神仏たちの秘密―日本の面影の源流を解く (連塾方法日本 1)

著者 :
  • 春秋社
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  • Amazon.co.jp ・本 (375ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784393332887

感想・レビュー・書評

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  • ☆2(付箋7枚/P375→割合1.87%)

    写真が結構多いので、対ページ付箋割合が下がっています。
    この塾、前田日明とか福原義春(資生堂名誉会長)、鳩山由紀夫とかいらしていて、その写真を見るだけでも面白いのですけれど、とにかく松岡正剛です。

    個人的に収穫だと思ったのは、松岡正剛の編集者として良く語る言葉について考察が得られたこと。
    彼は方法の時代であるとよく語ります。主題ではなく、述語を問うべきだと。様々な編集術、読書術、知のアウトプット方法を考察し、試された方の言葉で言いたい事は分かる気がするのですけれど、何故主語より述語“である”と言い切れるのか今一掴めていなかった。
    でも、本書でこう語られています。

    “誰だって好きなものがいろいろあります。
    きっと、たったひとつのジャンルのものを限定して好むということは、めったにないと思います。でも、「たくさん」という状態をそのまま保つことは案外難しくて、たいていそれらはジャン ルというものに分けられて、「どういうジャンルの音楽が好きだ」とか「これこれのジャンルのアートが好き」といったところに追いやられていってしまう。
    そこをそうしないで、なんとかもう一度述語化してみる。好きなものがあれば、それをさまざまに言い換えてみる。そこからもう一度主語に戻していったときに、今度はたくさんの主語が騒然と立ちあらわれていくはずです。”

    ああ、そういう事だったのか。好きなものを、読書とか歴史ものとかミステリとか伊坂とか、ジャンルの主題で整理してしまわないで、好きだと感じたその部分をもっと大事にしたい、そういうことか。

    あと個人的には、
    “しかし現代の日本では、あえて不足をつくるという方法がかなり失われています。つねに満点か平均点以上ということを求め、誰もが満足しているかどうかを、CSM(顧客満足マネジメント)なんてのがまさにそうですが、物事のオーダーにしすぎてきました。”

    というのが仕事に関連してツボでした。不足はどこにでもあるので、それをあえて美とする方法。
    誰もコールセンターに求めてないと思うけれど、勝手に追求します(笑)。

    ・最初のタテの太政官札のときは、加納夏雄などの、当時の最高の彫金師たちがデザインをしたんですが、それがふいに欧米顔の神功皇后の肖像が刷られたヨコの紙幣に取って代わったときに、洋才が和魂を凌駕してしまったんですね。おそらくそこから明治が、日本が崩れていったのだと私は見ています。

    ・誰だって好きなものがいろいろあります。
    きっと、たったひとつのジャンルのものを限定して好むということは、めったにないと思います。でも、「たくさん」という状態をそのまま保つことは案外難しくて、たいていそれらはジャン ルというものに分けられて、「どういうジャンルの音楽が好きだ」とか「これこれのジャンルのアートが好き」といったところに追いやられていってしまう。
    そこをそうしないで、なんとかもう一度述語化してみる。好きなものがあれば、それをさまざまに言い換えてみる。そこからもう一度主語に戻していったときに、今度はたくさんの主語が騒然と立ちあらわれていくはずです。

    ・何かが不足している状態というのは、ふつうは不満の対象でしかない。しかしそのように考えるのではなく、満足の美というものがあれば、同時に不足の美というものがあるのだと考えるんですね。ときには、むしろ不足によってこそ、完全や満足というものではあらわせないことが出現するとみなす。不足をいかに美しく するかということによって、人々のなかに満足の美というものを感じさせるのです。『枕草子』はそれを「小さきもの」と言いました。イサムノグチは「不完全こそが美だ」と言いました。
    しかし現代の日本では、あえて不足をつくるという方法がかなり失われています。つねに満点か平均点以上ということを求め、誰もが満足しているかどうかを、CSM(顧客満足マネジメント)なんてのがまさにそうですが、物事のオーダーにしすぎてきました。

    ・稽古の「稽」は一文字で何と読むかご存知でしょうか。「稽古」と書いて、「古(いにしえ)をかんがえる」、あるいは「古きをおもう」と読むんです。この「古」というのはべつに古い時代という意味ではない。むしろ「型」という意味なんですね。

