ブスの自信の持ち方

  • 誠文堂新光社
3.49
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  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784416519561

作品紹介・あらすじ

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感想・レビュー・書評

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  • 作家として、社会を変える使命を持って文章を紡いでいると感じるエッセイでした。

    序盤は、「うーん、主張が強いなぁ」とちょっと疲れる印象を感じながら読んだ。読み進めていくうちに、後半には、うんうんと頷きながら読めた。
    だんだんと、主張が染み込んできて、なるほどなぁと納得できる読書となりました。

    著者のナオコーラさんは、自分のことをブスと認識している。そして、ブスによって誹謗、中傷を受けた経験を持つ。が、ブスによって自信を失っているわけではなく、克服したいとも思っていない。

    ブスと言われる人が、ブスを克服し、自信を持って前向きに生きようと主張したいわけではない。そういうエッセイでは、全くなかった。

    第17回から21回までの「新聞様」の章。報道機関の「新聞」様に対する批判は、なかなかだ。報道機関は、報道することに正義、使命を持っているが故にありのままの状況を伝える。写真を撮り、載せる。しかし、被写体となった人にとっては、納得のいかない写真があったり……
    著者が納得のいかない写真(目が半開きのブスに写ったもの)削除してもらうまでの流れを通じ、報道機関の尊大さを感じた。やはり、人がやる仕事。謙虚さと、人の気持ちを慮ることが大切だ。

    最後の章と、あとがきに全て集約されてる。

    差別をなくしたい。社会を変えたい。

    この一言に尽きる。ここがこの本の主旨。

    確かに、劣等感を克服するということも個々人の人生を輝かせることには重要だろう。
    しかし、社会全体の問題として、容姿で差別をする人がいない社会、もしくは少ない社会を標榜し、実現する方向に進むことが大切だろう。全員がより心安らかに過ごすことができる社会。より成熟している社会だ。

    受け皿の広い、懐の広い、許容範囲が広い、お互い認め合える関係で溢れる社会。

    ナオコーラさんの発信は、とても重要だ。と感じた。

  • 著者の本はおそらく初読。ある読書会の課題本になっていたのを見て気になって手に取った。
    すごいタイトルの本だけど、性やその他カテゴライズされたものへの差別や権利などについて綴ったエッセイ。自分の普段の何気ない思考を省みるきっかけになった。それが純粋に自分自身の思考なのか、社会によってそうさせられた思考なのか…考え出すと、いかに色々な要素で自分が成り立っているのか分かり、複雑な社会で生きているなぁ〜そりゃ大変なわけだと思う。

    一番印象に残ったのは「規則正しさ」が周囲の雑音に惑わされない心や全ての自信につながる、という以下の部分。
    「自分の好きなことを見つけ、毎日行うことができる適切な量の目標を設定し、それをひたすら続けて、自信を持つ」
    「自分の行なった努力だけが、自分を助けてくれる。自分が目標を定め、自分が努力して、それを自分が認識した時に、自分の自信を回復できる」
    「自分で決めた目標に向かって、自分らしい努力をこつこつやる以外に、生きている間にすべきことはない」
    「小さなことでもこつこつ続けていれば、死なない程度の自信は自然と湧いてくる」
    最近自分も歳を重ねてなんとなく思っていたことが言語化されているようで嬉しくなった。

    与えられた環境・考え方を無自覚に受容するだけでなく、自分自身にしっかり問いかけて、疑問を持つところはきちんと向き合う、という著者の姿勢を私も大事にしたい。

  • session22 のブックトークで紹介されていた。
      https://www.tbsradio.jp/393194
    ナオコーラさん もちろん名前は知っているが 初読み。

    日頃 中身を開けて見ないようにしてきたモヤモヤを 丁寧に解体されてしまう感じ。

    山崎氏がブス・バッシングを受けるようになった理由というのが、すごい。
    彼女の作品が評判になったのがキッカケだそうだ。
    それまで ブス呼ばわりされることは一度もなかったと。
    うわぁ ........ 納得したくない。でもわかってしまうわ ...

    ”世間は「ブスはどうやったら自信を持たないでいてくれるか?」という圧力をかけてきている

    >> 容姿基準で女性に序列をもたせることで それをジャッジする側の権力を発生させる。
    ブスと同時に美人にも”あるべき”を押し付け差別している。

    ”一般的に広がる男性的な欲求は「美人から『あなたに一番に愛されたい』と願われたい。ブスからは『私みたいなブスに、ご飯を奢ってくれるなんてそれだけで嬉しい』と言われたい」というものではないか?

