- Amazon.co.jp ・本 (374ページ)
- / ISBN・EAN: 9784412012561
感想・レビュー・書評
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本作の内容は、次のとおり。
---引用開始
【開道】
東西冷戦で分断された象徴の地を、必ずや平和の象徴に——ベルリンを訪問した後、ケルン、アムステルダム、パリ、ロンドンと、平和への扉を開き、ヒューマニズムの種子を蒔(ま)く「開道」の旅を続けた。
高齢化の進むイギリスで、「心の若さ」をはぐくむ学会の使命の重大さを痛感する。
【歓喜】
マドリード、ジュネーブ、チューリヒ、ウィーンを訪問。ベートーベンの墓碑の前で、「苦悩を突き抜けて歓喜へ」と記した楽聖の生涯に思いをはせる。
ローマでは、同行者に「宗教者同士の対話、“善の競争”の必要性」を語った。
【勝利】
1961(昭和36)年10月23日、帰国した山本伸一は、東京での「国士10万」結集の第10回男子部総会、8万5千人が集った横浜での第9回女子部総会に出席。東北本部の落成式では「新世紀の歌」が発表された。
こうしたなか、伸一の“大阪事件”裁判での出廷が続き、裁判は大詰めを迎える。
【獅子】
1962(昭和37)年「勝利の年」が明けた。他界した北海道女子部長の北海道女子部葬、北海道総支部幹部会へ。1月17日、公明政治連盟が発足。
25日、大阪地方裁判所は、山本伸一に「無罪」の判決を下した。“大阪事件”裁判での勝利の瞬間であった。
---引用終了
p328
いわゆる日蓮主義者たちは、大聖人の教えをねじ曲げて国家主義的に解釈し、『精神の闘争』を放棄して侵略やクーデター、テロに走っていった。
たとえば、田中智学の教えを受け、日本による世界の統一を実行しようとした石原莞爾は、関東軍参謀として、満州事変を立案し、アジアへの侵略を推進していった。
また、『一人一殺』を掲げ、政治家の井上準之助らを暗殺した血盟団事件の首謀者・井上日召、国家改造を唱え、ニ・ニ六事件を起こした青年将校に多大な影響を与えた北一輝もそうだった。
この辺りの人物の生年没年を見ておきます。
田中智学(1861~1939)
石原莞爾(1889~1949)
井上準之助(1869~1832)
井上日召(1886~1967)
北一輝(1883~1937)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
信心という原点は不変であるが、活動の在り方は、時代の流れや世代の感覚に即して、変化させていく柔軟性が必要であろう。
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ーイギリスの詩人のT・Sエリオットは「いかなる文化も何等かの宗教を伴わずしては出現もしなかったし発展もしなかった」と言った。(『エリオット全集⑤』)本来、偉大な芸術、文化の根底には、哲学そして宗教的な何かがある。ー
ー人間の最大の偉業とは何か。それは同じ志を持った人間を残すことです。人が一生の間にできることは限られています。だから人間を育てていくことです。それが永遠の流れを開き、大きな社会への広がりを作っていきます。 ー
ーなぜ世界も、日本国内も不幸と悲惨が絶えないのか。
その原因は、いずれの指導者にも、社会を支えゆく民衆にも、確かなる指導理念、哲学がないことにあります。仮に哲学をもっていても、自他ともの幸福を実現しゆく生命の大哲学ではありません。そのなかにあって私どもは、自己の人間革命と、社会、世界の平和を可能にする、完全無欠なる日蓮大聖哲の大生命哲学をもっております。ー
ーベートーベンは地上の喧騒にも、万波と寄せ来る非難中傷にも、病気や経済苦にも微動だにすることなく、”苦悩”から”歓喜”を鍛え出していった。1827年の早春、彼は56歳で生涯を閉じた。それはある書簡に記された彼の言葉そのものの生涯であったと言えよう。
すなわち「苦悩を突き抜けて歓喜へ」ー。<本書から引用>
開道/歓喜/勝利/獅子 -
人間はいかに生きるべきか を説いたものが仏法。
P43- 芸術について
P235- 自信のなさ 自分の生い立ちや学歴といった問題にこだわり、自己を卑下し、悲哀から脱しきれずにいる生命の弱さが潜んでいた。
弱さを断ち切る