パレード (幻冬舎文庫)

著者 :
  • 幻冬舎
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本棚登録 : 9528
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  • Amazon.co.jp ・本 (309ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344405158

作品紹介・あらすじ

都内の2LDKマンションに暮らは男女四人の若者達。「上辺だけの付き合い?私にはそれくらいが丁度いい」。それぞれが不安や焦燥感を抱えながらも、"本当の自分"を装うことで優しく怠惰に続く共同生活。そこに男娼をするサトルが加わり、徐々に小さな波紋が広がり始め…。発売直後から各紙誌の絶賛を浴びた、第15回山本周五郎賞受賞作。

感想・レビュー・書評

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  • 最後の章まで読むと、え?ってなる。
    他人の事は理解できても自分の事はよくわからなかったりする。
    自分ってこんな人間です。ってほんとは違ったり…

  • オチは全く知らずに読み始める。
    シェアハウスの人間関係ってこんな感じかー自分の寮時代とは違うけどこういう生活もアリだなー思いながら最終章に入る。
    結局、他人の知ってる部分は一部だし、自分のことも自分で分からないのかもしれない。

  • 出張中の仙台で読了。
    こんな結末なのか?と思いつつ、解説を読むと、もう一回読んだ方が良さそうだ。、

  • 巧みに仕掛けられた伏線が、ラストシーンで見事回収されるわけでもなければ、やられた!と声を上げたくなるようなどんでん返しが待ち受けているわけでもありません。
    それでいながら、〝衝撃のラスト〟というのは、このような結末を指すのだろうな……と思わされてしまうのですから、恐ろしい作品です。
    都内にあるマンションで、一見平和そうな暮らしを送っている五人の主要人物たちの視点が切り替わる形式で、物語は進行していきます。
    しかし、解説にもあるように「こわい」結末が待ち受けているのです。
    この「こわい」という気持ちは、実際に経験した〝こわさ〟、そして起こり得るかもしれない〝こわさ〟に対して抱く気持ちではないでしょうか。
    「この階段は急だから慎重に降りなければ転げ落ちてしまうかもしれない」、「事故や事件に巻き込まれてしまうかもしれない」といった、日常生活を送る上での不安であったり、「暗闇に恐ろしい幽霊が潜んでいるかもしれない」という心理的な問題であってもそうです。
    ひとはその、〝こわさ〟を想像したときに「かもしれない」と思うことで気を引き締め行動を見直し、逆に「かもしれないのだ」と思い直すことで不安を拭い、安堵しているように思います。
    では、この作品はどうしてこんなにもこわく、恐ろしいのでしょうか?
    そう考えたとき、結末そのものというよりも、すべて「起こり得るかもしれない」という事実が恐ろしくなってきます。



    ※以下、軽度のネタバレを含みます。



    この作品において「起こり得るかもしれない」ことは、多くあります。
    殺人事件や交通事故によって家族や友人を失うこと、または自分がそのようにして命を落とすこと。
    殺人や薬物といった犯罪に手を染めてしまうこと、そして罪を知ってなお、看過すること。
    マンションに暮らす五人、それぞれの境遇。
    自身にも降りかかりかねない問題たちは、その恐ろしさを際立たせるのに十分な役割を果たしています。
    とはいえ所詮はフィクションの物語なのだ、と切り離すことも難しく、後味悪く、それでいて小気味の良い結末なのですから、そういった意味でも恐ろしい作品でした。
    本書「パレード」もさることながら、吉田修一氏の作品は〝現実味〟がよりクリアで色濃い特徴があります。
    どんな些細な日常のワンシーンであっても、まるで本当にあったこと__たとえば、自分がそのように暮らしていた記憶があるように錯覚してしまったり、その場の匂いや温度までが、ページに添えられた手のひらから指先へと伝わり、一種のトランス状態へと導かれてしまうのです。
    フィクションでありながら、この現実味を味わうことのできる巧みな表現力には、畏れすら覚えます。
    余談ではありますが、登場人物の一人である小窪サトルが劇場にて「ハンニバル」を観た感想として
    〝……映画は評判通りグロテスクで面白く、最後にレクター博士が男の頭を割って脳みそをスプーンで掬(すく)って食べるシーンなど、思わず「ウオッ」と声を上げてしまいそうになった。(P.217L3〜)〟
    と述べています。
    自分も幼い頃に観ました、ハンニバル。
    脳みそを食べるシーンが衝撃すぎて未だに忘れることができず、もはやハンニバルは脳みそを食べる映画だと思い込んでいる節があるので気分が悪くなりました。
    そう、このようにして実際の記憶の隙にまで忍び込んできて、どれが現実の自分が持つ記憶で、どれが架空の記憶なのかわからなくなってくる。
    それがとても恐ろしく、そして楽しい。
    物語の世界に浸る時間の素晴らしさを教えてくれる作品でもあります。

