- Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
- / ISBN・EAN: 9784393133620
感想・レビュー・書評
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「匙であってはならない、舌であれ」>スプーンはいくらご馳走をすくっても、味を知らない。
たとえば無常ということが、万物無常、すべてのものが無常だ、というだけでは、科学とまったく同じです。その主語を一人称に変えなければ、仏教、禅にはならないと私は確信しています。「私が無常」なのです。
「在る」ということと「はたらく」ということは、じつは同じことなんです。
「ビール」これを分析することはできるんです。しかし、ビールの本当の「はたらき」はどこにあるかと言ったら、黙って飲むよりしょうがないではありませんか。
「東洋文化に重要な「自然」をnatureに当てはめたのは最大の誤訳である」鈴木大拙
「かけがえのなさ」というのは交換不可能ということと結びついています。
「いや、どんな病気も、患者さんの心がわくわくしないと治らないんだよ」
人間というのは、自分を支えてくれているというものが、あるかないかというので、本当に生命力が違ってくるということを、このつながり型の癒しというものは、物語っているわけです。
つながりというのは、その人と何かをやる以前に、その人とつながり合っているということを感じる、つまり存在同士がつながっているという感覚なのです。
本当に欲しいものは、本当に私がどう生きたいか、につながります。そして、その問いは最終的には、私はどう死にたいか、へいたります。
「道の道とすべきは常の道にあらず」「道は常に無名なり」
分別というのはいろいろありますが、最近私が一番問題だなと思うのは、きれい・汚いという分別です。反対語がある言葉は信用しないでください。きれい・汚い・尊い・賎しい、大きい・小さいもそうです。これも基準の問題だからです。
あなたはあなたではないからあなたなのです。詳細をみるコメント0件をすべて表示