- Amazon.co.jp ・本 (105ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344026681
作品紹介・あらすじ
生きにくさや孤独は、手放せる。"ノーベル平和賞受賞の宗教家"と"人々の心を癒し続ける小説家"による、決定的人生論。穏やかな心で良い人生を生きるための希望に満ちた金言集。
感想・レビュー・書評
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探してやっと手元に。
嬉しいけれど・・・。
吉本ばななさんのスピーチは、彼女そのもの、のようなチャーミングでいて、真摯な心打つ文章でした。
だけど、ダライ・ラマ14世のスピーチ、対談、質問に関しては、簡単にまとめられていて、ガッカリでした。 ユーモアや慈しみのある魅力が文字では伝わらない。 少し物足りない・・・が正直な感想です。
折角、文字に起こしたのに、勿体ないなぁーと想いました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
文字も大きいし、薄い本なので、
内容も薄いかなと思ったが、
最初、サラッと読んだだけでも驚きがあり、
(旅費の足しにアンティーク持ち出し推奨!)
更に読み返すと、ダライ・ラマ様の実利を
重んじる考え方(英語学習の勧め)や
不平不満を持たない心のありよう(鍛え方)に
頭が下がる思いがした。
一方、よしもとさんの新幹線のエピソードは、
愚痴ではないと言いつつも、
恨みの気持ちがあるように見える。
「愚痴やクレームではない」と言って語ることで、
「こちらの言ってることが真っ当」感が
出てしまう(ように思える)が、
このエピソードの結論に違和感を覚える
自分がいて、意図する以前のところで
モヤモヤしてしまった。
彼女の方に色々事情があるように、
車掌さんの方にも事情があるかもしれない。
(席譲った客が、実は聞こえないとこで、
車掌にありえないくらい嫌味を言ったとか)
なので
「愚痴になっちゃうんですけど、
小さな意地悪された例で...」と
愚痴(恨みの感情)を否定しないで
説明してくれた方が、読んでいて
余分なこと(車掌の心情とか)を考えずに
本来の内容について感じることが
出来た気がして、ちょっと残念。
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小さな棘、ささいな悪魔を徹底的にとりのぞくと何がおこるだろう。
「小さないじわる」
この言葉にドキッとしました。
自分のプライドを守るためとか、ちょっとした憂さ晴らしから、小さないじわるをしてしまう。
心の中から小さな悪魔が、ちょっとだけいじめちゃえ!とそそのかす。
自分に余裕がないと、やってしまいます。
面倒だから、自分を認めてほしいから、許せないから、理由はいろいろ。
自分が知らないうちに、小さないじわるをしていたことに気づかせてくれます。 -
大きな文字、そして、ダライ・ラマ氏の「やすらかな死を迎えるために」では、質疑応答のスタイルで、読みやすい。
最初に、よしもとばなな氏が、『小さないじわる』のとして、「心の平和を得るために」で、例を挙げられている。
新幹線の席で、自分が寝入ってしまって、隣の席まで陣取ってしまったことへの車掌への配慮の仕方を挙げている。
この事について、個人攻撃をするものではないと、伝えているが、一方的に、批判出来るものではない。
車掌は、正義漢と、仕事のマニュアルを持って注意をしたのであろう。
もしくは、そこに老人か、病人が座れたのかも知れないと、思って注意を促したのかもしれないではないだろうか?
双方に、言い分があるだろうが、この例は、正しくないのでは、、、、、と、思う。
人は、相手の事を考えずに、自分の自己を押しつけることがある。
それが、親切であっても、相手には、迷惑になることもある。
個人と個人では、余り問題にならないが、国と国とでは、大きな摩擦と、なって行くだろう。
ダライ・ラマの友人の僧侶が、中国に18年も収監され、身の危険もあったのに、「自分の慈悲の心失ってしまう危険を感じた」と、言う言葉は、一般の人間では無い、高貴な人物と、想像させられた。
ダライ・ラマ自体、人々を救済する観音菩薩の化身と信じられているが、、、非暴力的問題野解決に取り組んでいる事を、もっと、書いてほしかった。
ばなな氏の例を大きく取り上げることなく、もっと、ダライ・ラマ氏の話を入れて欲しいと、思ったのは、私だけであろうか? -
これはヒドイ。
今まで漠然と好きになれなかった吉本ばななという人を
大嫌いになった。
どんなに寝不足で貧血か知らんが、いい大人が新幹線で横になるなんて非常識も甚だしいのにそれを注意した駅員を公然と批判するなんて。
この人一体何を勘違いしているんだろう? -
正にいま私が思っていたことが言葉になっていた。自分が出来るのは、私自身が小さないじわるをしないようにすることだ。ばななさんはますますステキになっていて、私もそう在りたいと思う。挫けそうになったら繰返し読みたい本。
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これだけ読んでも刺さらない感じ