    >> ああこれこれ 困った利用者からダダ漏れに発散されているアレだわな。

    ”ブスが綺麗になろうとしてもいいが ブスのまま生きていてもいいんじゃないか?
    美人だっていつもいつも小綺麗にしてなくてもいいんじゃないか? どんなレベルであっても 文章を書くのが自由なように 自分の外見くらい自分の好きに生きていいんじゃないか。

    >>そうそう ただそのようにある そのように行うことを容認してくれればいいだけで 世間さまにイイネしてくれ!と言ってるわけではないのだ。

    まぁ、 同意ポイント列挙はキリがない。
    自分の個人的なハコまで全開しそうになるしw

    ところで、ナオコーラさん いっときメディアへの顔出しをやめていたそうだが、あるきっかけで もうそんなことはどうでもよくなって 顔出しを打診されたらナチュラルに出ることにしたそうだ。

    亡くなったお父様の最晩年の言葉
    「こつこつやるだけでいいんだよ。賞はもらわなくていい。」

    女性を本当に愛してくれるのは父親であろう。
    息子たちが母親の無限の愛を得て生き延びるように、娘たちには父の愛が必要だ。
    この社会が父性を欠きがちなのは 母親たちが相棒であるはずの父の存在を消してしまうから ......

    その他、新聞の被害者写真のこと ウヨ議員の差別発言のこと 性的対象ではない異性の友人のこと などなど。
    自分が曖昧に持っている価値観を ひとつひとつ検証し明確にしようとする言葉は たぶん重たいし 読みこなすのが面倒と感じる向きも多いのではないかと思う。
    その意味ではオススメ本ではないけれど。
    マトモだ。
    まっとうだ。

    なんだかだいっても美醜の評価を変えることはできない。
    女性は見た目で判断されるし 男性は見た目判断はユル目でも社会的地位で判断される。
    差別はなくならない。
    分別のある男なら 女性の美醜についていやいやそんなことは...と言ってくれるが 良い友人に感謝するにとどめておく。
    頑張って美人ステータスを上げようと商売はあおるが 限界があることは理解したほうがいい。

    差別を克服することはできなくても、その場から去ることはできる。
    外野の評価に疲れたら 関係を絶つのが一番。
    そういう連中とは付き合わなければいい。
    死が訪れるその日まで ひとりでも生きてはいける。

  • 著者はブスだとえらく叩かれたそうだ。
    私もおそらくどこかで著者近影を見たことがあるはずなのだが、あまり記憶にない。
    (その後見る機会があったが)
    私が覚えているのは作品の内容であり、著者の顔ではない。
    こういう顔してたんだ、と思うことはあるけれど、美人かそうでないかで好きな本が決まるわけではない。
    同じように漫画家や声優は顔を出していないことが多い(最近はビジュアルも大事、などと言われて大変だと思う)。
    出なきゃでない、出たら出たで文句を言われるようだが、大きなお世話だ。
    言ってるお前は何様だ、と言いたくなるが、結構このブスという言葉は傷つく。
    私も多分に漏れず言われたので、気持ちはわかる。

    19頁から26頁の中で、
    「自信のなさはあなたが自分の頭で考えたことが由来ですか?」
    「誰かから押しつけられていないですか?」とある。
    この問いと、104頁、
    「小さなことでもこつこつ続けていれば、死なない程度の自信は自然と湧いてくる」
    は、小さな、でもきっと大きくなるであろう自信の芽だった。

    もちろん、著者の全てを解ることなどできないし、
    そういうもんかな(ちょっと違うかもな)
    そりゃ知らなかった、
    全くその通り!
    など一冊の本の中でも色々な思いが駆け巡る。
    しかしそれは至って当たり前の感情だ。
    なぜなら、私は彼女ではないし、私も彼女ではないからだ。

    なんだかスッキリした気がする。
    もちろん、全部の悩みがこれだけで解決!にはならない。
    けれども笑えるようになった。
    あまりにもブスブスかきすぎている、あるページは完全に笑える。
    笑いは、やっぱり、強さだ。

  • 自分の中で深く根付いていた差別意識を明確に自覚した。
    私は、私を若い女だという理由で当然のように差し出させようとしていたおじさんたちに多分ずっと憤っていたと思う。
    笑い流したり受け流したりしながらちょっとずつすり減って行く私を見ながら何も救ってくれなかったおじさんという属性を私はきっと今も憎んでいる。
    ただ、だからといってその属性にいる全ての人にこの気持ちを向けても良いのでは無くて。
    自分を正当化してきたこの気持ちこそが差別なのだとやっと気づけた。

