分断を乗り越えるためのイスラム入門 (幻冬舎新書 698)

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  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344987005

作品紹介・あらすじ

21世紀に入り欧米諸国にとって最大の脅威はイスラム勢力だった。だが、欧米がイスラムを理解せず、自分たちの価値観を押しつけようとしたことが、対立をより深刻にしたのは否めない。1400年前に誕生し、いまだに「生きる知恵の体系」として力を持ち、信者を増やし続ける宗教・イスラム。その教えの強さはどこにあるのか。暴力的・自由がない・人権を認めない等、欧米が抱くイメージはなぜ生まれ、どこが間違っているのか。世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代の、必須教養としてのイスラム入門。

感想・レビュー・書評

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  •  イスラム教は旧約聖書を同じくする宗教の中で最も新しい宗教なので、それ以前の預言者であるモーゼもキリストも認めていますので、他の宗教に対して寛容な宗教なのですが、私たちはイスラム教は排他的な宗教であるかのように思っています。却ってユダヤ教はユダヤ民族の選民意識を、キリスト教は三位一体というキリストを預言者ではなく神と位置付けるという強引さが他の宗教に対して不寛容にしています。
     私たちはイスラム教を全く理解していないのに、イスラム教よりはキリスト教の方が正しいという偏見を持っているので、イスラム教徒がなぜ増えているのかも、パレスチナ問題もわかりません。この本はイスラム教のことをとてもわかりやすく説明してくれる良書です。

  • 欧州とイスラムの共存はかなり困難だ INTERVIEW 内藤正典 | 特集 | 東洋経済オンライン(2015/02/28)
    https://toyokeizai.net/articles/-/557795

    「イスラム世界と西欧の20年」(視点・論点) NHK解説委員室(2021年09月07日)
    https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/453960.html

    『分断を乗り越えるためのイスラム入門』内藤正典 | 幻冬舎
    https://www.gentosha.co.jp/book/detail/9784344987005/

  • イスラム教について無知だった自分に気づいた。

    男尊女卑な宗教ではない!女性に教育を受けさせなかったり、ヒジャブを被らないと殴られるなんていうのは間違い!

    トルコが一貫して戦争の終結を呼びかけているのは、女性や子供を傷つけてはいけないという「イスラム的道徳」に裏打ちされたもの!

    イスラム教徒は、他人の宗教を気にしない!キリスト教徒は、お前は何を信仰している?と聞くけれど。。

  • イスラム国が猛威を振るっていた頃、メディアの露出が多かった著者による、最近のイスラム教徒についての本。以前テレビで解説を聞いていた頃のように、わかりやすく、非常にフラットに世界を見ている。ただ、入門と謳っているが、ある程度の知識がないと読むのが困難かもしれない。

  • 【配架場所、貸出状況はこちらから確認できます】
    https://libipu.iwate-pu.ac.jp/opac/volume/571554

  • 図書館で読んだんだけど
    なにこれ?
    掴みどころがない
    イスラム関係の本ってこーゆーのが多いんだよなー

    その場で読んで
    借りなかった

  • イスラム教を一から解説する本…というより、ムスリムのものの考え方や、現代社会のあれやこれやがムスリム側から見るとどんな感じか、が主な内容の本。コロナやロシアによる侵攻等、最新のことまで扱ってくれてるのはありがたい。西欧文明についてかなり辛辣だけれど、普段見てるニュースのものの見方はかなり西欧よりなはずなので、これくらい言わないと、の部分もあるのかも。ニュースのものの見方がそちらに寄ってるってことは、ニュースソースや価値観だけならまだしも、イスラムフォビア的な偏りが入ってるかもってことなので、そのへんを加味しないとなあ。
    信仰の内容については、キリスト教よりだいぶ今風というか現実的というか…人間が欲を持つのはもう前提!なのが面白いなあ。

  • 分断を乗り越えるためのイスラム入門 (幻冬舎新書 698)

    ムスリムの人口は世界の人口の四分のーに達すると言われています。近いうちに世界の3人に一人はムスリムになるでしょう。医療の進歩で長生きする人が増えるだけでなく、子どもの数も増えているからです。

    ここ半世紀以上のあいだに、ヨーロッパ、北アメリカ、さらにはオーストラリアまで、ムスリムの生活の場は広がりました。ムスリムが労働移民として渡ったからです。こうして、イスラムは、地理的にも世界宗教となっています。

