ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~

著者 :
  • 大和書房
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本棚登録 : 1731
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784479794707

作品紹介・あらすじ

JR中央線・乗降者数最下位の西国分寺駅-そこで全国1位のカフェをつくった著者が挑戦する、"理想と現実"を両立させる経済の形。

感想・レビュー・書評

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  • 『ゆっくり、いそげ』から学んだ不等価交換の価値 | コクヨのMANA-Biz
    https://www.kokuyo-furniture.co.jp/solution/mana-biz/2023/06/post-700.php

    影山知明さんの名著「ゆっくり、いそげ」で数字や成果にとらわれないビジネスの本質を学ぶ | jMatsuzaki(2019年4月21日)
    https://jmatsuzaki.com/archives/24293

    こどものための、大人の物語 - KURUMED COFFEE
    https://kurumed.jp/

    ゆっくり、いそげ - 株式会社 大和書房 生活実用書を中心に発行。
    https://www.daiwashobo.co.jp/book/b190582.html

  • 中央線で最も利用者の少ない「西国分寺駅」近くにあるクルミドコーヒー
    駅から少し歩いただけで静かな雰囲気の住宅街の入口にある。
    このカフェから生まれ、時間をかけて地域に根付いていく温かい文化の環。
    そのネットワークにいつか入ってみたいと、私自身ひそかに憧れている。

    何か親切をされ「健全な負債感」を刺激されると、「お返し」をしたくなるもの。
    その「お返し」の相手は、決して同じ人ではないことが多い。例えば電車でお年寄りに率先して席を譲るとか、いつもより笑顔で朝の挨拶をするとか。

    筆者によると、我々が何か「良いこと」をしているときの人格は、「受贈者的」なものになっているらしい。give and takeの「giver」である。ただし、我々は不満を抱いている時になると、心が「消費者的」な人格に支配され、少ない労力で最大限のベネフィットを得ようとしがち。クレーマーの心理であり、「taker」である。

    giverが周囲のtakerをgiverに変え、winwinの関係を築くことが理想ではあるが、職場で周囲を見渡すと、そこまで簡単なものではない。なぜなら自分がどれだけgiveをしても、takerはいつまでたっても、takeし続けているように感じるからだ。周囲は私を都合よく利用しているだけなのではないかと思ってしまう。私は異動のたびに、前任者からの引継ぎをまともに受けたことが無いが、おそらく前任者が気にも留めていない範疇の業務にも手を出しているのだろう。勝手にgiveを求めて、手間をかけ続けているのかも知れない。

    私が相手からの見返りを期待している時点で心が未熟であり、giver足り得ていないことは承知である。それでもやっぱり、giveを積み重ねる働き方の先に、自分が疲弊し潰れてしまう未来しか見えない。「give and take」ではなく「give and give」で本当に良いのか?ストイックで聞こえは良いが、賛同できない。
    もしかしたら、案外自分は同僚たちに感謝されているのかも知れない。承認欲求をぐっと抑えて同僚たちを信じることも、giveの一形態なのだろう。

  •  著者は外資系コンサルティング会社やベンチャーキャピタルの仕事に携わった後、2008年に生まれ育った西国分寺市で「クルミドコーヒー」という名のカフェを開業し現在に至っている。

     本書の前書きにおいて、
    「ここでの議論はカフェのような業種だから成り立つ小さな経済の範囲のものだとの指摘を受けるかもしれない。
    確かにそれも否定できないだう。      現在の経済、ビジネスを根本から置き換えるものを考えているというより、それを補完し、ときにはもう一つの選択肢となり得るモデルを思い描き実践している感覚である。
     すべて自分自身が仲間と一緒に実際に取り組み、結果を受け止め、内省し、言語化した体験だ。そこから抽出した、未来に向けての仮説である」と述べている。

     そこで、本書で述べられている具体的な議論を眺めてみよう。

     「不特定参加者へ不特定多数参加者のいる市場においては、同じものなら安ければ安いほど良いということになる。」
    「そうならないためには「私」と「あなた」のような顔の見える関係であれば、世の中一般に受け入れられていない価値であっても「私」がそこに価値を認めるのであれば「あなた」との間に交換が成り立つ。」
    「3倍の値段のコーヒーを飲んでもらえる。
    これは言葉になりにくいかもしれないし.ましてや金銭換算など出来ないかもしれないが、何らかの価値は確かにやりとりされてる。」

    翻って、なぜ3倍の値段で売ることが必要か?

