- Amazon.co.jp ・本 (454ページ)
- / ISBN・EAN: 9784393291412
作品紹介・あらすじ
伝統的宗教における風狂の行者から、グルジェフ、クロウリー、トゥルンパ、ラジニーシ、ダー・ラヴ=アーナンダといった現代のグルまで、霊的奇人たちの行状・思想・意義を鋭くえぐったスリリングな宗教学。
感想・レビュー・書評
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本格的にスピリチュアルな修行をするには、導師であるグルの存在は欠かせないが、数々のスピリチュアルな団体を経験した筆者による、グル論である。
グルとは何か?
どんなグルがいるのか?
グルとの関係はどうあるべきか?
についてまとめられているのだが、表現やいい回しが難解。
翻訳のせいなのかもしれないが、置き換えにくい言葉があるのかもしれない。分厚いし、じっくり時間をかけて読むことをお勧めしたい、
グルは「狂気の智慧」を授ける立場であるが、時にこの智慧が本当に智慧なのか?、グルがただ狂っているだけなのか?グルの欲望を満たすだけの行動にすぎないのか?怪しいケースがある。特に、性行為はそうだ。
自我を崩壊させたり、「自己を超える」には、「狂気」になることは必要であるともいえるが、その引導役としてグルにグルたる自覚があるかどうか。
弟子も、狂気の世界に足を踏み入れつつ、どこかでグルが真のグルかどうか(盲目的、従属的になっていないかどうか?)自分を再評価する目を持ち続けることが必要。
しかし、盲目的であることと、客観的であることを絶えず両立させるのは難しいが、それをやり続けることが、霊的修行の道、というのが筆者の主張ではないかと思う。
クリシュナムルティ、ラジニーシ、ドゥルンパ、グルジェフ・・・等のグルについては、その主宰する団体が、社会的にどう認知され、その後もどんな影響を与えているのか?も考察している。
キリスト教、イスラム教なども、当初は異教扱いされつつ、現在はメジャーな宗教になっているが、はたして前記の宗教的団体が、広く受け入れられるだけの素地があるかどうか?も問いかけている。
私個人は特定のグルを見つける、グルに帰依するという必要をまったく感じないし、弟子になることがあたかも免罪符であったり、すべての行動のより所にし、現実の世界でうまく生きていく努力をしないことはおかしいと思っている。
筆者の主張もおそらくここは同じだと思うのだ。
特定の宗教(的)団体に帰依する人は、宗教・思想やグルとの関係性を考えるために一読すべき書と思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示