禅といま

著者 :
制作 : 奈良 康明  佐々木 宏幹 
  • 春秋社
3.00
  • (0)
  • (0)
  • (1)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 5
感想 : 1
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784393133620

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 「匙であってはならない、舌であれ」>スプーンはいくらご馳走をすくっても、味を知らない。

    たとえば無常ということが、万物無常、すべてのものが無常だ、というだけでは、科学とまったく同じです。その主語を一人称に変えなければ、仏教、禅にはならないと私は確信しています。「私が無常」なのです。

    「在る」ということと「はたらく」ということは、じつは同じことなんです。

    「ビール」これを分析することはできるんです。しかし、ビールの本当の「はたらき」はどこにあるかと言ったら、黙って飲むよりしょうがないではありませんか。

    「東洋文化に重要な「自然」をnatureに当てはめたのは最大の誤訳である」鈴木大拙

    「かけがえのなさ」というのは交換不可能ということと結びついています。

    「いや、どんな病気も、患者さんの心がわくわくしないと治らないんだよ」

    人間というのは、自分を支えてくれているというものが、あるかないかというので、本当に生命力が違ってくるということを、このつながり型の癒しというものは、物語っているわけです。

    つながりというのは、その人と何かをやる以前に、その人とつながり合っているということを感じる、つまり存在同士がつながっているという感覚なのです。

    本当に欲しいものは、本当に私がどう生きたいか、につながります。そして、その問いは最終的には、私はどう死にたいか、へいたります。

    「道の道とすべきは常の道にあらず」「道は常に無名なり」

    分別というのはいろいろありますが、最近私が一番問題だなと思うのは、きれい・汚いという分別です。反対語がある言葉は信用しないでください。きれい・汚い・尊い・賎しい、大きい・小さいもそうです。これも基準の問題だからです。

    あなたはあなたではないからあなたなのです。

全1件中 1 - 1件を表示

著者プロフィール

1933年(昭和8年)、愛知県に生まれる。禅僧。駒澤大学仏教学部卒、同大大学院修了。5歳で曹洞宗無量寺に入門、15歳で得度し、愛知専門尼僧堂にて修行生活に入る。1976年より同尼僧堂堂長を務め、現在に至る。正法寺住職・無量寺東堂などを兼務する。2006年、仏教伝道功労賞を受賞する。茶道・華道の教授でもある。著書は多数あり、当社近刊本に『禅のおしえ12か月』(2018年)がある。

「2022年 『新装改訂版 道はるかなりとも』 で使われていた紹介文から引用しています。」

青山俊董の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×