    それは、
    「3倍の値段のコーヒーを受け止めてくれることでできることは、十勝産の小麦粉を使えるとか、冷凍品やレトルト品ではない一から店で調理したものを出せると言うことである。」という。

    それから客数の問題であるが、

    「私とあなたの顔の見える関係は大切であるが、経済、経営が成り立つためには、知り合いだけの「特定少数」ではだめで一定規模の「特定多数」が必要である。
     しかしながら、特定多数を飛び越えて市場におけるような「不特定多数」となる交換は、複雑な価値のキャッチボールができなく単純化してしまい、同じものであれば安いほうにいってしまうのである。」

    そこで

    「特定多数が成立する要件は、複雑な価値のキャッチボールボールが必要であり、多くの場合身体性を伴う直接で、密度の濃いコミニケーションが必要である。
    物理的なお店があり、コーヒー単体だけではないより良い空間、接客を届けるようにより3倍のコーヒーの価格が成り立つ。」という。これはこれで納得のいく話である。

    さらに、著者は商売における「テイク」と「ギブ」について論じており、これらについても非常に納得できるものであり.私にとっては貴重であり新鮮な考えであった。

  • ーー内容ーー
    JR中央線・乗降者数最下位の西国分寺駅で全国1位のカフェをつくった著者の想いが綴られた一冊。東大卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに就職し独立系ベンチャーキャピタルを共同創業した後、2008年に子どものためのカフェ『クルミドコーヒー』を開業。東京有数の人気店となる。金銭換算しにくい価値にこだわる著者の考えは、日々金銭換算できない価値を提供し続けるママにとって参考になるもかもしれません。

    ーー感想ーー
    投資ファンドの世界に身を置かれていた著者としての独特な言い回しや考え方が「ちょっとむずい」と感じさせる本ではあるものの、書かれていることはとても柔らかく、愛に溢れているなぁと感じました。

    特に「成果」に対する考え方は、ママとして勇気づけられる内容だったのでご紹介します。



    成果=利益➗(投下資本x時間)

    要するに「できるだけ少ないコストと時間で、できるだけ多くの利益を生むこと」がビジネスのルール。

    別な言い方をすれば、自社の利益を手に入れようとすること、つまりテイクすることがビジネスの動機になっている、ということ。

    それを、逆転してみてはどうか?というのが、本書の大きな問いです。

    つまり、「ギブすること」を動機にする。

    ギブするとは、時間や手間ひまをちゃんとかけて、いい仕事をする。その仕事を受け手に届け、時間をかけて関係を育てる、ということ。

    とはいえ、ただ時間をかければいいだけではなく、一生懸命、時間をかけることが大事。

    これをわかりやすく説明するために、具体例が紹介されていました。

    2008年の北京オリンピックで北島康介選手が金メダルをとる直前にコーチがこんな一言を伝えました。

    「勇気をもって、ゆっくり行け」

    彼はただゆっくりのんびり泳いだわけではないはずで、一生懸命、全力でひとかきずつ、泳いだはず。

    このひとかきのように、時間やお金と向き合うことができたら、目的(成果)には思いのほか早くたどりつけるはず、というのが著者の主張です。



    これって、「成果」なんていつ得られるのかわからない子育てをするママにとっても同じことが言えるのではないでしょうか?

    時短、時短、時短・・・と頑張るのも一つ!(だって早く終わらせたいし)

    それと同時に、子どもとの関係性を「ギブ」を意識してみる。いつかそれを相手が覚えていて、感謝までしてくれるとすれば、お返しとなって還ってくる(かもしれない)!それを「楽しみ」なものとして過ごすことが、子育てをもっと楽しむヒントになるかもしれません。

    今日、子どもに「ギブ」することはなんですか?



    #読書 #読了記録 #本スタグラム #読書女子 #本 #読書好きな人と繋がりたい #子育て #子育てママ #子育てママと繋がりたい #ワーママ #子育て中 #ママ専門コーチ #コーチング #ゆっくりいそげ #クルミドコーヒー #影山知明 #大和書房

  • 「テイク」ではなく「ギブ」から入ることで生まれる、健全な負債感。
    今、必要なのはコレだ!と刺さった。

    読んでいて思ったことは、
    「消費」とは、「消える」「費やす」と書く。
    読んで字のごとく。
    それでは、後に何も残らない。
    でも、今は何もかもが消費されていく時代。
    ちょうど、「文化」も「エンタメ」も「音楽」も「スポーツ」も、
    消費されているな…と感じていたところ。