    イスラム世界の主役は、国王でも、大統領でも、イスラム指源者でもありません。ムスリムの民衆です。私たちは、国家のリーダーや国家の同盟が政治を決めていると思いがちです。しかし、ムスリムの社会では、国家の方向を大きく左右するのは、イスラムの信仰に生きる民衆なのです。

    国家を単位として見るとさほど強い力をもっていませんが、超国家的で緩やかな集合体としてのムスリムは、国家が右を向けと言っても左を向くかもしれません。そのため、イスラム圏の国家というのは、独裁国家だろうと民主国家だろうと、ムスリム民衆の意向がどこにあるかを見ながら、内政と外交を動かさなければならないのです。

    ムスリムは、民主主義や自由主義というような「〇〇主義」よりも生活を第一に考えます。そして、その生活のすべてにわたって、イスラムは、
    ・しなさい
    ・した方がいい
    ・どちらでもいい
    ・しない方がいい
    ・絶対にしてはいけない
    という規範を与えています。

    第1章 イスラムはパンデミツクに強い

    コロナ禍に見舞われてから、イスラム社会での暴力が減少していったことが不思議でした。いろいろ考えた結果、この落ち着きの背景には、 より大きな災いに対するイスラム独特のレジリエンス(しなやかな強靭性) があるのではないかと思いいたりました。

    スティホームやロックダウンと同じことをムハンマドが言っていたのです。1400年も前の発言ですが、今日、いくつかの系統の伝承が真正なものとして認められています。
    すべてのムスリムは、アッラー(神) の言葉そのものであるコーランと頂言者ムハンマドのスンナに従わなければなりません。
    この二つはムスリムの行動規範の典拠であり、誰もその内容を否定できません。そもそも、否定するならムスリムではありません。

    ムスリムと付き合っていると、彼らが非常に清潔を重視するのがわかります。とにかく「洗う」のです。手を洗うことはもちろん、礼拝の前には、身体のあちこちを洗って清めます。身体が「汚れた」状態にあるときには、これらの清めをしないと礼拝できないことになっています。

    イスラムでは、この世界はいつか滅亡するという終末思想があります。そして、 終末を迎えるとき、 アッラーが死者を, 人ずつ呼び出して、生前の善行と悪行を天秤にかけ、善行が爪ければ楽園(天国) 行き、悪行が重ければ火獄(地獄) 行きとなります。これが最後の審判です。

    病気で苦しむことは「善行」とされているので、病気で苦しい思いをすると生前の悪行が帳消しになって来世で楽園(天国) に行ける可能性が高まるとムスリムは考えます。闘病が苦しいものであるほど、闘病それ自体が善行となる仕組みです。

    たとえ辛いことであっても、それを「神が予め定めたこと(定命) 」として受け入れることは、「六信」といってムスリムが信じなければならないことの一つです。

    ムスリムには、どんな苦しみであっても、遮命をアッラーの手にゆだねることで、不必要に悩まないという思考回路ができていると言えます。西欧では、イスラムというと、怖い神が人間の意思や自由を制約していると思われがちですが、それはまったくの誤解です。

    アッラーは、信徒が彼(アッラー) との契約を破ったときには激しい怒りを示して削しますが、守ろうと努カして果たせなかった場合には、限りない慈悲を示します。辛い目にあったとき、この慈悲は極限まで深まります。それが彼らのレジリエンスの基になっているのです。

    ムスリムは感染症を「克服」するというよりも、感染症によって信仰の炬を正すことができたと神に感謝するようになっていきます。
    このような思考回路は、ムスリムでない人間には想像がつきません。、罹つたら罹ったで、良いこともあるなどという発想が1400年も前にできた宗教のなかにあったのは驚きでした。

    第2章 強さの源泉はどこにあるのか

    気前よく他人に食事をふるまうのは、ムスリムがとても大切にすることです。なにしろ、 イスラムでは、ケチというものをひどく嫌います。これはコーランにも出てくる神の言葉ですから絶対です。ケチな人間には来世で屈辱的な罰が待っているというのです。地獄行きの可能性もあるということですから、ムスリムは、基本的に気前のよい人びとです。

    イスラムは、神によって許されている範囲で人生を偷しむことをまったく否定しません。食ベることについてもそうです。ただし、飽食は戒めます。預言者ムハンマドが質素ないを好んだことは、ハディースにしばしば出てきます。食べることを愉しむのは一向にかまわないが、貧しい人のことを忘れるな、むしろ食事を分け与えることを大事にせよ、と説いています

