来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題 (幻冬舎新書)

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344983168

作品紹介・あらすじ

二〇一三年五月、東京都初の住民直接請求による住民投票が、小平市で行われた。結果は投票率が五〇%に達しなかったため不成立。半世紀も前に作られた道路計画を見直してほしいという住民の声が、行政に届かない。こんな社会がなぜ「民主主義」と呼ばれるのか?そこには、近代政治哲学の単純にして重大な欠陥がひそんでいた-。「この問題に応えられなければ、自分がやっている学問は嘘だ」と住民運動に飛び込んだ哲学者が、実践と深い思索をとおして描き出す、新しい社会の構想。

感想・レビュー・書評

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  • *****

    『暇と退屈の倫理学』★3

  • 政治とは、複数の人間(多)と単数の決定(一)を結びつける営みであり、多と一を結びつけるためには、何らかの権威が必要。かつては宗教的権威や伝統的権威がそれを担ったが、近代の政治体制では、国家という権威に民衆を従わせなければならず、編み出されたのが「主権」という概念だった、つまり、主権に基づいて定められた法律が統治者を拘束するということで、主権とは立法権に他ならないと考えられていた。
    しかし、現代の国家は極めて複雑で、立法権によって社会を統治するということは困難になっている。にもかかわらず、民主主義は立法権をコントロールすることで社会を統治しようしていて、行政権をコントロールする仕組みがない。(パブコメとかはあるけど役に立たない)
    こうした分析は鋭いと思うし、勉強になる。

    タイトルにもなっている「来るべき民主主義」というのは、ジャック・デリダの言葉なのだそうだ。つまり、民主主義とは常に不十分なもの未完成のものであり続ける。しかし、どうせ無理だからと諦めるのではなく、より完全な民主主義を目指して取り組んでいかなければならない、そういう意味なのだそうだ。
    末端とはいえ、一応行政権に身を置く立場としては、肝に銘じておかねばならないと思う。

  • これを読めば、政治が何ら特権的であったり、過激であったりするような営みではないことに気づくのではないだろうか。それが成立りした近代から現在に続く民主主義の「欠陥」のために、われわれは自分たちの住む街の行く末について自分たちで決めることができない、つまり政治ができていない。その現状をまず把握すべきだ。そして、政治とはまずは自分の身の回りのこと、生活環境のことについて考え、意見を述べることでいいのだと知ることが重要なのだ。本書はそれを教えてくれる。

  • 来るべき民主主義
    国民主権は主権者である国民が立法権を持つことだと定義されている。近代国家は統治の規範を公開性の高い法に求めてきたためである。しかし、行政府が立法府の定めた法の執行機関に過ぎないという前提が崩れ、行政府が立法府を超えた権力を持つ現在において、現状の国民の政治参加の方法は十分に民主的であるとは言えなくなってきている。さらに、民主主義国家では国民がいかにして立法に関与できるかのみが議論されてきたため、行政への国民の関与は制度的にほとんど認められていない。本書では、このような民主主義の欠陥に関して、小平市都道328号線建設反対の住民投票が無効化されたという著者自身の経験から論じられている。

    カール・シュミットの「敵/友」の区別とアレントの多数性を踏まえた、政治とは多と一を結びつける原理的に不可能な営みであり政治の最大の危機は「敵」がまるでいないかのように振舞う時にこそ現れる、という主張が面白かった。「真に人民を代表するのは我々だけだ。」というポピュリストのレトリックは正にこの危機を表していると思った。

  • 小平市の都道建設計画を見直す住民投票運動に参加した社会哲学者が、自分の専門である政治哲学と実践とを見事に結びつけた良書。日本の政治や行政に関する「理解不能」な部分をなるほどと解き明かしてくれました。行政権が大きな比重を占める日本では、主権=立法権という政治哲学の前提が間違っているので、住民投票やパブコメをちゃんとやりましょう、という話は目から鱗でした。お薦め。

  •  小平市の住民投票を例に哲学者が語る民主主義。

     選挙で市民が立法に影響を及ぼすことはできるが、行政には影響を及ぼすことがほとんどできない。そういう今のシステムを否定するのではなく、新しい他のツールをどんどん足して行くことが重要である。
    その訴えを小平での実践と哲学的な視点の両方で述べている。

    現在の民主主義の課題とその対策が分かりやすく書かれている。

  • 小平市における都道建設に伴う住民投票を中心に、参加型民主主義の在り方について論じた本。

    たとえば道路を建設する際には、東京都などの自治体が計画を策定し、小平市などの基礎自治体に照会した上で建設が決定され、住民向けの説明会が実施される。

    このプロセスについて、おかしいと感じるかどうか。つまり、決定されるまでのプロセスには住民の意思が介在する余地はなく、説明会は建設が決定事項として一方的に通達されるだけである。

    小平市においては、この都道建設計画に反対するというよりも、プロセスに主権者たる住民の意思が反映されない民主主義の在り方に疑問を持ち、住民投票が行なわれるまでの流れが描かれている。