  •  タイトルのパンチ力につい手に取ってしまった。「ブス」と言われて傷ついた人が読者に多い本だと思うけど、そこまで傷付かなかった人や加害者の人に呼んで欲しい。
     
     著者は作家デビューしたころから容姿で中傷をあびるようになった。その影響で顔について差別をする人に対して考えるようになったようだ。映画化もした「人のセックスを笑うな」の著者でもある。
     「差別のない世界に変えよう」が著者が一番伝えたいことだと思う。怒りをぶちまけているようにも見える。その怒りや理不尽さは私も何度も感じたことがある内容ばかりだったので、著者の怒りや苦痛を少しでもわかった気になっている。
     「何でパッとしない顔の人がこんなに自信たっぷりなんだ?ムカつく。」心の中で何度も呟いた記憶がある。自分の心が弱いから、気が付かないうちに差別をしてしまっていた。本書を読んでいてそのことに気がつき後悔と反省。

  • タイトルから、自分のコンプレックスをどうやって乗り越えていくか、みたいな内容を想像していたけれど、今、問題になっているさまざまな社会問題に対しての問題提起みたいな本だった。
    性別とか容姿とか世代とかそういう区別は関係なく、自分らしく生きることができて、多様な人を受け入れてくれる差別のない社会ができることを願います。

  • これまで読んできた山崎ナオコーラさんの本のなかで、最もメッセージ性が強く、最も論理的だった。
    間違いなく読んでよかった。心からそう思う。

    ブスを美人と同等に扱え、ということではない。ブスであることを理由に不当な扱いをするな、と山崎さんは訴えていた。それは差別行為であり、人権を侵している、と。

    自身が体験してきたこと、日々の生活で感じてきたことなど、具体的なエピソードを交えつつ、力強いメッセージが打ち出されていた。
    結婚や離婚を社会的評価に繋げてはいけない、という部分が印象的だったので引用。

    ”日本では法的な同性婚がまだ認められていないのに、仕事のシーンでも、結婚した人を褒めたり、大人扱いすることは行われていて、おかしなことだ。したくてもできない人がいる中で、「結婚するのは良いことだ」という価値観を蔓延させるのは完全なる差別だ。結婚は成果ではないし、人生のステップでもない。結婚や離婚は、社会人としてのその人になんら関係がない。”(P72より引用)

    「はやく結婚して一人前になりな~」なんて言ってくる人たちにこの台詞をぶつけてみたいが、無論そんな勇気はない。
    だからこそ、山崎さんの本を読んで元気をもらうのだ。

    過去に経験した摂食障害について少しだけ触れていたが、もう少し詳しい内容が知りたかった。難しい単語でゴリ押しするんじゃなくて、誰でも理解できる山崎さんの文章で、摂食障害について知りたい。小説でもエッセイでもいい。読みたい。

  • ナオコーラさんらしさ全開で愛おしい。

    ブスの人も、自信もってこうね!という内容では全くない。
    ナオコーラさんがルッキズムに対して、差別全体に対してどう感じているかを熱い気持ちで、でも淡々と綴られているエッセイ集。(とはいうものの、このタイトルなので、書店員の方から「この人、顔のことでで悩んでいるのかな」と思われそう、とか自意識過剰にちょっと考えた。笑)

    序盤に、"私の考え方は少数派で、違う考えを持つ読者の方が多いんじゃないかな、と予想している。"と記載があるように、すべての考えが一致する人は少ないと思った。
    だけどそのあと"私は違う考えの人に、私の考えと同じに染まってほしいとは思わない。「へえ、こういう人もいるんだ」程度の読みで言い。違う人にも面白がってもらえる文章を書ける自信はある。違うまま共存したい。"と続くように、意見が違ったとしても、ユニークな考え方だな~という読み方をするのが楽しい。(他の人のレビューのなかには、ブスブス書いてあって不快だった、など真っ直ぐ受け止めようとしすぎるあまりに楽しめなかった読者もいたようで、ファンとしては勝手に残念に思ってしまった)

