人生を楽しく過ごしなさい: 現代人の死生観を問う、大阿闍梨最期の言葉
- 誠文堂新光社 (2019年9月13日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
- / ISBN・EAN: 9784416719381
作品紹介・あらすじ
2013年9月惜しまれつつも亡くなった酒井雄哉大阿闍梨。
7年かけて約4万キロを歩き、間に9日間の断食、断水、不眠、不臥で真言を唱え続ける「堂入り」を行う苦行「千日回峰行」。
この行を2度満行した行者は、比叡山に文献が残る430年余りの歴史で酒井師を含め3人しかいない。
その酒井師が、亡くなる数時間前に言った最後の言葉は「人生を楽しく過ごしなさい」だった。
稀代の行者といえども、病との闘いは苦しくないはずがない。
しかし「苦を楽にするんだよ」と生前よく語っていた酒井師だからこそ、この言葉が出てきたのだ。
亡くなる数時間前に取り囲んだ人々に加持祈祷を施した酒井師の詳しい様子や、病との葛藤、死をどうとらえていたのかは、
じつはほとんど知られていない。
本書には、これまでの書籍に掲載されてこなかった、最期の様子、言葉、自身の出家や千日回峰行について語った言葉、
そして私的な海外旅行でのスナップも含めた秘蔵写真を収録。
ご逝去後、オール新原稿の書籍は初めてとなる。
死を見つめ、生を見つめる酒井大阿闍梨の真摯な姿勢に、私たちは自らの死生観を問い直す。
今の時代にこそ、その生き様を心に刻み、自らの生を精一杯生きていきたい。
感想・レビュー・書評
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千日回峰行の修行と聞くと、興味があり、それも2回も達成した酒井大阿闍梨の生き方を知りたいと思い読んでみた。
人生の流れは仏様の計らい。今を楽しく過ごすことを考えたらなんとかなって行く!
仏様からの迎えがきたら、悔いなく迎えられるように一日一日を精一杯生きる!
手を合わせて拝む事はその人のことを想うこと。だからいつでも心の中で会える!
縁を結べるかどうかは、自分が動くか動かないかなんだが。動かなければ縁は通り過ぎて行く。
知識だけを詰め込んではダメ…経験が大事。まずやって経験してみること。
人生、何するためにここにきた。何をすべきか、常に問い続けることが大事。
むりせず、いそがす、はみださず、りきます、ひがます、いばらない詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
先週大変つらいことがあった。悲しみに打ちひしがれるなか、ネットでこの本を見つけ、これは必要な本だという直感の導きで購入。
酒井雄哉大阿闍梨は、千日回峰行を2度満行した僧侶。関西に住んでいるので、酒井さんの訃報はローカルニュースで取り上げられてた記憶がある。
この本は、酒井さんのマネージャーのような役割をしていた鷹梁さんが見た、酒井さんの最期や闘病中のことが記されている。とてもわかりやすい言葉でメッセージを伝えてるけども、一つ一つに重みを感じ、また心にスッと染み入るように言葉が入ってきて、心が軽くなった気がした。読んでよかったと思った本の1つだ。 -
大阿闍梨の闘病生活(第一章)→出家するまでの経緯(第二章)→二回の千日回峰満行(第三章)→著者がマネージャとして接した期間の酒井師(第四章)という構成になっています。第二〜三章の内容は此れまでの著作やマスメディアの報道によってある程度知られていますが、著者が酒井師との対話を通してより内容を深めて書いて居ます。第一章では進行癌という現実を突きつけられても達観した酒井師の様子を通して此の世に生を受けることの意味について考えさせられます。著者には特に取り上げようという意図は無さそうですが、闘病生活の描写からは「老い」というテーマも讀み取れ、第四章の記述にも通じます。
酒井師は大行を成し得たのは叡山という大舞台で三人の師に巡り会えた仏縁のお陰であり、仮に無名の山で同じ事をやっていても特に關心の対象にはならないでしょう、と謙虚に語って居ます。此の謂葉は著者が酒井師のマネージャーとして迎えられた事とも関係しているように思います。第三章では世事に長けた調整役、気鋭の学者、容赦ない鍛錬者と、性格が異なる三人に師事しながら酒井師が導かれて行く流れが良く分かりました。此の三人の師が大阿闍梨を育てる上で役割分担をしていた事が分かります。評者も箱崎師の様なお年寄りに指導を受けた事がありますが、今では本当に有難い事だったと感謝の念に堪えません。昨今は表向き理不尽で厳しい叱責の中に込められた思慮と配慮が理解出来ない世相になって来ましたが、此れからの時代を担うべき若者の将来が憂慮されます。嘗て叡山をはじめとする大寺院は國家レベルの教育機関でもありましたが、唯の就職予備校になってしまった今の「大学」には及びもつかない超然とした精神世界が存在する事、その法灯が受け継がれて来た歴史の重みには改めて感嘆させられます。
酒井師は「普通の人であって、普通の人では無い」という何か說明が難しい人物像が湧いて来ます。酒井師は出家する迄の間に多くの此の世の苦難を経験している事が人々の共感を呼ぶのでしょう。超人的な行を成し遂げた先に何があったのか、此の観点から本書の記述には興味深いものがありますが、其処に居るのはやはり普通の人であって、普通の人では無い酒井師だったのでしょうね。酒井師は自分がマスメディアに大きく取り上げられる事について非常に客観的に観ていた様です。酒井師の謂葉が書籍化され、それを讀んだ著名人も酒井師に救いを求め近づこうとしますが、酒井師は拒絶することは無かった様です。恐らく自分の為だけの行では無い、自分だけで成し遂げた行では無いというお考えがあったからでしょう。或いは、世俗的かどうかという事すら超越していたのかも知れません。
「自分は何故生きて居るのか」という永遠の問いは経験を積んで自分の道が見えて来れば自ずから「自分は何故生かされて居るのか」と見方が変わって来る事を酒井師は教えて呉れます。巧妙に報酬を与える条件學習で人をロボット化する人格破壊教育を勝ち抜いた者が社会のエリートとして辺縁系に支配されで生きている今の時代、本書が傳えてくれる酒井師の生き方は大いなる希望を感じました。真に感じ入る事の多い一冊でした。 -
千日回峰行を二度も満行された酒井雄哉大阿闍梨
お側で講演や出版を取り次いでおられた、鷹粱恵一氏が間近で見た大阿闍梨のエピソードを綴った本です。
とても微笑ましいエピソードも沢山あり、しみじみと味読させていただきました。
人との縁、自分の「本線」について考えさせられました。
感謝です。