    欧米や日本の社会では、イスラムとセックスについては、ほとんど何も知られていません。ハディースには、実に膨大な量のセックスに関連する記述があります。
    まず、セックスは夫婦間でのみ認められ、神によって奨励される善行です。子どもをつくるための行為、という感覚ではありません。妊娠するかどうかは神が決めることであって、人智の及ぶところではないからです。
    夫婦間のセックスは基本的に善行とされていますから、結果として子どもを授かることも喜びとなります。

    商売でお金を儲けることは当然の行為です。ムハンマド自身が商人でしたから、コーランやハディースには商取引についての言及がたくさんあります。極端なことを言えば、イスラムというのは商人の宗教として広がったと思えるくらいです。

    利益を得るということもアッラーの意志、損をするのもアッラーの意志です。自分の才覚で儲けたなどというのは、イスラム的にはダメなのです。その代わり、損をしても、その責任をすべて自分がかぶる必要もないということです。
    そこで重要視されるのは、儲けの一部を「喜捨」として差し出すことです。これは、善意ではなく義務です。これを差し出さないケチな人は地獄で大変な目にあうことになります。

    イスラム圏の国では、金融商品がシャリ—ア(イスラム法) 適恪であるかどうかを審査する委員会がありますので、それにパスしていれば間題はありません。そういう金融商品や取引をイスラム金融と言います。

    食欲も、性欲も、金銭欲も、正しく行えば善い行いということになる。これがイスラムという宗教の人間観における一大特徴ではないかと思っています。キリスト教のように、禁欲を説きません。人間は、欲望に弱い存在だということを前提としているからこそ、欲望を満たしていい、ただし、ルールを守れと説くのです。イスラムの強さというのはここにあると私は考えています。

    いろいろな意味での状況の悪さにもかかわらず、その渦中にあっても、人がしなやかに生きていける。それがムスリムのレジリエンスです。
    現世の生活がいくらひどくても、最後の審判で神が楽園に導いてくれる。アッラーは、すべての人の生前の善行と悪行を天秤にかけて、死者の居所を楽園(天国) か火獄(地獄) に振り分けます。それは、生前の豊かさや権力や地位とは何の関係もありません。

    イスラムでは、人はアッラーの被造物であるから、この世に生を孝けるのも、あの世に旅立つのも神の意志によるとされます。死对ことも神の意志で、神の御許に帰ることになります。それを嘆くというのは、神の意志に逆らうような感覚なのでしょう。

    コーランには異本がありません。違う内容のコーランは存在しないということです。ハディースの方はムハンマドの生前の言行を記していますから、誰がどのように聞いたかによって系統が分かれていますが、今では、信頼するに足るハディースは何系統かにまとめられています。

    教科書的に言うと、イスラムの「戒律」の代表として以下の5つの行為があります。
    ①「アッラー以外に神はない。ムハンマドはアッラーの使徒である」ということを心から信じ、それを唱えること
    ②1日5 回の礼拝
    ③弱者のために喜捨をすること
    ④ラマダン月に斎戒(断食) すること
    ⑤一生に一度メッカに巡礼すること

    イスラムには、キリスト教カトリックの教皇のように、神の代理人役をつとめる人はいません。カリフがいれば、神の使徒ムハンマドの代理人になるのですが、それも現在はいません。カトリックでは、信者が罪の告白をして聖職者が赦しを与えたりします。あれも、イスラムではできません。神に代わって罪を赦せるような「聖職者」がいないからです。

    トルコが一貫して戦争の終結を呼びかけているのは、「イスラム的道徳」に裏打ちされているからです。女性や子どもを傷つけてはいけないという道徳です。これまでトルコを率いてきたエルドアン大統領は、敬虔なムスリムでイスラムの学識を重視する人物です。それでいて、西欧の世界がどういう考え方をするかもよく知っています。

    トルコは、「民族対民族」「国民国家対国民国家」の戦争が始まると収拾がつかないことを知っています。日本ではあまり意識されませんが、民族も国民国家も、どちらも西欧近代の産物で、イスラム社会に持ち込まれるとさまざまな軋みが生じることを知り抜いているので

    西欧の場合、もともと、キリスト教の獄かった中世のころでさえ、 国家ごとに教会が分かれていて、各国の王は戦争をするときに、 神のご加護を祈っていました。神の意志国家のために利用するという下地ができていました。
    近代以降になると、国家の力は圧倒的に強くなり、ナショナリズムを振りかざして争うようになります。ナショナリズムの基になっているネイションとは、民族や国民を指しますが、これを掲げて争うと、もはや妥協の余地はなくなります。

