小さないじわるを消すだけで

  • 幻冬舎
3.19
  • (9)
  • (15)
  • (34)
  • (11)
  • (4)
本棚登録 : 257
感想 : 30
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (105ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344026681

作品紹介・あらすじ

生きにくさや孤独は、手放せる。"ノーベル平和賞受賞の宗教家"と"人々の心を癒し続ける小説家"による、決定的人生論。穏やかな心で良い人生を生きるための希望に満ちた金言集。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  •  探してやっと手元に。
    嬉しいけれど・・・。

     吉本ばななさんのスピーチは、彼女そのもの、のようなチャーミングでいて、真摯な心打つ文章でした。

     だけど、ダライ・ラマ14世のスピーチ、対談、質問に関しては、簡単にまとめられていて、ガッカリでした。 ユーモアや慈しみのある魅力が文字では伝わらない。 少し物足りない・・・が正直な感想です。
    折角、文字に起こしたのに、勿体ないなぁーと想いました。

  • すごくわかりやすくて、さらっと心に入ってくる
    とても素敵な本。
    講演会にあたり、自分は物書きなので、講演ではなく
    書いた原稿を読む、という姿勢もばななさんらしいなと思った。

    タイトルを読んで、小さないじわるとはなんだろうと思っていたら
    新幹線で出会ったエピソードが語られていて、なるほどそういうことか、
    と納得。
    ネットでレビューを見ていたら、このたとえ話がわからないという意見があり
    ちょっと驚いてしまった。
    ばななさんが誤解のないよう、「こういう意味ではない」「こういうことではない」とともすれば回りくどいほど丁寧に
    自分の主旨とは違うものが伝わらないように書かれているのに
    ”こういう意味ではないですよ”と言っている方の意味に悪くとっている人が多くて
    ここまで書いても駄目か、伝わらないのかー、じゃあしょうがないのだろうな
    と思ってしまった。

    多分このエピソードを読んで頷けるか頷けないかで、
    この本全体がすっと入ってくるか入ってこないかが別れてしまうのだと思う。


    念の為書き添えるが、自分がこのエピソードから受け取ったのは
    車掌さんがどうせ起こすなら隣のお客さんが来たときに起こしてくれれば
    元々の席にお客さんが座れるという結果が選びとれたのに
    全てが終わってしまった後でわざわざ伝えて、
    それを聞いたところでもう贖罪の手段も全て断たれているのに
    起こしてきたことの裏には、車掌さんの正義感、それを相手にぶつけて
    解決ではなくただの罪悪感を引き起こすだけで満足したいというエゴ
    それが小さないじわる、ということ。

    疲れていたのに起こすな、とか、旦那に言えば良いとか
    寝てたのだから仕方ないじゃないか、ということは一切ばななさんは仰っていない。
    もっと言えば、車掌のことをいじわるだとも仰っていないと自分は思った。

    amazonのレビューでも良い評価と悪い評価が真っ二つで
    うーんと思ってしまった。
    個人批判ではなくだからこうしたいというのでもなく
    飽く迄ひとつの喩え話として語られているのに
    受け入れられない人がいるのはわかるし
    もしこの車掌の話自体を本気で取り立てるなら
    車掌サイドの言い分も聞かなければフェアじゃないけれど、
    ひとつのエピソード、たとえとして披露しているのに
    作家の権力を振り回しているというように言われてしまうのは
    随分と気の毒だと思った。
    だとすれば、飽くまでも作り話である、と嘘をついて
    このエピソードを始めればよかったのだろうか…?



    自分はなるほど、そういうことを小さないじわると呼ぶのか
    とすっと入ってきたので、
    『こっちの望みを聞かず勝手に判断して腹を立ててぶつけてしまう』
    ということもよくわかったし、
    『よくない雰囲気の波紋』が広がっていく、というニュアンスも
    非常に共感できた。

    こいつは勝手に寝ていて、どきもしない悪びれもしない
    常識のないやつだ!と思い込んで自分の正義感をぶつけて
    自分が正しいと思ったり、
    ぶつけてみたら相手が自分が思ったような非常識な人ではなかったけど
    引込みがつかなくなったり
    そうして言い合いをしている人が同じ車両にいるだけで
    なんとなく嫌な気分になるレベルでも負の連鎖が広がっていく。