    P.35
    自信というのは、「ある」「ない」ときっぱり二つに分けられるものではなく、高めだったり、低めだったりする、なだらかなものだ。
    百パーセントの自信を持っている人は世界にひとりもいない。おそらく、ゼロパーセントの人もいない。
    十パーセントの自信で何とか生きていたり、九十パーセントの自信で悠々とやっていたり、人それぞれだ。
    そして、私が顔と文章に違う度合いの自信を持っているのと同じように、「この分野では、まあまあ自信がある」「こっちの分野では、少なめの自信しかない」と思いながら、やりくりして過ごしている人も多いに違いない。
    しかも、自信は時間とともに増減する。

    P.52
    「美人」という言葉が差別的に作用しているフレーズは、意外と世界に溢れている。
    普段は、相手を褒める文脈、ポジティブな文脈で目にすることが多い「美人」という言葉だから、タブーな雰囲気がなく、差別的な意図で使いたくなったときに(とはいえ、多くの執筆者が「美人に対して差別をしよう」なんて自覚を持たないまま差別をするわけだが)、「ブス」を使う時以上に簡単なのだろう。安易に言ったり書いたりしてしまっている。
    世間的には良い言葉とされていても差別の文脈で使われることがあるし、世間的に悪い言葉とされていても差別の文脈になっておらず人を傷つけないこともあるし、差別の文脈で使われていなくてもその言葉の世間的な力のほうが強くて差別になってしまうこともある。様々なタブーがある。言葉と文脈をうまく繋ぎ合わせるのはなかなか難しいのだ。

    P.71
    「結婚に優劣がある」という考え方があるせいで、結婚差別が起きている。自分の子どもや親戚などが顔の良い人と結婚することが、自分自身の社会的成功に繋がる、または「社会的に成功している感」を周囲に自慢できる、と考える人が出てくる。そういう人は、子どもや親戚などの「結婚します」という報告に際して、その婚約者が世間に求められるような要旨をしていなかったら反対する。反対しながら「自分は悪くない」と思う。「世間がその婚約者を低く見るだろうから、お前は苦労する。だから、自分は反対してあげるのだ。自分が悪いのではなく、世間が悪い。世間の逆風から守ってあげるために反対するのだ」とという思考をする。「また、こういう嫁(または婿)しか迎えられないような家族だと世間から低く見られたら困る。自分たちはこの嫁(または婿)を悪く思ってはいないが、世間というのはそういうものだ。親戚一同がバカにされる。だから、家族のために、反対してあげるのだ」とも考える。
    (ここは言い切りが過ぎるだろうな、とも思ったけど、分かりやすい文章を心がけた結果だろうし、ハッキリと言葉で思い浮かべたことはなくても、何となくこういう考えをもってしまっているひとは多いんだろうな、と思う。)
    そもそも、結婚に対して、「良い結婚」「悪い結婚」と世間が評価することをやめればこういう人はいなくなるのだから、世間が変わればいい。ワイドショーなどの功罪もあるだろう。結婚や離婚や独身でいることなどに、他人が良いとか悪いとかコメントするのは愚かなことだ。
    ついでに、結婚そのものを良いことだとする考え方もなくしてしまおう。結婚を決めた人に対して、「一人前になったな」「責任を持てるようになったんだな」という見方を廃止する。結婚しようがしまいが、しっかりしている人はしっかりしているし、しっかりしていない人はしっかりしていない。
    結婚や離婚を社会的な評価につなげてはいけない。

    P.90
    日本は、少女を大人扱いしすぎだと思う。
    少年のことは子どもだと認識しているのに、少女のことは大人だと勘違いしている。
    日本では、「男はバカだ」「男は駄目だ」といったことが大人に対してもよく言われていて(もちろん、私はこういうセリフが嫌いだ)、「男子高生はガキ」「男子中学生はまだまだ子ども」といった少年向けの言葉もたくさん耳にする。
    その一方、「女性は頭がいい」「女性はしっかりしている」といったことがさかんに言われ、「少女は早く大人になる」「女の子は男の子よりも成長が早い」といった少女向けの言葉が溢れる。
    マンガなどでも、小学五年生くらいから「お母さんの代わり」ができる設定になっているものをよく見かける。家事を行ったり、「お父さんたら、駄目でしょ」「お兄ちゃん、しっかりしてよ」などと父親や兄を叱ったりする。
    おそらく、「男性は仕事をしたら大人。女性は生理が来たら大人」という間違った概念が世間に蔓延しているのだろう。
    精通があったからといって大人にはならないのと同じように、生理によって大人になることはない。女性から見た男の子が性的に魅力を持ったからといって、その子が大人にはならないのと同じく、男性から見た女の子が性的に魅力を持ったかどうかは、大人になる基準にはならない。
    だが、性的な魅力のある女の子は大人の男性とも普通に会話できると思われがちだ。女性は十代前半から大人と渡り合える、と誤解されている。
    そういうわけで、まあ、十八歳以上に対してなら総選挙のようなものも仕方ないのかな、と思えるのだが、それでも、二十二歳ぐらいまでの若い人に対しては性的魅力を評価することには慎重になった方がいい、と私は考えている。(略)
    女子小学生も女子中学生も女子高生も女子大生も、男子小学生や男子中学生や男子高生や男子大生と同じように、バカでガキだ。
    まだ成長の途中で、繊細で不安定だ。
    このぐらいの年齢の時期に、「私は、胸に魅力がないから、後ろを向いてお尻の角度がかわいく見えるように写真を撮ってもらおう」だとか、「私は、あんまりかわいくないから、面白いことを言ってキャラ立ちしよう」だとかいったことを考えさせられることが、アイドルにとっても客にとってもプラスになるとは思えない。

