- Amazon.co.jp ・本 (158ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344902190
感想・レビュー・書評
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皆と足並みをそろえて生きるのが最も大事だ。
そうすれば
誰にも叱られないし
くすくす笑われる事もない。
時々
窮屈だなぁ~。
抜けたいなぁ~。
と、思う事もあるけれど
よくみりゃ
う~んと遠くの方まで綺麗な隊列が出来上がっていて
なんか、勝手に抜けられる気配がない。
そんな時、
禅のお話を聞くとなんかホッとする。
良寛さんの大らかさ。
一休さんの自由。
(禅を完全に理解しよう)という気は全くないのだが
関連本を眺めていると、魂が喜ぶ。
紐を解かれ、(自由に遊べ)と
野原に放された犬の様にはしゃぎたくなる。(笑
ひろさちやさんの話は
わかりやすかった。
わかりやすいことは大事だなぁ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
禅の根本原理「即今・当処・自己」を中心に、禅の考え方が紹介されています。
どれも「なるほど」と思いながら読み進めました。
特にレッスン4の「損得を捨てる~達磨・道元の教え~」と、レッスン5の「常識・道徳から自由になる~一休・良寛の生き方~」は勉強になりました。
真面目な者ほど生きにくいこの世の中。世間の目などを気にせず『キミがキミのしたいように生きたらいい』という言葉は、多くの者の心を救うと思う。
可愛らしいイラストと親しみやすい文で書かれています。
悩みで苦しんでいる方に、読んでみて欲しい一冊です。 -
禅とは、今を生きること。自分を許容し、余計なことは気にせず、心を軽くすること。
即今、当処、自己。
いま、ここに、自分がいる。
そうすれば、どう幸せになるか、を考えることもしない。 -
こんなんで入門していいのか
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わかりやすい!
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タイトル通り禅について書かれた本。
ただし、著者の特性なのか、きっと普通の禅の本ではないと思う。かなり分かりやすくかみ砕いて書かれている(一部漫画あり)ので、とても理解が進むのであるが、逆にわかった気になるのが怖くなる本です。
ただ、「知識ゼロからの」とあるので、この本をゼロからのスタートと考えれば貴重な本になると思います。
なんとなく心惹かれたなーと思った方が読んでも、損はしないと思います。 -
禅は、仏教の言葉に頼らない教え。釈迦が摩訶迦葉(まかかしょう)に坐禅を伝え、それから、達磨が禅宗をおこし、道元が日本に広めた。根本は、今、ここで、自分が生きること (即今 当処 自己)ごはんを食べるときは、ひたすら食べ、眠るときにはひたすら眠る。したいときに、余計なことは考えずに、集中して、したいことをする。したくないことはしない。そうして、今に照準を合わせて生きる。だから、過去にも未来にも、世間のものさしにも縛られない。そうして、智慧(ありのまま)でまっすぐに見て、あらゆるものを受け入れる。一休や良寛のように、ありのままで生き、人生の主人公になる。(予定)
遊びの条件。遊びの向こうに何かを求めず、子供のように純粋な気持ちで楽しむこと。 -
ひろさちや氏の名前は前から知っていましたが、著書を読んだのはこれが初めて。
禅とは、日本人にとって身近なようでありながら、実はよくわからないものです。
「戒律が厳しい」「簡素」「座禅」というようなイメージしかないため、この本を読みました。
禅が示すことは、「即今・当初・自己」。
「今、ここで私が生きる」ということを指針としています。
それはつまり、未来を心配したり、過去を悔やんだりしないことを意味し、つまりは余計なことを考えない、今していることに集中し十分楽しむ、ということに繋がっていくそうです。
現在に集中するというのは、簡単なようで実はとても難しいこと。
三大宗教はすべて共通して「未来を悩むな」と説いているということです。
コミックを挿入しながら、禅のことを何も分からない人々に解説していく流れを取っています。
今に前向きな、力強い、いい先生です。
多数を意味する数は、日本では「八百」ですが、インドでは「八万四千」。
数の違いに驚きます。やはりインドはグレートです。
禅とは経典がない仏教であり、言葉に寄らない釈迦の教えと捉えるべきものだとか。
「拈華微笑(ねんげみしょう)」が禅の始まりとされているそうです。
文字で書かれたものは読む人によって解釈が違ってしまうため、教えの形が不変である禅が尊ばれたとのこと。
禅の中では、常識や道徳は邪魔だということに驚きました。
つまり、一休法師の破天荒な人生は、禅では是とされるものなのです。
日本の二大禅僧といわれる一休と良寛。
一休は激しい臨済宗の僧で良寛は穏やか曹洞宗の僧。
宗派の違いは、二人の性格や生きざまにも表れているようです。
釈迦の「天上天下唯我独尊」とは「私は今までの教えに寄らない独立した教えを説く。」という意味だと、解説されていました。
「自分が一番偉い」という意味ではないと知って、なんだか安心しました。
主人公という言葉は禅語だというのが意外でした。
また、「喫茶去」は「お茶どうぞ」という意味だということも知りました。
喫茶去という喫茶店を神保町で見かけて、店名がずっと気になっていたところだったので、スッキリしました。
南無は「おまかせする」という意味ということまでは知っていましたが、サンスクリット語の「ナマス」からきているそうです。
つまり、「ナマステ」は「あなたに帰依する」という意味なんだとか。
まさか、「南無阿弥陀仏」と「ナマステ」が意味の上で繋がっていたとは、思いませんでした。
「知恵」と「智慧」の違いも説明されており、とてもわかりやすく禅についての大まかな理解が得られた本。
少し身近に思えてきました。
最後に著者プロフィール欄を読み、ひろさちやとは本名ではなく、ギリシア語のPhiloと、サンスクリット語のsatyaに由来していると知って驚きました。 -
パラパラっとめくってみたら、マンガが入っててすぐ読めそうだったので借りてみた。即今・当処・自己。宗教って他人に教えを説くというか、流布して同じ思想を広めようという考えが前提にあるようで嫌いなのだけど、「禅」はそういうものではなさそう。仏教の一部なのだけど、あるがままでいい、自分は自分、と考えを強要しないところがとても共感できる。本物の坐禅はやっぱり一度やってみるべきだなあ。昔読みかけて挫折中のエックハルト・トールの本にも考えが似てる気がする。また改めて読んでみよう。