情報学的転回: IT社会のゆくえ

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  • 春秋社
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  • Amazon.co.jp ・本 (247ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784393332429

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  • 西垣通の人間観は生命流(生物・動物)と人間(個人)の二元論かも。
    - "われわれは共生体であり、生命流をふくんだ情報ネットワークのいわば結節点である。その中で社会的なコミュニケーションが行われている。そして、コミュニケーションが滞りなく行われ、社会秩序が保たれるためには、個人というフィクションも必要なのだと考えなくてはいけない。責任というものをもう一度能動的につくり直していく必要がる。そういうふうに個人や責任という概念をとらえるべきです。"
    - "われわれ一人ひとりは、実は六十兆個の細胞というオートポイエティック・システムの共生体です。そして、意識的にせよ、無意識的にせよ、生命流というものに参加しているわけです。/しかし一方、人間は社会をつくって、そこで意識的な個人というフィクションのもとに生活しているわけです。そういう両面から人間を理解することが大事です。"

    Informatic Turn

    - ”情報とは本来、記号表現と記号内容とが一体不可分になって結合したものです。表される意味内容のことは忘れてしまって、表す記号だけを取り出してよいというのは、文字という技術が生みだした驚くべき出来事です。”
    - ユダヤ的な知性は土着性を奪われることによって生じる(民族離散 Diaspora)
    - 土地によらない、時間・空間を限定しない普遍的な論理にもとづく思想や生活技術

    * 情報学的転回、生命情報、生命流
    - 情報学的転回とは”人間は生物なのだというところから出発して、我々が生きている生命環境を尊重しようというテーゼに基づいて、もう一遍根底から物事を考え直してみようということ”
    - 再広義の情報は生命情報:”生物にとって意味があるもの、価値があるもの、生物に刺激をあたえ行動を促すもの”

    * コミュニケーション
    - 情報が小包のように検索できるという誤った信念(「情報小包論」)は、シャノンの情報理論を誤解した文科系学者が作った
    - "情報小包が送られたのではなくて、そこに意味解釈の斉一性が働いている", "ある記号に対して、それを斉一的に意味解釈させる社会的な現象、一種の社会的な権力作用が働いている。"

    * オートポイエーシス
    - オートポイエティック・システム(自己創出系)は閉鎖系。内部も外部も、入力も出力もない。物質、エネルギーの出入りはある。生物が世界を認知する仕方が閉じている(位相的閉鎖系)。自らの認知世界の中に閉じ込められている(環世界)。
    - "生物というオートポイエティック・システムは、自分で自分の環世界を作り出していく存在である。このことは、生物というものが、いわば手探りで盲目的に生きているということでもあります。"

    * メディアとコミュニケーション
    - 意味作用は、基本的には閉じた心の中の出来事。情報は厳密に言うと伝わらない。誤解が当たり前。ただ刺激を与えるだけ。

    * 社会的なコミュニケーション・システム
    - コミュニケーションが連続的に、自己循環的に発生(ルーマン)している。
    - 社会的システムにおける継続的なコミュニケーションの発生ということ自体をもって、擬似的にせよ、情報が伝達されているとみなす。
    - コミュニケーションを秩序付けるものがメディア。コミュニケーションの発生を支える社会制度。

    * 生命情報/社会情報/機械情報
    - 社会情報とは、社会的コミュニケーションにおいて発生する、生命情報とは異なるもの。狭義の情報。生命情報の中から意識的に抽出・記述された情報。記号(記号表現)と意味内容(記号内容)のセットから成り立っている。
    - 機械情報とは、社会情報の中で、記号表現だけを独立させたもの。最狭義の情報。
    - ”この機械情報が氾濫しているのが、実は情報文明です。”
    - ”機械情報を操作する技術が、いわゆるITです。”
    - "文字などのメディアが発生したとき、シニフィエ(記号内容)からのシニフィアン(記号表現)の分離が行われました。このときに初めて、機械情報が出現したわけです。"
    - "いったんマスメディア・システムが作動を始めると、あたかもミクロなゆらぎからマクロなパターンが生じるように、自己循環的な運動が継続していく。われわれは否応なくそれに巻き込まれていくわけです。"

    * 情報と聖性
    - "われわれ人間は生命情報から社会情報を切り出します。おもに言語を用いて抽出し記述します。そのとき必ず「余剰」が出るわけです。"
    - 社会情報の解釈の網目からこぼれる「余剰」が「恐い」と感じる。ここに聖性が生じる。端的には「死」。そこで「宗教」が出てくる。
    - 神秘体験を生み出すプロセスはトランス(意識変容)状態。
    - ”人間の心はオートポイエティックで自己言及的ですから、たとえ外部の刺激がほとんどなくても、内部で自己発振して多量の生命情報をつくりだすことができます。いわゆる白昼夢です。情報学的には、夢も現実も、イメージをつくりだすメカニズム自体に変わりはないのです。”

    * 宗教とメディア
    - "あらゆる宗教はメディアと深く関わっているということです。宗教を人々へ伝搬布教するメカニズムは、その時代の代表的なメディアに依存します。"
    - 今の日本の状況:自分がかけがえのない存在ではなく、市場で競りにかけられている、IT文明によって人間が内面からロボット化されつつあるという抑圧から、潜在的に救済を求めている。

    * マルキシズムとメディア
    - マルキシズムの失敗はイデオロギーの内容ではなく、これを伝えるシステム、つまりメディアがダメだったのだ(レジス・ドブレのメディオロジー)
    - ”東側陣営の主要メディアが印刷文書だったのに引き換え、西側陣営の主要メディアはテレビだったわけです。そしてマルキシズムはテレビに負けた。”