    自分は歴史を勉強するにつけ、『昔』の日本と今の日本は違うと思っているので、
    "お金が中心のマニュアル社会と、合理化と、閉塞感から来るストレスがみんな合わさって、日本人は昔持っていた絶妙のさじ加減というものを失いつつあると思います。"
    という言葉にとても納得した。

    この失った資源を取り戻すのは途方も無いことだけれど、小さいことだが
    ひとりの人間が変わることからしか何も始まらないと自分も思うし、
    少しでも取り戻していけたら良いなと思っている。



    中国の僧侶に対し、辛いことや、危機を感じたことはと質問したら、

    中国の役人達に対して慈悲の心を失う危険を感じた

    という回答があったというエピソードには圧倒された。



    "正す手段が存在しているならば、何も心配することなく、正す努力をすればいい。しかしその問題に対して、何も手段がなければ、やはりそれ以上心配しても全く無意味である"
    この言葉も印象的だった。
    普段、やるしかないのに真っ直ぐその努力に向かえずぐだぐだ考えてしまったり、
    手段がないのにいつまでもうじうじ考えたりということが自分には本当に多く
    少しでも切り替えていけたら良いなと思った。

  • 文字も大きいし、薄い本なので、
    内容も薄いかなと思ったが、
    最初、サラッと読んだだけでも驚きがあり、
    (旅費の足しにアンティーク持ち出し推奨!)
    更に読み返すと、ダライ・ラマ様の実利を
    重んじる考え方(英語学習の勧め)や
    不平不満を持たない心のありよう(鍛え方)に
    頭が下がる思いがした。


    一方、よしもとさんの新幹線のエピソードは、
    愚痴ではないと言いつつも、
    恨みの気持ちがあるように見える。

    「愚痴やクレームではない」と言って語ることで、
    「こちらの言ってることが真っ当」感が
    出てしまう(ように思える)が、
    このエピソードの結論に違和感を覚える
    自分がいて、意図する以前のところで
    モヤモヤしてしまった。

    彼女の方に色々事情があるように、
    車掌さんの方にも事情があるかもしれない。
    (席譲った客が、実は聞こえないとこで、
    車掌にありえないくらい嫌味を言ったとか)

    なので
    「愚痴になっちゃうんですけど、
    小さな意地悪された例で...」と
    愚痴(恨みの感情)を否定しないで
    説明してくれた方が、読んでいて
    余分なこと(車掌の心情とか)を考えずに
    本来の内容について感じることが
    出来た気がして、ちょっと残念。

  • ダライ・ラマも、素晴らしいのではないかとは思うけど、私にはよくわからない。それよりも印象に残ったのは、よしもとばななの人間観。
    以下、引用。

    人ひとりひとりは、歯車ではなく細胞のひとつひとつと考えるといいのではないか。人間ひとりひとりが細胞で、皆で大きなな「人類」という人間を、作っているのだと思うと、いろんなことがよくわかるようになります。
    髪の毛の細胞の人、お尻の細胞の人、まぶたの人、唇の人、心臓の人、各部位の人にそれぞれ不満があり、それぞれの自負心があります。自分の部署でない機能に対して憧れを抱いたり、妬んだり、自分の部署の仕事をおろそかにしたり、それもすべてそんなふうに説明できると思います。お尻の人には頭の人のことがよくわからないくらい遠いが、確実につながっている。そんなところもよく理解できるような気がします。それから、異様な罪を犯したり、人を殺すのに心底喜びを覚えるような人たちに関しては、がん細胞のような異形の細胞だととらえると、しっくりきます。だとすると、その細胞全部が集まった人間という存在をひとつにつなぎとめているもの、それこそが魂と呼ばれるものであり、特定の宗教ではなく、生命への畏怖心を呼び覚ます、大きな物を、思うときの感覚ではないでしょうか。
    目の前の人を自分の一部だと思うことができれば、その弱さを理解することも、人を攻撃することはすなわち自分に対する攻撃だと言うことも分かり、相手に対する怒りもなくなるはずです。
    人類は全員で一人の人間であるという考え方になりました。人は皆根本のところでは同じ物を共有していて、それぞれに得意なことと不得意なことがあり、できることとできないことがあり、小さな細胞が集まって支え合って、人類という一つの大きな生き物を有機的に機能させている。たったひとつの共通項は、魂なのです。