    イスラムに教会がないことは、この点で大きな意味をもっています。教会がないことによって、イスラムには国家のために奉仕する理由がずっと少なくなるからです。

    ムスリムの国同士の戦いの場合、どこかで講和を結ぶ余地が必ず残されています。16世紀にオスマン帝国が西ヨーロッパを征服していく過程でもそうでした。戦になっても、微底した破壊にいたる前に、必ず相手に降伏を呼びかけ、国民の生命と財産の保障と少き換えに臣従の約束を交わせば、そこで攻撃をやめます。

    ヨーロッパ諸国のように、支配には「文明化の使命」があった、そのおかげで英語やフランス語を習得できたじやないか、などという恩着せがましい感覚はイスラムにはありません。一方的に農作物を収奪し、植民地には原材料だけをつくらせて工業化をさせず、自国の産業を飛躍的に発展させたイギリスやフランスの「力の支配」とも迎います。

    くどいようですが、イスラムは商人の宗教です。相手の国をめちゃくちゃにしてしまっては、そこから税金も取れませんし、交易のための作物や商品もつくれません。それがわかっているからこそ、イスラムには、相手を完將なきまで打ちのめす発想がありません。戦いにおいても、ある種の「公正」を基にするのです。

    第3章 「見えない楽園」のカ

    イスラムは、本質的に他人の信仰に関心をもたない宗教です。自分の信仰を他人の信仰と比べることには意味がありません。一個人としてアッラーと向き合い、 契約を交わして、ムスリムになるからです。そこには、他人の介在する余地はありません。そのため、他人が「何者」であるのかを、いちいち問い質す発想をもたないのです。

    ダイバーシティのもとにあるのは、他者との「相違点」です。違いを受け入れてくれるなら、それに越したことはありません。しかし、現実にはそれが難しい。それなら「そういう人もいるかもしれない、いたとして、だから何? 」というところで止めておくのも一つの共生の知恵ではないでしょうか。

    イスラムが結婚を奨励するのは、性欲で道を踏み外さないようにという意味もありますが、苦難を分かち合う家族の存在を重視するからでもあります。ムスリムの幸福感の根底には家族があります。家族の愛怡は非常に深いし、関係が悪くないかぎり、夫婦、親子ともに絶大な信頼で結ばれています。

    ムスリムは、みな来世を信じ、そこで苦しみのない永遠の生を得られると信じています。この確信は、現世の苦しみを相対的に緩和しています。
    見えない楽園から「生きている実感」を得ているところに、 ムスリムの特徴が表れていると言ってもよいでしょう。

    ムスリムにおいては、来世での楽園への期待と現実の世界を生きている実感が、敬虔の度が上がるにつれて、一体化していくようです。来世の幸福への期待から、逆に現世での生きている実感を生き生きと味わうことができるのです。

    第4章 イスラムは「遅れている」のか?

    イスラム社会には、災いのなかにあるときに敵を創り出そうという発想がありません。イスラムそのものには、陰謀論の発想はありません。感染症が広がったからといって、人間社会の内部に「敵イコール原因者」を求める発想がないのです

    西欧文明のように、自分たちが先進的な文明世界で、他は遅れている、だから自分たちについてこいという意識はありません。西欧世界は、何世紀にもわたって、人間や社会のあいだに「進んでいる・遅れている」「優れている・劣っている」という分断をつくりだしては、他の世界を攻擊したり、支配したりしてきました。

    ヨーロッパの進歩思想の決定的な問題点はここにあります。自分たちの変化を進歩と信じて疑わない。非ヨーロッパ世界に対する力による支配を正当化し、非道な行為にも目をつぶってしまう。右手で握手しながら、左手では相手をひっぱたくようなものです。

    後発の一神教から見て、先輩の一神教を偽物にすることができないのは、神のメッセージはいつでも本物だということにしないと矛盾が起きるからです。絶対者であるはずの神が、モーセやイエスに偽りのメッセージを与えたことになってしまいます。そうすると、新旧の一神教のあいだで、「どちらが本物か」という不毛な論争が続くことになります。

    神は絶対者ですから、イエスにも正しいメッセージを残した。さかのぼって、モ—セにも正しいメッセ—ジを残した、そして最後にムハンマドにメッセージを残したのです。

    ユダヤ教徒が間違えたのは、自分たちの民族が神によって「選ばれた」と考えたこと、キリスト教徒の間違いは「父と子と聖霊の三位を一体」とし、 イエスを神の子にしてしまったことだといいます。