  • 読み返したいと思った初の小説。

    「パレード」というタイトルから漂う、楽しいだけではない、どこか暗く、不気味で、ヤケクソな感じが良い。

  • 今時な若者の群像劇かと思いきや、最終章こわっ。
    え?なにこんな話だったっけ?
    時系列・・・。
    いや、このつかず離れず感こわいね。

  • 描かれたのは、現代版の酒池肉林だ。

    シェアハウスという薄くもなく濃くもないうわべだけのつながりの中でふわっと無責任という優しさに包まれて生きていく5人の物語。読者は否応なしに6人目の同居者として、ここに参加させられる。
    居心地の良さと悪さを短いスパンで交互に感じる空間だったな。
    だがこれも一つの癒しの形なのだろうか?何を持って「癒し」とするのか、「癒し」を定義することの難しさがここにある。

    シェアハウスでの私の姿(役割)を押し通し続けることで成立する集団としての黙過。黙過とは、バランスのために必要な機能なのだろう。共創造される黙過はどこか優しい。見て見ぬふりをすることで襲われる自身への責任追求が分散されるからだろうか?無責任さを対価に他者と溶け合い融合することの心地よさ…
    ただ、この優しさはやはり毒だと思う。例えどんなに苦しく、生きるのに必要だったとしても。温かく優しい毒は、精神の骨の髄まで溶かしきる。その先にあるのは考えることを放棄したブヨブヨの肉塊だ。どうあがいても好きにはなれない。これは現代版の酒池肉林だ。

  • 1回目読んだ時は怖さは感じずに逆に他人に深く踏み込まない優しさを感じたが、2回目は少しだけ怖さを感じた。自分の領域を侵されない限り犯罪者にも他人に寛容的な現代の若者を描いた作品。登場人物が皆キャラが良かった。良介は世之助に似ていて好きな人物だった。

  • おもしろすぎて2日で完読。しかしこわーい!涙 まさに『悪人』を執筆した吉田修一の本という印象。ありふれる日常の中の、見えにくい人間の本質を暴いているようで面白かった

  • 最後、怖っ!
    えっ?そういう話だった?
    相手に合わせて自分を演じるのは、彼らにとって無理のない、割と自然なことなんだろうな。
    いやー。知ってるけど知らないフリでいいの?ってレベルだと思うんだけど。表面的で平穏な毎日を続けることが大事なんだろうね。

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著者プロフィール

1968年長崎県生まれ。法政大学経営学部卒業。1997年『最後の息子』で「文學界新人賞」を受賞し、デビュー。2002年『パーク・ライフ』で「芥川賞」を受賞。07年『悪人』で「毎日出版文化賞」、10年『横道世之介』で「柴田錬三郎」、19年『国宝』で「芸術選奨文部科学大臣賞」「中央公論文芸賞」を受賞する。その他著書に、『パレード』『悪人』『さよなら渓谷』『路』『怒り』『森は知っている』『太陽は動かない』『湖の女たち』等がある。

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