    もしかしたら、資本主義に代わる新しいエコシステム(生態系)に成り得るのかもしれない、とも思えた。

  • ◎以下は「続」の引用

    そんな中途半端なものをだすなという声も聞こえてきそうですが、ただ、お客さんたちとの間だったらそういうことができるような気がします、

    ここが分かりにくかった、もっとこんなデータもあるよ、こんなアイディアを、、、、そんなフィードバックを受けて、その先にさらにレベルアップした完成版を目指す

    お店をやっていると、ぐっと客数が増え、売り上げが伸びる時期がある一方で、やれどやれど数字に表れてこない時期がある。量の成長と質の成長を繰り返しながら、植物もお店も育っていく


    事業体や組織の成長は、測ろうとするのではなく、感じること

    無理強いしてもあまりいいいことはない、うまくいかない理由がある、タイミングや場所、縁といった意味でもおのずとなるようになる、それくらいの開き直り

    机上で考えたコンセプトではなく、地に足の着いたお店になりそうだとわくわくスる気持ち

    たしかにそこに作りてや主の存在をかんじとれる店

    場の力の正体は縁

    いのちのつながりが縁になってゐ場所に残っていく、だから居場所には縁が積もっていく、生き物はみなそうした縁のなかで生きていくもの

    縁ーいきもののいのちといのちが出会ってつながる役目をするきっかけのこと、目に見えないけれど、縁がたくさん積もっている場所ほど、いのちがつながりやすい、そうした場所ほど安心して生きていくことができる

    縁が紡がれていくことを通じて、やがて場そのものに命が宿るようになる

    楽しく遊びの要素があること。

    遊びのかたちにおいてだけ、わたしは生産的になれる。人生の生真面目さをわたしの仕事に取り込まねばならないと思ったら、先へ進む意欲がなくなる

    お客さんとの関りにおいても、楽しさであり、遊びがあるといいなと常々思っている。お店の帰り際、お客さんがぽろっと言って下さる感想として、おいしかったとか、いい時間だったとか、もうれしいが、楽しかったといってもらえたとしたら、もっとうれしい。それはそれだけ、お客さんたちの間で、発見があり、笑いがあり、創造的な時間が流れたということなのだろう、そしてお店をそういう場にできる可能性があるとしたら、これもやっぱり、お店のスタッフとお客さんという立場を超えたかかわりを実現できたということ





    ◎以下引用


    ぼくらのコーヒーは650円、目の前100メートルのところにあるコーヒー店は200円。さらに駅に近い。こうして記号化してしまうと不思議な感じだが、なぜ人はわざわざ3倍のお金を払ってまでよりアクセスの悪いお店に足を運ぶのか。ただこうした値段を受け入れてもらえるおかげで実現できていることがある。

    不特定多数の、顔の見えない参加者を想定した市場では、複雑な価値の交感は成立しにくい。

    顔の見える関係であれば、世の中一般に認められていなくても、私がそこに価値を認めれば、交換が成り立つ

    普遍的に良いといわれるようなことではなかったとしても、そこに価値を認めてくれる私がそれなりにいた

    言葉にはなりにくいしましてや金銭換算などできないかもしれないが、何かしらの価値の交感はされている

    特定多数での複雑な価値のキャッチボールを成り立たせるには、身体性を伴う密度の高いコミュニケーションが必要


    ああ、いいものを受け取っちゃったなと思えば、また店に来てくれるか、紹介してくれるかもしれない


    お客さんの消費者的人格を刺激してしまう状況だと、同じだけ払うなら、出来るだけ多く、という風になる


    受贈与者的人格⇔受け取ることに負債感を覚える

    1500円のコンサートでいい時間を過ごした後、底に金額以上の価値を感じてゐれば、余韻や、負債感となり、次回の参加や口コミへとつながる

    交換を等価にしてしまってはだめ。不等価なこうかんだからこそ、その負債感を解消すべく、贈与する

    世のやり取りの多くが、利用し合う関係となっている

    彼らの目的を果たすためにお店を利用するのではなく、僕らのお店が実現しようとしていることを、支援してくれるものだった


    お客さんがいい時間を過ごせるように支援すること

    • 大野弘紀さん
      共感

      私も読みました

      とても考えさせられる、本だと思います
      共感

      私も読みました

      とても考えさせられる、本だと思います
      2019/11/28
  • クルミドコーヒーのカフェ経営にみる、ポスト資本主義社会における人・モノが持続的に循環する仕組みの作り方。資本主義を否定するのではなく、資本主義の中で実践されるからこそ、ここには現在の「理想と現実」がしっかり描かれている。

    ・資本主義社会の中で、”不特定多数”をターゲットにするのではなく、独自の”特定多数”の経済圏の循環を目指す
    ・お金の等価交換を繰り返す資本主義の原理原則とは異なる、”不等価交換”な関係により持続化する仕組みを創り出す

    そんな矛盾を孕む経営学へのヒントや学びが本書には多くちらばめられている。これぞまさに人生のバイブル。

  • お金や資本主義に対して否定的な感情があったけど、全てはどう関わるかで変わるんだなと。
    私のクラッカー屋さんが、あたたかい気持ちが循環する社会の一部に少しでもなれたら。
    丁寧に時間をかけた仕事を贈ることですね。
    クルミドコーヒーさん、行ってみたい!