    イスラムでは、ムハンマドに先立つ.預言者たちに下された膺示も、もちろん.正しい啓示として扱います。その啓示を書物にしたもの、 つまり、新約・旧約聖書も「聖典」として敬意を払います。そのなかで、コーランこそ、至高の啓示を書き記した聖典だというのがイスラムの理解です

    ユダヤ教がユダヤ人のための宗教だったのに対して、キリスト教は特定の民族のためのものではなく、世界宗教になりました。それはよかったのですが、後にキリスト教徒は「国家」というもののなかに教会を莎じ込めてしまいます。

    キリスト教にとって、イスラムは最初から「邪教」だったのです。このイスラム観は、中世の十字軍の時代から現代まで変わりません。19世紀から20世紀の前半まで、キリスト教が優勢だった西欧世界は、産業でも経済でも圧倒的な力をもって世界を支配し、イスラム世界の大半を植民地にしていきました。過去2 世紀ぐらいのあいだ、西欧は、イスラム世界に対する自分たちの絶対的優位を信じて疑いませんでした。

    西欧の側は、イスラム世界に対しても、ムスリムに対しても、悪いことをしてきたという自覚はありません。植民地支配でさえ、遅れていた彼らを啓蒙してやったと思っている人が、決して少なくありません。そのため、ヨーロッパでもアメリカでも、ムスリムはキリスト教徒を憎んでいるのだ、彼らはキリスト教の敵だという思い込みが、かなり広く共有されました。

    第一次世界大戦は、ヨーロッパ列強が中東地域を植民地化するための戦争だったのですが、その狙いを隠すために、イギリスもフランスも「残忍なイスラム教徳に支配された哀れなキリスト教徒を解放するための戦争」だと主張しました。

    イスラム過激派の暴力が、反帝国主義、反植民地主義の戦いの延長線上に起きたと理解した人はもちろんいました。しかし、それを認めると、過去の植民地支配に対する賠償問題や謝罪の要求が際限なく出てくることになります。それを避けるには、 キリスト教やユダヤ教に対する憎悪に落とし込んでしまう方が都合がよかったのです。

    「進歩的」という表現は、日本でもよく使います。西欧社会における「進歩」は、個人の自由を制約してきた教会に対する反発から生まれました。教会だけでなく、キリスト教の規範から自由になることから、「進歩」は始まったと考えるようになります。
    それを支えたのが、一つは市民が主権をもっという考え方であり、もう一つは科学の発展でした。個人の自由を核とする基本的人権の考え方も、ほとんどは教会に縛られていたら実現できなかったものです。このような動きを総合的に言い表したのが、「啓蒙」です。

    国家と教会をどの程度まで分離するか、 そこのところは、 実は、 欧米諸国を見ても、かなり差があります。一番明確に、厳しく切り離したのはフランスです。逆に、最も緩やかなのはドイツやイギリスです

    ムスリムが世俗主義を理解できないのは、教会組織をもたないかちだけではありません。より根本的な理由として、そもそもイスラムには「聖」と「俗」を分ける発想そのものがないからです。これを「聖俗不可分」と言います。

    世俗主義(政教分離もその一部です) とは、 人間がつくる社会や国家のなかの「公」の領域には「アッラーは手を突っ込むな」ということですから、そのようなイデオロギーとイスラムは両立しません。

    フランスは公の場でのヒジャーブ着用を禁止しています。それに従わない人は過激派でフランスからの分離主義者だということで、処罰の対象となります。
    女性のヒジャーブは、イスラムの教えに従うものですが、羞恥心の対象となる部位を隠しています。宗教の教えに基づいて、本人にとって羞恥心の対象になるところを隠す人を過激派・分離主義者呼ばわりするのは、国が公然とセクハラをするようなものです。

    西欧社会の側から、こういう應外と悪意の挑発が繰り返されるなら、世俗的な生活になじんできたムスリムを、よりイスラムの方向に引き寄せることになります。そんなに馬鹿にするなら、自分たちもイスラムで力をつけよう、ということです。これが、多くの若者にとっての、「ジハード」の意味なのです。

    イスラムが偶像崇拝を禁止していることは、 ご存じの方が多いでしょう。モスクに行っても、ムハンマドの彫像や絵画はありません。人間が描いたところで、その姿が本物に似ているかどうか、誰にもわからないからです。真の姿かどうかわからないものを拝んでも何の息味もありません。「ならば描くな」ということです。

    第5章 イスラム世界とウクライナ戦争

    燃料への風当たりは強くなる一方でした。欧米諸国では、化石エネルギー産業への投資も減りました。アメリカでは、環境破壊が懸念されるシェールガスやシェールオイルへの投資も止まりました。
    戦争前まで、欧米諸国は産油国を、いわば悪者にしていました。それを需給がひっ迫したから増産してくれと言い、知ったことかと冷たくあしらわれても、仕方ありません。

