正統とは何か

  • 春秋社
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784393416136

作品紹介・あらすじ

ユーモア作家にして鋭利な文明批評家チェスタトンが語る保守思想の名著。宗教、伝統、社会における正統な考え方とは何かを説き、「狂人とは理性を失った人ではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である」や「平凡なことは非凡なことよりも価値がある」……など、人間と社会の不変の真理が20世紀初頭の箴言となって現代に蘇る。傑作『木曜日の男』と同時期には発表されたこの近代批評は、皮肉交じりの舌鋒の先にこそ、時代の本質を見抜いている。

感想・レビュー・書評

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  • ここ数日苦戦していた本です。
    まず、なんの正統について書いている本なのか。
    それはキリスト教です。
    薄々わかっていたけどね。
    ブラウン神父シリーズの作者だから。

    でも、だから、硬質な文体の中に見え隠れする仄かなユーモア、みたいなものを期待していたのですが、そんなものは一切ありませんでした。
    最初から最後までガチガチのガチ。
    で、文字を目で追っていっても全然内容が入ってきません。

    ”気のふれる危険は論理にあって想像にはないというだけだ。”
    一般的に気のふれた人は非論理的であるとみられがちだけど、彼らは彼らの中では理屈が通っている。
    しかし、論理だけに重きを置く人が、論理だけでは語れないものに出会った時(神や奇蹟等)、正気を保っていられない危険がある、と。

    ”狂人とは理性を失った人ではない。狂人とは理性以外のあらゆるものを失った人である。”
    なるほど。
    この辺までは何とかついていけたけど…。

    ”夜明けには、ストア派の賢者のように、清冽な清水に身を洗っても、日暮れには、背教者ユリアヌスのように、熱い牡牛の血潮に身を浸す仕儀となる。”
    ”マルクス・アウレリウスやその一派は、宇宙にはいかなる神も存在しないという結論に達していた。ただ内なる神しか彼らの眼中にはなかったのである。”
    背教者ユリアヌスは、キリスト教だけに与えられた優遇制度を撤廃した人で、別段キリスト教を迫害したわけではないんですけどね。
    とにかくキリスト教唯一主義と言っていい論調にシフトしてから、だんだん読みにくくなってくる。

    少し長いけど引用します。
    ”獅子が子羊の傍らに身を横たえる時、獅子は子羊のごとく温和になるという。けれどもこれでは、子羊が強引に獅子を併合するという、いわば子羊の帝国主義を標榜した予言になってしまうだろう。獅子が子羊を食うかわりに、子羊が獅子を併呑したにすぎなくなる。”
    ここまではわかる。
    ”問題はこういうことなのだ。つまり、獅子は子羊の傍らに身を横たえながら、しかもなお百獣の王としての獰猛さを失わずにいられるか――これが問題だ。これこそ教会が解こうとした問題であり、これこそ教会が成し遂げた奇蹟なのである。”
    どゆこと?
    木村裕一の『あらしのよるに』シリーズを思い出しましたが、教会が成し遂げた奇蹟?

    ”今まで主張してきたところを要約すれば、結局三つの命題に帰着する。第一、この世の生活を信じなければ、この世の生活を改善することさえ不可能であること。第二、あるがままの世界に何らかの不満がなければ、満足すること自体さえありえぬということ。第三、この不可欠なる満足と不可欠なる不満を持つためには、単なるストア派の中庸だけでは足りぬこと――以上である。”
    要約されても第一、第二と第三の間にある論理の展開がわからない。

    今朝からずっと読んできたけど、頭グルグル。
    次の本を読みだすまでに、少し時間を要するかも。

  • 3賞までは、なが〜い前置き。

    4章以降、「おとぎの国の倫理学」が白眉。
    いわゆるチェスタトン節が炸裂、あの当時の知的巨人ぶりを遺憾無く発揮している。

    現代人が読むと、100年以上前の時代背景、植民地政策時代の大英帝国の価値基準の名残が鼻につくかもしれない。

    あるいは、逆説の積み重ねによってロジックを展開してゆく手法が、かなり冗長に感じられるかもしれない。

    または、「みんな違って、みんないい」ポストモダ〜ンな価値観に慣らされてしまっている私たちは、英国特有のシニカルさ、痛烈な皮肉とともに、自らが信奉する絶対的な価値基準(オーソドクシー)をバーンと提示し、無神論や進化論や唯物論を、ここまで槍玉に挙げ、叩きのめすチェスタトン、大丈夫なの?!?炎上しませんか?!…と、わけもなくハラハラするかもしれない。

    …が、一連のチェスタトンのこれらの著作が無ければ、無神論者だったC.Sルイスがキリスト教に帰依することも、拠って、かの傑作ファンタジー「ナルニア国物語」が生み出される事も無かったのだよなあ…と思うと、感慨深い。

    再読決定本。

  • キリスト教を信じることで、人間らしく幸せになれる。というのを、順序だてて論理の面から説明している。なるほど、キリスト教を信仰することと脳の健康には、因果関係があるかもしれないと思わされる。

    ただ、その説明のために「きちがい」について長文を述べているのが、私には不愉快だった。精神病への差別的感情を隠しもしない。(古い本なので、時代柄もあると思う。)

    なので、3割も読まずに、読むのをやめてしまった。

    ただ、「どんな人が精神を壊すか」については、納得いくものがある。理性以外全てを手放したひと、理論的なひと、あまりに多くのことを理解しようとするひと…

    参考になるけれど…「脳病院の患者と付き合うことは、常人にとって不幸以外の何物でもない」という呪いが心に突き刺さった。

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著者プロフィール

1874年生まれ。イギリスの作家、批評家、詩人、随筆家。推理作家として有名で、カトリック教会に属するブラウン神父が遭遇する事件の解明にあたる「ブラウン神父」ものが探偵小説の古典とされている。

「2019年 『正統とは何か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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