家族、捨ててもいいですか?~一緒に生きていく人は自分で決める

著者 :
  • 大和書房
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レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784479393436

感想・レビュー・書評

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  • 「新しい価値観や考え方は人を自由にする」生活保護に支えられた私が伝えたいこと|ウートピ
    https://wotopi.jp/archives/103759

    小林エリコ(家族、捨ててもいいですか?〜一緒に生きる人は自分で決める)発売中|note
    https://note.com/sbsnbun

    家族、捨ててもいいですか? - 株式会社 大和書房 生活実用書を中心に発行。新刊案内、書籍目録、連載エッセイ、読者の広場。
    http://www.daiwashobo.co.jp/book/b498525.html

  • 小林エリコのエッセイ集を読むのは、これで4冊目。
    この人のエッセイは日常雑記などではなく、過去のつらかった思い出が中心だ。

    《機能不全の家庭に育ち、毎日死ぬことを望み、ブラック会社に就職したのち、自殺を図り、精神病院へ入院。実家に戻り、母と共依存の日々を過ごした後、生活保護を受けながらの一人暮らし。決して幸せとは言えない人生であったが、今やっと息ができる日々が続いている。》151ページ

    本書でそのようにまとめられる著者の半生は、波乱万丈であり、生きづらさに満ちている。
    ゆえに、どの著作もヘビーな内容。だが、文章には哀切さとともに飄々としたユーモアもあり、読みやすい。

    本書も含めた4冊のエッセイ集(ほかに『この地獄を生きるのだ』『わたしは何も悪くない』『生きながら十代に葬られ』)は、みな著者の半生が素材だから、一部にはエピソードの重複がある。

    それでも、著者は誠実に内容を書き分けており、文章の使い回しなどはない。

    また、各エッセイ集に異なる角度をつけることで、差別化する工夫もされている。
    たとえば、前作『生きながら十代に葬られ』の「角度」は10代の出来事を中心に据えることであり、本書の「角度」は著者の家族が崩壊していったプロセスを中心に据えることだ。

    本書では、一部最近の出来事も俎上に載る。自らの半生のみが素材では、そろそろネタ切れも心配になるというものだ。

    著者のエッセイ集の味わいは、西村賢太の私小説に近い気がする。
    賢太の私小説も同じような話のくり返しだが、文章の力で面白く読ませてしまう。小林エリコのエッセイもしかり。「また父親のDVの話か」などという既視感もありつつ、面白く読めてしまうのだ(賢太の小説では主人公がDVをくり返すから、たぶん小林は嫌いだろうけど)。

    本書では、著者の父親にこれまで以上に光が当てられる。
    父親はDVをくり返し、家にろくに給料も入れず、外には女を作り、しばしば飲んだくれる最低男。著者は10年前から絶縁状態だという。

    そんな父親でも、著者が父親を描く筆致にはどこかあたたかみもあり、憎しみだけがあるわけではないとわかる。

    私はもちろん著者とは一面識もない。それでも、終盤で著者が新しい恋人とつかんだ幸せが、このまま続くことを祈りたくなる。そんな本である。

  • 2020.09.02

    完読せず

  • 初めて 小林さんの作品を読みました。

  • ところどころ、読むのが辛いと感じた。筆者の辛さが理解できる訳ではない。
    理解できる、と感じるのはおこがましい。
    ただ筆者の親への感情は私も家族に持たれている感情だと感じる。

    私が家族に対して幸せに感じていた感情を、相手である家族は覚えていないかもしれない。私が家族に対して憤りを感じていたことを、相手である家族は覚えていないかもしれない。
    だから、相手である家族が感じた憤りを私が自覚していないかもしれない。

    どんなに家族が相手に対して尽くしたとしても、それが生命を維持するために不可避だったとしても、相手である家族から、どのように評価されるかは分からない。

    家族の絆とか、家族なんだから…という言葉に疑問を持っているが、家族とは、きれいなものばかりではなく、清濁併せ持つものと、私は思っている。家族でも、相手に期待しすぎてはいけない。

    筆者の家族は離れて正解だったと、何の責任もない他人である私はそう感じる。けれども、どこかでメディアに露出するようになった筆者を、離れてしまった家族である筆者の父や兄が見ていてくれるだろうか、と感じることにも理解は出来る。

    行きたい学校に行かせてもらえなかった、と言ったり、何度も自殺未遂を図ったり…
    それでも、やはり筆者は家族に期待しすぎているのではないだろうか、と感じることもあるのだ。

  • "家族のことは大嫌いだったけれど、今の私はあの家族がなければ形成されなかっただろうと思う。"
    (p.221)

  • 《「個人的なことは社会的なことである」というフェミニズムの言葉があるが、私の家族は小さな国家だったと思う。力のあるものが暴利を貪り、それ以外のものは従うのみである。それでも、そこにはどこかに愛があった。》(p.1)

    《私は酒を口にしながら、「お父さんのことは好きか?」と問うてくる父を思い出す。父は不安だったのだろうか。子どもが親のことを嫌いになるのは難しい。けれど、何度も聞いてくる父を思うと、父の心には何か深い闇があったのではないかと考えてしまう。》(p.14)

    《どこの家の墓にも入る予定のない、母と娘。私たちはどこの家にも所属していない。それが不幸なのか幸せなのかはわ分からない。》(p.36)

    《叔母は激しく泣き、その感情の高ぶりのまま、最高に豪華なお葬式をあげた。大量の菊の花に、たくさんの椅子。芸能人か政治家が死んだのかと思ったくらいだ。それなのに、祖母のお葬式には人がほとんど来なかった。五、六人くらいだったと思う。》(p.110)

    《そしてそのとき、父が遊んでくれた理由がわかった。父には余裕があったのだ。だから、私を「たかいたかい」して、笑顔で接することができた。金を惜しみなく使い、過程を妻に任せていたからこそ、子どもと遊ぶことができたのだろう。》(p.178)

    父からの電話をテープに録音するくだりも良い。

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著者プロフィール

1977年生まれ。短大卒業後、エロ漫画雑誌の編集に携わるも自殺を図り退職、のちに精神障害者手帳を取得。
現在は通院を続けながら、NPO法人で事務員として働く。
ミニコミ「精神病新聞」を発行するほか、漫画家としても活動。
著書に『この地獄を生きるのだ』(イースト・プレス)、『わたしはなにも悪くない』(晶文社)がある。

「2019年 『生きながら十代に葬られ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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