    ウクライナ戦争が始まると同時に、ヨーロッパ各国は、主要な天然ガス産出国であるカタール詣でを繰り返して、割り当てを増やすよう頼んでいました。
    カタールはごく小さな国ですが、豊富な天然ガスによる収入で潤っています。壬族はスン二ー派ですが、イランとの関係も続け、さらにスンニ—派諸国で草の根型のイスラム主義運動に加わって政権から弾圧された人たちを保護してきた特異な国です。小国ならではの独自の生存戦略をとってきました。

    いましたが、こちらも- 気に改善しています。
    「争っても利益にならないなら、 喧嘩はやめよう」ということがイスラム世界では起きます。
    政治的な対立は、私たちの世界では最も重要な要素ですが、イスラム世界では、経済の安定に比べると重要度がぐっと下がるのです。

    黑海には、細いボスポラス海峡とダ—ダネルス海峡しか出口がありません。
    この二つの海峡の主権を握っているのがトルコです。国際海峡ですが、1936年に締結されたモントルー海峡条約によって、沿岸国で戦争が起きているときは、トルコが軍艦や商用船舶の航行について、かなりの権限をもつことが定められています。この条約を活用して、トルコはウクライナの小麦やひまわり油、 ロシアの肥料を中東やアフリカの貧しい国に供給するルートを確保しました。ロシアは、ここを通って石油を輸出していますから、 間違ってもトルコと争うことはできません。

    アメリカという国は' 共和党の政権だろうと、民主党の政権だろうと、中東に対してやってきたことは、実はあまり変わりません。自分たちが普通的な価他だと信じることを押し付け、それに従わないと、分断を拡大させ、脆弱な秩序を壊してしまうのです

    第6章 イスラムと暴力

    今の世界は、イスラム通りに統治することはほとんどできません。近代以降に西欧がつくった政治や行政のシステムが、世界中に広がっているからです。四欧は、それが優れているから広まったと思い込んでいますが、実際には、18世紀ぐらいからイスラム圈への支配を強め、19世紀になると、中東やアフリカ、そしてアジアのイスラム圏を植民地として手中に収めていつた、力による支配の結果でもあります。

    イスラムの国だったオスマン帝国では、「皇帝といえども驕ってはならない、皇帝より上に、アッラーがいる」という言葉があったそうです。

    2010年に始まったアラブ諸国での民主化運動「アラブの春」でも同じことが起きました。
    ただし、弱い立場の人たちには、二通りの志向がありました。
    1つは、権力と富を集中させた独裁者に異を唱え、私たちの社会のような、自由で民主的な体制をつくろうというもの。そして、もう1つは、同じく独裁者に異を唱えるのですが、その先に、イスラム的な体制をつくろうというものです。
    このことが、独裁者を倒した後、社会に分断を生み出すことになってしまいました。チュニジアでは、二つの勢力が拮抗して、物がが動かなくなってしまいました。

    民族主義とイスラム主義とは、突き詰めて考えると相容れません。イスラムとは民族を超越した世界宗教です。ここが同じ一神教のユダヤ教との大きな違いで、特定の民族に神の啓示が下されたという考えはまったくありません。

    預言者ムハンマドに下された啓示は「アラビア語」でした。ですから、アッラーの言葉を記したコーランはアラビア語しか認められません。翻訳は世界中にありますが、真正なコーランはアラビア語のものだけです。

    民族主義とは、自分たちの民族を大事にする発想です。この発想を基にしていたら、イスラムはアラブ人の宗教にとどまって、今日のような世界宗教には発展できなかったはずです。

    イスラムは道徳の根本を説いています。社会のルールも示します。民族による相違はまったく前提にされていません。ですからそこに、 支配する民族、 支配される民族の話を持ち込むと矛盾をきたします。アッラーとの契約でムスリムになるにあたっては、優位の民族もなければ、 劣位の民族もないからです。

    イスラムでは、後代になるほど逸脱が起きるので、正しい信仰は初期の先人たちの時代にあると考えます。だから、「先人たちの時代に戻れ」という運動が、何度も起こるのです。
    ここはイスラムを知るうえで大切な点ですが、イスラムには時代が後になるほど人間社会が進歩するという発想がありません。