    ・守り育てるべきは、私たちの暮らしと幸福感。そのための経済。
    ・見えない価値のやりとり、「お互い様」な交換は、特定的な顔の見える関係の中だからこそ成り立つ。
    ・一般に、不特定多数の、顔の見えない参加者を想定した市場では、複雑な価値の交換は成り立ちにくい。それが「多くの人に、普遍的に認められら価値」である必要があるからだ。逆に、「私」と「あなた」顔の見える関係においての方が、より複雑な価値のキャッチボールができる。
    ・「不特定多数」でもなく「特定少数」でもなく、「不特定多数」。知り合いだけの閉じた関係ではなく、開かれた広がり。複雑な情報のやりとりが可能な、人やネットを通じて、直接・間接に声が届く距離にある人たち。
    ・「健全な負債感」本当にいいものを受け取ったとき、感謝の気持ちとともに人の中に自然と芽生える前向きな返礼の感情。こちらから「贈る」ことで、お客さんの「贈る」「応援する」気持ちを引き出す。
    ・「利用し合う」関係から、「支援し合う」関係へ。
    ・お金は、何かを「手に入れる」ための道具ではなく、誰かの仕事の結果を「受け取る」ためのもの。
    ・商品・サービスの向こうにあるはずの人の存在が想像しづらいと、誰に感謝すればいいか分からず、感謝の気持ちを持ちにくい。
    ・「人に仕事をつける」と、作り手の気配が感じられるようなモノゴトでお店が満ちる。
    ・お店と地域の関係は、植物と土、おでんの具と出汁の関係に似ている。互いが互いを支援し合い、結果生み出される豊かさを互いに分け合っている。
    ・「不自由な共生」(町内会、防災会)→「自由な孤立」(都会での独り暮らし、核家族)→「自由な共生」へ。存在そのものを受け入れてくれる他社がいることで、素の自分に戻れるようなコミュニティ。これらのコミュニティを行き来できるようになるのが、本当の自由ではないか。
    ・あらゆる仕事の正体は「時間」であると思う。人はかけられた時間の大きさを直感的に感じ取れるセンサーがあるのではないか。それは「なにか心地いい」「からだが喜んでいる」という目に見えないもの。
    ・手間隙のかかった仕事をちゃんとすること。その仕事を受け取ってくださった方に、時間をかけて寄り添い続けること。これが「時間と戦う」のではなく、「時間とともにある」人の働き。そうすれば、時間はきっと見方になってくれる。

  • 最近読む本などで恩送り、ペイ・フォワード、ギブ・ファーストという考えを目にすることが多い。
    私にはどうしてもギブアンドテイク、マッチャーの考えが染みついてしまっている。でも、最近そういう態度が私の壁となり私自身の成長を阻害する要因となってしまっているのではないかと思う。

    人でも職場でも自分が考えている以上に私を大切にしてくれていると感じると、あぁ自分は何もできていないのに過分にもらってしまった。何かお返ししなくては感じる出来事がここ数か月の間にあった。
    また、その時は感じられなかったけど、昔の出来事であの人のあの親切返せてないなと思うこともある。
    私はその受け取りすぎているものを返していきたいとこの本を読み考えてた。

    お店には近いうちに訪問してみたいと思う。

  • 人を手段化しない経済 という表紙の文言に
    「そんなことはできるのか?」
    と疑問を持って、偶然本屋で手に取った本。

    著者は東大卒業後、マッキンゼーやベンチャーキャピタルを渡ってきた方であり、正直こんなタイトルの本を出すのは「?」とはじめ思った。

    内容は著者が以上の経営畑を渡った後に独立してカフェを始めた話である。

    読み進めるうちに、こんなに人間らしさが残るビジネスが可能なのかと胸が熱くなってきた。
    (特に私は工業系の仕事で合理性ばかりを求められのでなおさらである。)

    festina lente の日本語訳がタイトルになっている本書。
    その名の通り、幸せだが、持続可能ならゆっくりいそげ
    になってくると思う。

    現代社会のように、いそげ、いそげではどこかで迷子になってしまう。

    内容で特に頭に残ったのが、ビジネスを
    TAKE(利用し合う) 関係でなく GIVE(与えあう) 関係として定義する事。
    確かに本来、人間関係とはこうあるものだ。
    人が集まって社会は成り立つはずなのに、いつの間にずれていったのだろう。。

