何が私をこうさせたか 増補新装版: 獄中手記

著者 :
  • 春秋社
4.00
  • (5)
  • (3)
  • (5)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 37
感想 : 5
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (346ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784393435106

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 「カラーパープル」でW.ゴールドバーグ演じる主人公は虐待につぐ虐待によって感情を表出できない人間だったが、自立に目覚め、暴力夫に向かって「私は黒人で、貧しく、たぶん美人でもない。でも、私はここにいる!生きている!」と叫び家を飛び出した。

    半生を手記として残した金子ふみ子もまた、自分の人格を周りの大人にまったくかえりみられずに育った(父や母といった肉親からすらも)。
    日記ではなく、ある時点から半生を振り返っているので、通常ならば、見栄による誇張や照れによって書かずに隠すこともあるだろう。しかし金子は獄中でこの手記を書き、それはすなわち“死”を念頭に置いて書かれていたかもしれない。だからこの手記には、金子の“生(なま)の”体験が瑞々しく記され、金子という人間がかたち作られるさまが、繕われることなく示されている。

    「あなた方は本当に子供を愛して居るのですか。あなた方の愛は、本能的な母性愛とやらのつづく間のことで、あとはすっかり御自分達の利益のためにのみ子供を愛するような風を装って居るのではないのですか」
    「私が無籍者だったのは私の罪であろうか。…私は何も知らなかったのだ。私の知って居たのは、自分は生まれた、そして生きて居るという事だけであった。」
    「貧乏と苦痛とには私はもう馴れきっている。私はただ、この『女中部屋』の生活の無意味さに焦燥を感じたのだ。」

    一方、金子を社会主義活動家などの側面だけで語るのも、この本を読む限り正しくない。「今まで『主義者』というものを何か一種特別の、偉い人間のように思っていた事のいかに馬鹿らしい空想であったかということを、私は今はっきりと見せつけられたような気がした。」

    金子は特別な思想家ではないし、革命家でもない。人よりも遅く、そして人と違った形で自我を成長させ、自分の内面を表出させようとしていただけだ。ちょうど蝶がさなぎから生まれるように。
    「私は何かをしたいんです。ただ、それがどんなことか自分にも解らないんです。がとにかくそれは、苦学なんかする事じゃないんです。私には何かしなければならん事がある。せずには居られない事がある。そして私は今、それを探して居るんです…」

    若者が自分の生き方や社会との共存のしかたを模索し続けるのは、昔も今も変わらない。だが当時の未熟な社会では個人と社会と折り合いが中々つかない事もあった。金子のように。しかし金子の死後約80年後の今、日本社会は若者の自我形成を受容できるまで成熟したか?
    この手記を読む限り、日本社会は当時から少しも進歩してないね。
    (2009/3/21)

  • 朴烈事件で投獄され、死刑宣告を受けた後に自殺したアナーキスト金子ふみ子の獄中手記。幼少時代の極貧生活から、祖母らが移住した朝鮮での女中生活、そして東京で苦学生時代に朴烈と知り合うまでの話。達筆で文章の歯切れがよく、相当苦労したのに恨みがましい感じもジメジメした感じも無い。当時の女性たちがどんな風に生きたのかという観察もされている。日本人だから朝鮮の民族運動には関われないとした点や、朝鮮の社会主義運動はボスを挿げ替えるだけで民衆にとっては何も変わらないと評している点などからしても頭の良い人だったんだと伺える。

金子ふみ子の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
村田 沙耶香
内澤 旬子
三島由紀夫
ヴィクトール・E...
サン=テグジュペ...
遠藤 周作
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×