    欧米諸国から見ると、イスラム過激派の主張が、どうしょうもなく復古的で後退的に感じられるのはそのためです。「あいつらは、人類社会の進歩・発展を認めようともしない遅れた連中だ」ということになります。

    第7章 ムスリムは西欧をどう見ているのか

    社会が進歩するという発想がないうえに、西欧がイスラム世界を力ずくで支配しようとしたことはムスリムなら誰でも知っています。一神教のイスラムを信仰している人がイスラムより古い一神教のキリスト教に信仰を変えることは、よほどのことがないかぎり、ありません。

    ムスリムをやめてしまうのは「人間をやめる」と言っているのと同じだと感じます。ですから「これはやりなさい」「これはやってはいけない」というさまざまな規範の一部には従わなくても、彼らはムスリムであり続けます。ここのところは、特定の信仰をもたなくても生きていくのに不自由を感じない人との大きな違いになります。

    イスラムのルールなんて息苦しくて嫌だと感じているムスリムもいます。彼らにとっては、規制のない国にいる方がずっと気楽ですから、 同化していきます。欧米諸国に移任したムスリムにも、その両方がいるのです。
    それでも、イスラムを捨てて無神論者になる人の数はごくわずかです。日本でいう「無宗教」とは違います。西欧で言う無神論者とは、神の存在と宗教を積極的に否定する人のことです。

    日本と違って、イギリスもフランスも第二次世界大戦の勝者です。彼らは、戦後になってから、貧しい旧植民地からの移住者を「受け入れてやった」のであって、過去の支配に対して、負い目など感じていないからです。

    イギリスの場合、フランスと違って、文化的な同化を迫りません。これはイギリスの特徴です。そのため、イギリスに渡ったインド人やパキスタン人は、自分たちの文化を維持することが認められていました。宗教についても維持することができます。
    このやり方は結果的に移民たちにも社会的・経済的地位の上昇を保証してきました。今や首相のリシ・スナクはインド系でヒンドゥー教徒、ロンドン市長のサディク・カーンはパキスタン系でムスリムです。

    ムスリムの場合、他の宗教の信徒と比べて、生きるうえでの背竹として信仰をもっている人が多いと思います。経済的に成功した人であっても、文化的な価値観や生き方については、むしろ、西欧に背を向けるようになっています。

    第8章 西欧はなぜイスラムを嫌うのか

    西欧のイスラム嫌悪は、それこそ、イスラムが生まれて間もないころからあります。キリス卜教が誕生して600年もたってから、別の預言者によって新しい一神教が生まれたと言われても、キリスト教徒は、そんなものはインチキに違いないと思ったでしょう。

    すべてはそこから始まりました。十数回にわたる中世の十字軍が実際に何を目的にして何をしたのかは別の話ですが、十字軍を駆り立てたモチベーションは、ムスリム(イスラム教徒)の支配下にあった聖地エルサレムを奪回することにありました。
    そして、東方のキリスト教の中心だったビザンツ帝国がオスマン帝国によって滅亡させられたことは、イスラム脅威論とトルコ脅威論が重なり合って出てくるきっかけになりました。

    トルコに対する嫌悪は、非常に根の深いものです。その原因をいくつか拾い上げてみましょう。オスマン帝国時代にバルカン半岛から中部ヨーロッパまで支配したこと、帝国末期のアルメニア人の大規模な追放と殺戮、クルド人武装勢力との長年の戦闘、ヨーロツパ各国に定住しているトルコ系移民のなかに同化に背を向けイスラムに回帰する人が増えたことなどが挙げられます。

    トルコは、人口の大半をムスリムが占めているのに、憲法で明確に「仕俗国家」であることをうたっている国です。しかも、世俗の国、つまりイスラム法を適用することができないというのは、憲法の改正不可条項ですから、イスラム主設的な今の政権ができた後も、酒をつくることも、飲むことも認められています。

    典型的イスラ厶批判に対するムスリムの言い分
    イスラモフォビアの認識論的な問題は、西欧の側が自分たちの価値の体系に照らして、イスラムを劣った存在、ムスリムの思考様式を遅れたものとみなすところにあります。遅れているとみなさないと気が済まないという嫌い方です。
    この姿勢を改めないかぎり、「文明間の対話」や「共生」など、率直に言って絵空事にすぎません。

    イスラムでは、コーランかハディースでルールが決められていることについては、時代が変わっても変更することができません。理由は単純なことで、コーランに記されていることは、アッラーの言葉そのもの、ハディースに書かれているのは、神の使徒ムハンマドの言葉や行動だからです。