    自分が持って生まれた物を十全に全うすることが大切なことだと理解しています。私が自分の役割を、放棄してしまったら、私には細胞の代わりができる人はいないのです。

    それを皆が身体的に、精神的ではなく身体的に、生活の感覚の中で真に理解できたら、この世は随分変わって行くと思います。

    ただ自分を十全に生ききるとき、それぞれの個人は初めて元々持って生まれた自分の枠を超え、他の人と本当に同じになることができます。仏教的に言うなら、カルマを解消し、越えるということなのかもしれません。

  • 小さな棘、ささいな悪魔を徹底的にとりのぞくと何がおこるだろう。

    「小さないじわる」
    この言葉にドキッとしました。
    自分のプライドを守るためとか、ちょっとした憂さ晴らしから、小さないじわるをしてしまう。
    心の中から小さな悪魔が、ちょっとだけいじめちゃえ!とそそのかす。

    自分に余裕がないと、やってしまいます。

    面倒だから、自分を認めてほしいから、許せないから、理由はいろいろ。

    自分が知らないうちに、小さないじわるをしていたことに気づかせてくれます。

  • 「小さないじわる」…思い当たる節がありすぎて反省した。やられてきたからやり返す、それが大きないじわるに発展していくこと。私という細胞が変われば良い。それを突き通すだけの気持ちを私は今からでも持つことが出来るだろうか?
    「慈悲の心と、論理性の共存」... あまり感情的にならず、正しい心を持つこと。感情は持ちすぎると偏見が含まれてくるのだという。私も正しい心を訓練する必要がありそうだ。
    本書に出てくる出来事は些細なことだけど誰にでも経験があるはず。だからこそ、私は私に出来ることを、私が大切にしたいものを大切にする。『この人は私と違う、まあいっか』ではなく、『なんだか私と違うけれど、この人も細胞の一部分である』ということ。忘れないように長々と記すことにする。

  • 大きな文字、そして、ダライ・ラマ氏の「やすらかな死を迎えるために」では、質疑応答のスタイルで、読みやすい。

    最初に、よしもとばなな氏が、『小さないじわる』のとして、「心の平和を得るために」で、例を挙げられている。

    新幹線の席で、自分が寝入ってしまって、隣の席まで陣取ってしまったことへの車掌への配慮の仕方を挙げている。
    この事について、個人攻撃をするものではないと、伝えているが、一方的に、批判出来るものではない。
    車掌は、正義漢と、仕事のマニュアルを持って注意をしたのであろう。
    もしくは、そこに老人か、病人が座れたのかも知れないと、思って注意を促したのかもしれないではないだろうか?
    双方に、言い分があるだろうが、この例は、正しくないのでは、、、、、と、思う。

    人は、相手の事を考えずに、自分の自己を押しつけることがある。
    それが、親切であっても、相手には、迷惑になることもある。
    個人と個人では、余り問題にならないが、国と国とでは、大きな摩擦と、なって行くだろう。

    ダライ・ラマの友人の僧侶が、中国に18年も収監され、身の危険もあったのに、「自分の慈悲の心失ってしまう危険を感じた」と、言う言葉は、一般の人間では無い、高貴な人物と、想像させられた。

    ダライ・ラマ自体、人々を救済する観音菩薩の化身と信じられているが、、、非暴力的問題野解決に取り組んでいる事を、もっと、書いてほしかった。

    ばなな氏の例を大きく取り上げることなく、もっと、ダライ・ラマ氏の話を入れて欲しいと、思ったのは、私だけであろうか?

  • これはヒドイ。
    今まで漠然と好きになれなかった吉本ばななという人を
    大嫌いになった。
    どんなに寝不足で貧血か知らんが、いい大人が新幹線で横になるなんて非常識も甚だしいのにそれを注意した駅員を公然と批判するなんて。
    この人一体何を勘違いしているんだろう?

  • 正にいま私が思っていたことが言葉になっていた。自分が出来るのは、私自身が小さないじわるをしないようにすることだ。ばななさんはますますステキになっていて、私もそう在りたいと思う。挫けそうになったら繰返し読みたい本。

  • これだけ読んでも刺さらない感じ

全30件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1935年チベットに生まれる。2歳のとき、ダライ・ラマ13世の生まれ変わりと認められ、6歳から僧侶としての修行を始める。愛に満ちた教えによって、チベット仏教の世界だけでなく、全世界の精神的なリーダーとみなされる。1989年にノーベル平和賞を受賞。2011年には来日し、東日本大震災の犠牲者を悼む法要をとりおこなった。

「2021年 『こころにいつくしみの種をまく』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ダライ・ラマ14世の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×