- Amazon.co.jp ・本 (413ページ)
- / ISBN・EAN: 9784393325339
感想・レビュー・書評
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重力と恩寵は、シモーヌ・ヴェイユ(田辺保訳)『重力と恩寵 シモーヌ・ヴェイユ「ノート」抄』(講談社文庫 - 講談社、1974)で40年ほど前に初めて読み、稀にしか出合えない高純度の思索に触れた思いがした。それ以来、何度も読み返している。ヴェーユの著作は、一生の宝物となるような性質のものなのだ。
本書には渡辺義愛訳「重力と恩寵」が収められているが、それ以外にヴェーユの珍しい戯曲が収められていて貴重である。この戯曲は未定稿で、完成されていない部分がひじょうに多いという。本書にはヴェーユのメモが頭を下げて各ページの下の部分に印刷されており、読むと新鮮な印象を受ける。
ヴェーユには、母親に溺愛されたヴェーユ、哲学者ヴェーユ、教師ヴェーユ、政治活動家ヴェーユ、神秘主義者ヴェーユとはまた別の顔――作家ヴェーユの顔――もあったのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ゆるすこと。できない相談だ。だれかがわれわれに苦痛を与えたとき、われわれの内部に反作用が生まれる。復讐の欲求はどうしても必要な釣合いへの欲求である。別の面での釣合いを求めなければならない。自分自身でこの限界まで行かねばならない。そこでは人は真空に行きつく。(天はみずから助くるものを助く……)p.55/われわれは、自分自身の奥底まで降りて行くと、自分が欲求しているものを過不足なく所有していることがわかる。p.76/われわれのうちのよこしまなものや凡庸なものは、どれも純粋さにさからうものであり、それらの生命を保つために、純粋さを穢すことを必要としている。 穢すこと、それは変化させること、さわることである。美しいものとは、それを変化させようと思うことのできないもののことである。なにかを意のままにあやつることは、穢すことである。所有することは穢すことである。 純粋に愛すること、それはへだたりを受け容れることである。自分自身と自分の愛するものとのあいだの距離をこよなく愛することである。p.137/自分自身の眼で自分の姿をはっきりとらえるまえに、人から理解してもらおうとするのはまちがったことだ。それは友情のなかに不当な楽しみを求めることである。それは愛よりもいっそう堕落のもとになる。あなたは、あなたの魂を友情に売り渡すことになろう。pp.138-139/つとめて苦しまないようにしたり、苦しみを軽減しようとしたりしてはならない。むしろ苦しみによって変わらないようにつとめるべきである。p.158/信じることのさまざまな段階。どんなありふれた真理でも、それが魂のすみずみまでを占領すると、啓示のようなものになる。p.207/よくできた社会とは、そのなかで国家が船の舵のように消極的なはたらきしかもたないような社会である。舵というものは、時宜にかなった瞬間にちょっと押せば、不均衡の芽を摘み取ることができるのだ。pp284-285/奴隷の状態、それは永遠から一条の光も射してこない、詩のない、宗教のない労働である。 どうか、永遠の光が、生きる理由や働く理由ではなく、そんな理由を求めることを不必要にするような充実感を与えるように。 そうでないと、労働をうながすのは強制と儲けだけになってしまう。強制は、大衆の抑圧を含むものである。儲けは、民衆の腐敗を含むものである。p.297
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自己無化の精神につらぬかれた、稲妻のような言葉の数々。
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昔、文庫判で読みました。ヴェイユのこの本は、読んでいくととても苦しい「信仰告白」でもあります。私は泣きながら読んでいました。カントの『純粋理性批判』もなのですが、私にとって哲学書とは、孤独な芸術家がこの世に残したかけがえのない作品です。読解するものではなく、感応するものなのです。今現在、再読する気力はないのですが、それでも一生手許に置きたい魂の一冊であることに変わりはありません。
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手元に置いておきたい本。
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分類=思想・ヴェイユ。98年10月(68年初出の新装版)。