    イスラムとは、「アッラーに全面的に従うこと」を意味していますから、コーランに記されている命令を後の世の人間が変えることは不可能なのです。アッラーの言葉は便徒ムハンマドを介して人類に伝えられたので、彼の言葉や行動も「無謬」です。したがって、これを後の世になって変更することもできません。

    第9章 分断を超えてムスリムと付きあう

    イスラム社会のパラダイムは、私たちのパラダイムとは根底から違うということを理解したうえで批判を展開しないと、暖廉に腕押しにしかならないのです。ここで言うパラダイムというのは、考え方の根底にある原理とその上に築かれるロジックの総休です。根木が違うのに、その上に築かれる人間の行動だけを変えろと言っても、 変わることはありません。

    イスラムとは、個人と神との契約ですから、他人が神との契約関係のなかで、具体的に何をしたり、 何をしなかったりするのかには関心がありません。敏虔なムスリムになればなるほどそうなります。他人に干渉することは、他人の信仰のありようをジャッジすることになるからです。イスラムの学識を備えた先生だけが、ある行為が許されたものか、禁じられたものかの判断を信徒に下すことができます。

    イスラムで「するな」とされていることには、いろいろあります。
    先に挙げた飲酒や姦通は、アッラーとの契約違反のなかでも虽も車いもので、身体に罰が科されます。飲酒の場合は、鞭打ち、姦通の埸合は、基本的に死刑です。それも石をぶつけて殺すというのですから、西欧から見れば、 実におぞましい刑ということになります。未婚者同士のセックスも、婚姻関係にないので姦通扱いとなり、鞭打ちと追放が決まりです。
    こういう刑罰を「ハッド」刑と言います。ハットというのは「1線」のことです。つまり、神との約束(契約) の一線を越えたことに対する削です。

    食べていいか、食べてはいけないか、という話になると、必ず出てくるのが「ハラ— ル」という用語です。これは(神によって) 「許されてる」という意味です。反対に禁じられているものは「ハラーム」と言います。ともに食べ物だけを指すわけではなく、行^ にも依われます。利子をとる取引は「ハラーム」、公正な取引は「ハラール」というようにです。

    日本人は、よく「どうして豚を食べないの? 」とムスリムに尋ねますが、あれはやめた方がよいと思います。ムスリムには豚が食べ物に見えていないからです。この質問は、日本人に「どうして猫を食べないの? 」と聞くようなものです。日本人は猫を食べ物だと思わないでしょうから、聞かれたら、気持ちの悪いものです。

    長いことムスリムと付きあってきての私の印象は、相手(私) がある程度イスラムのことを知っていることがわかると、向こうもほっとするのか、いたって素直にいろいろな話ができるというものです。

    信仰や宗教に踏み込む必要がないなら、その話題には深入りしなくていいのです。大切なのは「内面の詮索をしない」ことです。日本人のものさしで測って、自分たちに近い人か、遠い人かを評価しようとすると、彼らにとっては「内面の詮索」になってしまいます。

    イスラムは、人の生死は神の手のなかにあると考えます。病を癒すのは神、 医師はその手助けをするだけ。私は医学の進歩が人類社会に大きく貢献してきたことを疑ってはいません。しかし、病を癒すのは神の仕事、それを手助けするのが医師の仕事と考え、人間の最期を神にゆだねることによって、残る側の人間は、心の平静を保つことができます。その大切なことを、私はムスリムの友人から学びました。

    欧米諸国では、1980年代ぐらいからイスラムが復興して、西欧に盾突くようになったと言われてきました。西欧はイスラムの復興がよほど気に入らなかったのでしょう。それは、自分の左手が何をしてきたかを右手が知らないというようなものです。ヨー ロッパの列強諸国が、植民地統治の時代に力でイスラム世界を支配したことへの反省がありません。自分が殴ったことを忘れてしまっても、殴られた相手は忘れません。

    世界の分断が進むなか、イスラム世界では対立から和解への動きが活発になっていきました。それは実利の追求によるものなのか。それともイスラムの信仰の内に備わるメカニズムによるものなのか。
    ならば一つ、非ムスリムの目から見て、どこに分断を乗り越える知恵があるのかを改めて考えてみようということで書いたのが本書です。

  • 東2法経図・6F開架:B1/11/698/K

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著者プロフィール

1956年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学文科卒業。社会学博士。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、同支社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。著書に『イスラームから世界を見る』(ちくまプリマー新書)『となりのイスラム』(ミシマ社)『外国人労働者・移民・難民ってだれのこと?』(集英社)ほか多数。

「2022年 『トルコから世界を見る』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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