    ・この三柱の神を日本神話学では造化三神と呼びます。そこから次々に大地の神や島の神や風の神などが生まれ、七代目にイザナギ・イザナミの男女神が生まれる。これが日本のアダムとイブです。
    (その二人からアマテラスとスサノオが生まれる。最初にヒルコが産まれ、出産が失敗する。男性から声をかけるように方法を変え、たくさんの子供を産んでいく。)

    ・王朝の貴族社会とちがって、武家というのはどこで死ぬかわからない。公家ならば、阿弥陀堂や来迎図にすがって、死んでもすぐに浄土へ行けるかもしれません。しかし武士は、とくにそのころの東国の武士は戦場から戦場へと移動しながら、いつかは負けて、知らない土地で命を落とすということをつねに覚悟していなければならなかった。
    …兼好法師が『徒然草』のなかで、花は盛りよりも散ったあとがいい、賀茂の祭りは終わったあとの寂しさのほうがよい、本は新品よりも綴じ糸がほつれているようなものがいいと書いていますが、そのような美意識もこの顕密体制とともに生じていったのではないかと思います。

    ・日本の美術や祭りでは、浄土と穢土、この世とあの世、hereとthere、こことむこうというものの関係が、何も変わっていないんじゃないかと思うくらいに、近いところにあらわされています。「このまま」が即「そのまま」になっていく。
    たとえば茶室が四畳半から二畳台目まで小さくなると、「このまま」から「そのまま」へのトランジットは、さらにごくわずかなものになる。でも、そのわずかなことのなかに、永遠の距離が「近さ」に変じるということが感じられる。その感覚をつくったのが、無常観であり、天台本覚思想だったわけですね。
    ところが、じつはそのときに何かが省かれているんです。引き算されているものがあるんです。引き算によって、ふえているものがある。そんなことがありうるかとおもわれるかもしれないけれど、ありうるのです。
    たとえば枯山水は、水を感じたいから水を引いたわけでしょう。引けば引くほど水を感じるというものです。

  • 中世を考えて、古代が必要になった後この本に辿り着いたので正しい順番で巡り合えた

  • ハイパーリンクしまくる、といった感じの本。ひとつひとつの内容に関してはそこまで掘り下げはないと思われたので、もう少しいろんな知識がついてから読み返した方が楽しめると思いました。
    個人的には日本神話に関するところが面白かったです。

  • 再読。

  • 2021年のGWに3冊まとめて読んだ。所感は3巻で。

  • 【推薦者】I.R@46守番匠

  • 連休で改めて千夜千冊のサイトと平行読書。

  • 日本を語るのではなく日本という方法、日本と日本人がどの
    ように世界を見て、どのようにハンドリングしてきたかと
    いうことを神仏を軸に語ろうという講義─連塾の抄録。
    興味深い内容、興味深いキーワードが並んでいるのだが、
    講義録のせいか、今ひとつ心に届いてこなかった。
    もう1冊、きちんとした著作を読んでみなければ。

  • 「日本」についての本だけど、この本はすごい!知的興奮の連続。面白すぎる。もう日本人は全員この本読んだほうがいいね(笑)高校の教科書にしたらいいと思うわ(笑)

  • 紀貫之にやられた

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著者プロフィール

一九四四年、京都府生まれ。編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。一九七〇年代、工作舎を設立し『遊』を創刊。一九八〇年代、人間の思想や創造性に関わる総合的な方法論として″編集工学〟を提唱し、現在まで、日本・経済・物語文化、自然・生命科学、宇宙物理、デザイン、意匠図像、文字世界等の研究を深め、その成果をプロジェクトの監修や総合演出、企画構成、メディアプロデュース等で展開。二〇〇〇年、ブックアーカイブ「千夜千冊」の執筆をスタート、古今東西の知を紹介する。同時に、編集工学をカリキュラム化した「イシス編集学校」を創設。二〇〇九~一二年、丸善店内にショップ・イン・ショップ「松丸本舗」をプロデュース、読者体験の可能性を広げる″ブックウエア構想〟を実践する。近著に『松丸本舗主義』『連塾方法日本1~3』『意身伝心』。

「2016年 『アートエリアB1 5周年記念記録集 上方遊歩46景』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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