- Amazon.co.jp ・本 (306ページ)
- / ISBN・EAN: 9784477019420
感想・レビュー・書評
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マジでタイムスリップ?したせいか、前作に比べて格段に新選組の話になってる。現代の女の子を幕末の新選組平隊士(男)に乗り移させても近づけない憧れの人・沖田総司との仲や、現代で剣術を学んでも幕末で全く役に立たないさまはなかなか歯痒い。何をしにタイムスリップ?というか、平隊士に乗り移ったの?とまじまじと思ってしまう。さらにこれ、秋飛は現代に戻れたの?となんともモヤモヤが残る。というか、秋飛の現代の身体はどうなってんだろう??
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新撰組の読み物として、ちゃんと面白かったです。
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前編よりは面白かった…かなあ。
新撰組も前編よりは沢山出てくるし。
けれど、所々気になる箇所も。
さらさらっと読めるんだけど、たまに文章がなんとなくおかしくて引っ掛かったり…
そして、それより、秋飛の現代の体はどうしているのか?秋飛はそのあとどうなったのか?など、疑問が残る。
一番の収穫は表紙(の土方)かもしれない。 -
回送先:稲城市立iプラザ図書館
さて、本書の前著である『月下花伝』の終盤に評者は本書に裏切られた、と記した。それはいったいなぜなのか。
確かに、越水の作品の中で時空の横滑りはたびたび行われているし、主人公に待ち構える運命も―小学生向けの児童文学はおろかYAや一般の小説と比較して―残酷である。でありながらも、どうしても評者の中にはある一点が頭をよぎって仕方が無いのである。
倫理、という問題である。
越水の倫理(≠論理)からすれば、歴史を変更することは許せなかっただろうし、悲劇の英雄として描くことはできなかったことは容易に想像できる(実際、新選組を扱った架空歴史小説まで包摂した自称歴史小説を評者が冷淡な目線で見るのは、まさに前提条件に「悲劇の英雄」とカテゴライズしてしまっていることに由来する)。
しかしまさにこの部分で作品の大きな躓きが発生しているのである。たとえ、主人公が沖田総司のパーソナリティに惹かれていた部分を描かざるを得ないとしてもなお、主人公が沖田を見る目線の向こう側に主人公同様のまなざしで沖田を見ている越水の姿が終始見え隠れするのである。 そう、本書に裏切られたのは越水が作品を記すときの倫理観が自らの自律に至っていない自己矛盾の部分なのだ。
しかし立ち止まって考えてみれば、この自己矛盾は新選組(新撰組)を表象する作品構造に特有の現象なのか、あるいは携る者のメンタリティなのかなどの問いを含んでいる。そしてその責は誰もが総括しなくてはならないものでもあることを。
一般的な歴史学の問いだけではカバーしきれない入れ子構造の問いに対する倫理観の構築を問いかける作品として、そしてそれに越水が気づいてしまったのだとすれば、それに応答する作品を上程する意味もあるのだと問いかけているのかもしれない(そして評者もまたこの問いに応答する論考を書けといわれているような気がしないでもない)。 -
どなたかが、紹介してくださっていましたけど・・(^^)
新選組もの。
(まっきー) -
「月下花伝」の続き。図書館。史実とタイムスリップが絡んでます。でも秋飛が箱館まで行ったのか気になる。それでもってラストに出てき通訳は秋飛?何だかもやもやした感じが拭えません
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ふつーにおもしろかった。が、ちょっと物足りない感じ。多分主人公があまり活躍しないからではないかと・・・・。まあ現代での剣の技と本当に殺しあう時代の剣とでは違うから当然といえば当然か。いつ現代に戻るのだろうと思っていたので、ちょっとびっくり。でもラストシーンは印象的だった。あの写真とここでリンクするとはね〜。どうやら沖田さんとの邂逅話が前にあったよう。そっちも読んでみたいかな。