい本だった。1時間ぐらいでサクッと読める。
    一見奇想天外に見える彼の作品性の裏側にも、経験に基づく確かな方法論があるんだということが垣間見えて面白かった。
    コバケンのファンか、アーティスティック(あるいはクリエイティブも該当するかも)な仕事をしている人にはおすすめの一冊。
    個人的には「完成品を素材にする」が特に面白いと思った。

    以下引用メモ
    ・僕は、ひとつの舞台公演が終わると、必ず自分がお客さんになる時間を持つようにしています。一流のエンターテインメントをつくりたいから、いろいろな一流のものにふれたいのです。
    ・(表題:自分で決める力をやしなう)居酒屋を探すとき、グルメサイトのランキングを気にしません。自分で街を歩いて、うまそうだと思った店に入ります。(中略)映画を観るときもそうです。僕は観たい映画を「面白そうかどうか」で決めます。
    ・誰かの良くないところを改めさせたい、という気持ちは、思うように結果が出なかったことを人のせいにしているということ。
    ・(表題:「想像筋」は調べないことで鍛えられる)やり方は簡単です。何かわからないことがあったら、調べないでいったん想像してみる。これだけ。
    ・(表題:完成品を素材にする)まず、自分ひとりの脳みそで考えてコントを1本完成させます。この段階で充分ライブで成立するクオリティまで持って行きます。でもこれは上演しません。次に、そのコントのことを1回忘れます。(中略)それからもういちどそのコントを取り出してきて「素材」として扱うのです。これは推敲とは違います。まったく別な物の一部にしてしまうのです。劇中劇としてあつかってしまったり、別の完成品とミックスしてしまったり。(中略)そういうふうにして生み出された作品は、観客の想像を超えています。あたかも天才的な発想に見えるのです。タネ明かしをすれば、そんなコントをいきなり思いついたわけではなく、何人ぶんもの自分の脳みそを掛け合わせてつくった作品、ということなのです。
    ・一般的に演劇のチラシは、観客がその会場に足を運んだ時点でその機能を終えます。でも僕のやり方は逆。公演当日からチラシが力を発揮してくれます。チラシをおみやげとして持って帰っていただく、つまり、作品の一部を持ち帰ってもらうことに意味があるのです。観客は終演後、家族や友人や同僚にそのチラシを見せたり、話題にしたりします。事前に配られた誰でも手に入れられるチラシよりも、当日その会場に来た人しか手に入らないチラシの方が「話のタネ」としてあつかってもらいやすいのです。
    ・「それではダメだ」よりも「どうするともっと良い」というように。「ダメ出し」ではなく「提案」。その方が、どうも役者の潜在能力を引き出せるようなのです。
    ・作者と演技者が互いの領域を理解し、相思相愛であることが、作品を良くするための最高の関係なのです。
    ・返事や挨拶をはっきり大きくすることは、現場にとってとても大切なことです。「おはようございます」には、「私は来ましたよ、ご用がある人はどうぞ」というサインとしての機能があります。「はい」という返事には「あのことはあの人に伝わったんだな」ということをまわりの人が認識するという機能があります。
    ・著名人に文句を言う一般人は昔からいるし、それは全然悪いことではありません。たとえばテレビの前で「このアイドル、オンチね〜」と、おせんべい食べながらお母さんが言う。呑み屋で「おいおい、そこはインコースだろヘボピッチャー!」と、ビール飲みながらサラリーマンが言う。どうでしょう、ここに悪意はあまり感じません。それどこか、ちょっと微笑ましい光景ですらあります。インターネットでの誹謗中傷は、そんな日常が文字になっただけのことで、表現者を傷つけることが目的ではないのです。(中略)インターネットって、参考にすべき監督の発言と、たあいない酔ったサラリーマンのヤジが、まったく同じフォントで並んでいるのです。

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著者プロフィール

1973年4月17日生まれ。神奈川県横浜市出身。多摩美術大学卒。舞台、映像など、エンターテインメント作品の企画、脚本、演出をてがける。また、小説、絵本、漫画などの執筆もおこなう。絵本作品には、『うるうのもり』(講談社)、翻訳を担当した「オレ、カエルやめるや」シリーズ(マイクロマガジン社)がある。

「2023年 『カキワリの劇場』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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