    P.96
    「(筋トレを始めた頃は)まだフィットネスのブームが来る前だったので、『気持ち悪い』とか『どこを目指しているのかわからない』とか、もう散々…。でも、自分が好きなことをしているから、何を言われても気にならないんですよ。『もうやめよう』とは、一切考えませんでした。『好き』は無敵。大きなエネルギーになるんです。埋められない自信のピースは、自分で埋めなくちゃ、と思います」(小原優花)

    ぼくの夢は、一流のプロ野球選手になることです、そのためには、中学、高校でも全国大会へ出て、活躍しなければなりません。活躍できるようになるには、練習が必要です。ぼくは、その練習にはじしんがあります。ぼくは3歳の時から練習を始めています。3歳-7歳までは半年位やっていましたが、3年生の時から今までは、365日中360日は、はげしい練習をやっています。だから一週間中、友達と遊べる時間は、5-6時間の間です。そんなに、練習をやっているんだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。(鈴木一朗)

    こんなことを言うとあるいはまた馬鹿にされるかもしれませんが、規則正しく生活し、規則正しく仕事をしていると、たいてのものごとはやり過ごすことができます。誉められてもけなされても、好かれても嫌われても、敬われても馬鹿にされても、規則正しさがすべてをうまく平準化していってくれます。本当ですよ。(村上春樹)

    様々な分野で活躍するいろいろな人たちが、規則正しく小さな努力を重ねているみたいだ。「自分の好きなことを見つけ、毎日行うことができる適切な量の目標を設定し、それをひたすら続けて自信を持つ」ということをしている偉大な人が世界にたくさんいるらしい。

    批判やバッシングで付けられた傷は、批判やバッシングがなくなったときに治るわけではない。おそらく、自分の行った努力だけが、自分を助けてくれる。自分が目標を定め、自分が努力をして、それを自分が認識したときに治る。自分だけが、自分の自信を回復できるのだ。
    だが、私がこのことに気がついたのは、ごく最近だ。
    昔の私は、「自信とは、何かを達成したり、周囲から評価されたりしたときに湧いてくるものだ」と誤解していた。

    P.107
    努力は、素敵だ。前回書いたように、自分で決めた目標に向かって、自分で努力をしてそれを自分で認識するのは、自己肯定のために必要で、生きる上で大事なことだ。
    だから、「努力している人」は、それを自分で認識し、自分に誇りを思っておけばいい。
    周りを見渡して、「努力不足の人」をチェックする必要はない。他人が努力しているかしていないかによって、自分の努力が肯定されたり否定されたりすることはない。自分だけが自分の努力を知っていればいい。好きで努力しているだけだ、とわきまえておく。他人は全く関係ない。
    自分に集中していれば、他人のことは気にならなくなる。
    そもそも、「努力不足の人」は、決して「努力している人」を批判したくて努力不足を選んでいるわけではない。
    意思が弱かったり、行動力が足りなかったり、他にもやりたいことがあっていそがしかったりして、同じ努力ができていないだけだ。努力を無価値なものとしたくて、努力しないことを選んでいるわけではない。
    だから、「努力している人」は、「努力不足の人」を攻撃する必要も見下す必要もない。
    「自分は努力が好きだから、自分に関する努力をしていこう」と考えて、他人の価値観は放っとくのがいい。
    (とはいえ、誰かからひどい扱いを受けた時、自分の努力で相手を見下すことでしか自分を保てない時って、若い時ならあるよな、とか思ってしまった)