    住民投票は行なわれたものの、この住民投票条例が可決された直後に市長によって修正法案が出され、投票率50%以下ならば開票すらせずに却下される後付けルールが作られる。この市長が当選した際の投票率は37.5%だったにもかかわらず。

    結果として都道建設計画は進められ、地域の憩いの場となっていた雑木林は潰され、200億円もの予算をかけて府中街道と100mも離れない隣接した新道路が建設されることになる。200世帯以上が立ち退きを余儀なくされる。

    果たしてこのプロセスは民主主義と呼べるのか。参加型民主主義とはどのようなものなのか、議論の呼び水として読んでおきたい。

  • ドゥルーズやデリダなどの研究を専門にする哲学者が、自らが住む小平市の道路建設に反対する運動に関わる過程で得た現在の民主主義への違和感と課題についてまとめられた本。タイトルにもなっている「来るべき民主主義」は著者が専門とする哲学者ジャック・デリダの言葉だ。「現在の民主主義を見直し、これからの新しい民主主義について考えることが本書の目的である」とのこと。

    その内容を端的に言うと、実際の決定は行政機関によってなされるのに、立法権に間接的に選挙で関わることが担保されているが、行政権には公式にアクセスする手段がないということが問題だということになる。立法権の優越は、近代民主主義における欠陥だというのが著者の見解だ。そこには「多」と「一」を結びつけるというそもそも原理的に無理なことをやっているとの主張だ。

    本書は小平市都道328号線施工反対を巡る市民活動がきっかけになっているが、いわゆる「市民活動」にまつわる'うさんくささ'にも触れられている。この問題は微妙な問題だ。小平市都道328号線の活動では、その微妙さに抗するために、「反対」と言う代わりに「議論への参加」を条件として住民投票を行っている。肯定的なビジョンこそが、市民運動を違うものにするための要件であるというのが、いわゆる「市民活動」を取り戻すための処方箋になるということだろう。

    活動における行政とのやりとりの中では、住民投票の結果を50%の投票率がないと無効であるとの条例を住民投票の開催が決まった後に出してきたり、道路の必要性を示すためのグラフがあきらかに意図的にねじまげられた表現になっていたり、といったことが発生している。この行政機関の対応に関しては、この人たちの「動機」はどこにあるのか考えざるをえない。著者は、「住民と行政がうまく手を取り合える仕組みさえ作ってしまえば」と言う。行政も人なのであるから、その動機を知るべきだろう。組織における「体面」と「忖度」の問題がここでも発生しているのであれば、そこに対して対策を講じることが必要になる。

    民主主義は、常に「来るべき」ものに留まるという。つまり、民主主義は常に改善されていく必要がある。今の制度が正であることは決してないということである。タイトルから、著者が「民主主義」のあり方を変えていく意志を見ることができるだろう。少なくとも今は「民主主義の名に値する民主主義は存在していない」のだ。完全なる民主主義はありえない。不断の改善のみが民主主義の名に値すると、そう主張しているように思える。それは行政機関にとって、困難であり、強い意志とときに組織外からの圧を必要とするものであるだろう。

    具体的には審議会などの諮問機関を設けていくことを提案しているが、そこでは情報通信技術の向上の浸透による影響を考慮するべきであろう。今の間接民主主義の手法もきっと過去の技術的制約から来ている部分もあるはずである。その上で、「ツールとしての政治家」という考え方も有効である。そして同じく「ツールとしてのマスコミ」も。

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    文中に「人の気持ちというのは何を言っているかというよりも、何を言っていないかを通じて見えてくるものだ。」とある。何を言っていないかは、長い時間を通してその人のことを初めて理解できるものだ。人と人とのつながりが前提になる。まさにその通りであり、また深い言葉だと思う。

  • 民主主義とは、民衆・大衆・市民が政治参加すること、政治決定に参画することなのだと、改めて気付かされます。
    お任せでブー垂れてるだけじゃ、ダメなのよ。文句言うだけの居酒屋民主主義は、本来の民主主義ではないのですわ。

  • 車両通行が減りつつある中で、なぜか東京都小平市に50年前の道路建設計画が復活。住民の憩いの場をつぶして幹線道路を作るという計画に住人が反対、住民投票が行われるが…

    住民の生活に直接影響を与える決定は、議会よりも行政で決定されている現実があって、従来では住民の行政への参加は首長の選挙という形が取られてきた。
    しかし、ここに来て住民投票やオンブズマン制度などの行政への参加法が確立されてきたが、さらに多くの手段が必要なのではないかというのが筆者の主張。

    議会制民主主義を肯定して、新たな制度を作ることを「強化パーツをつける」と表現している。革命は必要なく、変化が必要なのだというのがすごく腑に落ちた。

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著者プロフィール

東京大学大学院総合文化研究科准教授

「2020年 『責任の生成 中動態と当事者研究』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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