    * 内なるアメリカ
    - "アフガンの女性が伝統衣装を脱いで、しゃれたスーツをまとってベンチャー・ビジネスをやりはじめた。そういうとき、今のアメリカ批判派は彼女をどう位置づけるのでしょうか。"
    - "彼女は素晴らしいと位置づけた途端に、それは進歩だとみとめた途端に、アメリカ批判の矛先は鈍ってしまうはずです。アメリカ人は、自分たちは血を流してあいつらを解放してやったと言うに決まっています。そういうアメリカ人の論理を覆すだけの論理を、果たして我々は持っているのか。”
    - アメリカ的な進歩史観を我々はしっかり持っている。日本で蔓延しているのはアメリカ流の世俗的消費主義。
    - "日本におけるポストモダンなんて、現代思想というより、単なる消費主義、快楽主義にすぎません。生産のために我慢して働いてばかりいるのはつまらないから、すてきな消費もやったらどうか、というようなものです。それが日本のポストモダンです。これが近代批判なのかというくらい薄っぺらなものです。"
    - "ユダヤ=キリスト教的な、一神教的な進歩思想を根底から批判するだけの論理を、われわれは模索していくべきではないでしょうか。"

    * 日本社会、コミュニティ、個人、責任
    - 東京一極集中からハイパー多極分散へ。
    - "情報流、物流、交通などが、それぞれ関連しながらも分離独立して、ダイナミックに多次元的な極をつくる"
    - "昔ながらの地方分散では、三つの流れが一体で、極が静的で固定している"
    - ハイパー多極分散社会での生き方の鍵はコミュニティ。コミュニケーションから作られる社会システム。
    - 「個人」という近代社会の大前提を見直す必要がある。
    - 首尾一貫した個人という概念は社会システムの側から要請される。
    - "われわれは共生体であり、生命流をふくんだ情報ネットワークのいわば結節点である。その中で社会的なコミュニケーションが行われている。そして、コミュニケーションが滞りなく行われ、社会秩序が保たれるためには、個人というフィクションも必要なのだと考えなくてはいけない。責任というものをもう一度能動的につくり直していく必要がる。そういうふうに個人や責任という概念をとらえるべきです。"

    * 機械情報から生命情報を捉え直す
    - "機械情報文明がどんどん盛んになることによって、そこからもう一度、自分たちは生物なのだ、生命流の中の結節点のようなものなのだという自覚が生まれつつあります。"
    - "社会も独立した個人の単なる集合ではない。サイバースペースという存在は、そういう思想的な動きの中で捉えなおさないといけないと思います。"
    - しかし機械情報と生命情報を短絡してはいけない。生命体と機械を同一視してはならない。生命機械論・人間機械論に陥ってはならない。
    - 生命に対する畏敬の念が欠けてはならない。

    * 被爆国民というわれわれ
    - 広島、長崎は聖地。聖性を帯びた場所。
    - 日本人は広島、長崎を大事にして来なかった。
    - 「戦争は嫌だ」という嫌戦、厭戦という気分はあるが、平和を構築するというのはどういうことか、明快な論理をベーシックなところから構築し、共有してきたとは言えない

    * 新たな普遍思想とは
    - ユダヤ=キリスト教文明を相対化できる思想や社会哲学の模索
    - 普遍的なものでなければだめ。グローバル時代だから。
    - ローカルでヴァナキュラーな土着の聖性は通用しない
    - 土着の聖性を通用させるためには、それをITで機械情報化しなくてはならない
    - "普遍というのは、あるテキストをどこの土地にいつ持って行っても成り立つということです。時間、空間をこえて成立することです。それで大成功をおさめたのは、ユダヤ=キリスト教です。近代科学も、近代経済もそこから生まれてきたわけです。”
    - 古代インド哲学に立ち戻る。情報学との違い、共通点。

    * 古代インド哲学、大乗仏教、オートポイエーシス理論
    - 人間が自分の身体を使って行動する中で、世界が自ずから立ち現れてくる。身体的な行為によって、行動によって、世界が生み出される。(ヴァレラのエクナティブ認知科学→『身体化された心』)
    - 倫理の基礎は西洋の伝統的思想では「首尾一貫した自己」と「神」。しかし「首尾一貫した自己」は認知科学によって否定されつつある。
    - 自分という存在を支えているのは他者である。→新しい倫理の可能性(大乗仏教の「一切空」「縁起」)
    - 多様な関係性の中でいかに他者を尊重していくか
    - 欲望を持つ個人同士が競争していくという近代の世界観を塗り替えていく可能性

    * ギャーナ・ヨーガとしての学問
    - ラージャ・ヨーガ(精神統一)
    - バクティ・ヨーガ(信愛)
    - カルマ・ヨーガ(献身)
    - ギャーナ・ヨーガ(知識)

    * 情報学的転回
    - 情報から物事を眺めるように、われわれの思考様式が変わっていくこと。極論すれば、世界には情報しかない、と言い切ること。
    - 人間を機械化していく現在の流れを逆回転させること。機械情報に基づく転回を阻み、生命情報に基づく転回へと変質させること。それが真の情報学の使命。

  • ITが進化した現代社会のあり方に疑問を投げかけ、生命・宗教・ITの観点で本当にこれからのあるべき姿を考えさせられる良書。

著者プロフィール

東京経済大学コミュニケーション学部教授/東京大学名誉教授

「2018年 『基礎情報学のフロンティア』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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