    P.144
    まず、「差別と区別の違いをはっきりと認識するのは難しい」という問題について考えてみたい。
    私自身、差別と区別を瞬時にしっかりと判断する自信がない。他人をグループ分けする時、かなり注意深くならなければ失礼なことをしそう、自分はやばい、と思っている。
    たまに、「差別と区別は違う」と言った途端に安心し、すっきりとした顔になって、思考停止してしまう人がいる。おそらく、「差別というのは、他人を見下すことだ。僕は他人を下に見ていないから、差別はしていない。区別しているだけだ」というシンプルな考え方をして、「区別、最高!」で終わってしまうのだろう。
    しかし、差別とは、他人を見下すことだけではない。
    たとえば、「僕は、男性をバカだと思っている。それに比べて、女性は頭が良い。男性は女性に適わない。だから、バカな男性とは違う、女性らしい素敵な仕事をして欲しい。女性は素晴らしい」だとか、「女性は育児ができて、すごい。男性にはとてもじゃないが母親のような真似はできない。育児をする女性は美しい」だとかいったセリフを、「女性を差別しているセリフだ」と私は感じる。私の他にも、このような話をされた際に「差別的なことを言われた」と聞く女性はかなり多いだろう。でも、発言者は、「僕は女性を賛美しているわけで、決して女性を見下していない。むしろ女性を尊敬しているのだから、性差別をしていない」と堂々としていることがある。
    他にも、「障害者は清らかだ」「同性愛者には美人が多い」など、相手を上に見ていても差別的なセリフを発してしまうことはかなりある。(略)
    みんなに当てはまることではないのに、イメージで線を引き、強制的に職業や居場所を移動させるのはおかしなことだ。

    P.268
    よく、犯罪者のことを、「社会にうらみを持っていた」といった紹介をしているが、それを見て、私は「自分もだ」と感じる。私が犯罪者になったら、「社会にうらみを持っていた」と紹介されるかもしれない。(極力、犯罪は起こさないようにする)。
    「ブスと言われた」という私の悩みは、決してコンプレックスではなく、社会へのうらみだ。
    劣等感に悩んでいるのではなく、社会がおかしいから悩んでいる。正直、自分が変わるよりも、社会を変えたい。
    「社会を変えたい」と言うと、怒る人が結構いる。「まずは自分が変われ」と言ってくる。いや、まあ、自分も少しは変わった方がいいかもしれない。でも、少なくとも、容姿を変える必要はないと考えている。きれいな人との方が仕事付き合いがしやすい、ブスは迷惑、と思う人がいるかもしれない。だが、迷惑をかけているとしても私は自分の顔を変える気はない。迷惑をかけて何が悪い。社会で生きているんだ。迷惑をかけたりかけられたりしてやっていくんだろうが。また、内面をちょっと変える、視点をちょっと変える、という努力をするとしても、「ブスだからせめて性格美人になろう」なんてことは、死んでも思わない。なんで、ゆがんだ価値観の方へ自分が合わせなければならないんだ?「性格美人」ってなんだよ、バカじゃねえのか。「性格の良い素敵な人」でいいじゃないか。なんで女性だからって、「性格美人」なんて言い方をされなくちゃならないんだ。

    • 天々さん
      レビュー読ませていただいて、読んでみようとおもいました。早速図書館で借りました!
      レビュー読ませていただいて、読んでみようとおもいました。早速図書館で借りました!
      2024/04/29
    • Glennさん
      コメントありがとうございます♩
      ナオコーラさんが仰るように、文章と視点が面白く、意見が一致しなくても楽しめる作品だと個人的には思いました◎
      コメントありがとうございます♩
      ナオコーラさんが仰るように、文章と視点が面白く、意見が一致しなくても楽しめる作品だと個人的には思いました◎
      2024/04/29
  • 最後の、おじさんに対する嫌悪感とか潔癖なところがすごく共感できた。性別とか年齢で一括りに敵をつくらずに、驕ることも萎縮することもなく、誰にでもフラットに接することができるようになりたい。

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著者プロフィール

1978年生まれ。「人のセックスを笑うな」で2004年にデビュー。著書に『カツラ美容室別室』(河出書房新社)、『論理と感性は相反しない』(講談社)、『長い終わりが始まる』(講談社)、『この世は二人組ではできあがらない』(新潮社)、『昼田とハッコウ』(講談社)などがある。

「2019年 『ベランダ園芸で考えたこと』 で使われていた紹介文から引用しています。」

山崎ナオコーラの作品

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