    面白いなと持った視点

    ・お客さんの中には「消費者的な人格」と「受贈者的な人格」が同居している

    ・クレーマーとは消費者的な人格の行き着く先ではなかろうか

    ・誰もそう望んでいないのに、どこの駅前も同じようなコーヒーチェーンで埋め尽くされることになる

    ・人脈という言葉はまさにそうだ。人間関係を手段と捉えた言葉だ。

    ・お金を受け取る(GIVEN)されるための道具と捉えたらどうだろうか

    ・互いが互いを利用し合う交換の集積は破綻する

    ・目的や目標を絶対視しないこと

    自分の大事にしたい価値観に非常に近く、読んでいて嬉しい本でした。

  • 奪う、奪われるの関係から、支援する、支援されるの関係へ。結局情けは人のためならずってこと。時間とお金をかければ、その分お客はついてくるってこと。
    手広く仲良くするより、わかってくれる一部の人と仲良くしたい。

  • カフェから始める新しい経済、何かを与える事(ギブすることで)で、何かが変わるのでは、という著者の呟きが響きます。テイクから入るかギブから入るか、悩ましい世界であります。(何やらキリスト者の伝道風の呟きでもありますが) 地域通貨については、紙媒体からデジタルトークンに切り替えると、使い勝手も良くなるような気がします。誰か腕に覚えのある方に(ボランテイアで)、地域通貨『ぶんじ』のデジタル化等(ブロックチェーンで)を実現して貰えないでしょうかね。その辺りから、次の展開も出てくるのではと、思いつつ、読んでおります、☆三つ。

  • テイクからギブへ。
    良い循環をつづけていく。

    こうしたことを、ものすごく素直に自然に買いてある本。

    先日読んだ「世界は贈与でできている」と、同じ方向の内容ですごく納得がいくけど、なにより、それが自然体で語られているので、スッと染みる。

    クルミドカフェに週末行ってこようと思います。

    きっとこの本のように、自然な居心地の良い空間だろうなと、思うから。

  • 豊かさと経済のバランス/両立への心地よい挑戦

    元コンサルが、西国分寺にカフェを開いて、経済中心に語られる世の中に、一石を投じる。生きがいとは何か?豊かさとは何か?社会とは何か?考えるだけでなく、実践していこうとする著者からの一冊。誰もが一度は立ち止まって読んでみると気付きがあるでしょう。

  • ふだん、短い時間で最大の利益を生み出すことを目的として仕事をしているので、読んでいてはっとすることがたくさんあった。
    ギブからはじめること、お金以外の価値に目を向けること、時間をかけること。

  • ・Giveから始める。
    ・Takeから始めるとTakeで返ってくる。
    「お客の消費者的人格を呼び起こす」

    検討事項
    ・GiveをGiveで返さない人が出てきたらどうする?
    ・価値の感じ方は提供者ではなく、受益者に依存する

  • 本来クルミを協力して収穫することは幸せな行為だったのに国際競争力だけ見れば日本の農業を守るために効率化されてしまうことがあり得る。
    著者はこれを目的と手段の入れ替わり、守り、育てるべきはぼくらの暮らし(ここで言う本来のクルミ農業も含む)であり、幸福感。そして、経済は本来、そのためにあるのではないかと?と投げかけている。
    確かに生活のために仕事があるのに、仕事のために生活をしているような気がしてならない。
    また、想いを感じる仕事は時間や想いをかけて作ったものであると思う。一方で最近は効率化ばかり考えてしまって細部に血の通った仕事ができていないように感じる。
    実際には難しさはあるものの、まずはギブすることに集中して仕事をしてみたくなった一冊だった。

  • 不特定多数の人に対して価値の複雑な交換は成り立ちにくい。しかしそこに価値を認めてくれる人がそれなりの規模でいたら不等価な交換が成り立ちかつ商売としても回る。与えるよりは贈ることができるという価値を大切なものと考え、その行いをした人も受け取った人も贈る心が育てられる。そういった生活はとても魅力的だと感じ心に留めておきたい心持ちだと感じることができた。

  • ・特定多数なら、繋がりを感じながら一つの事業を支えられる数。
    ・健全な負債感という幸福なループ
    ・人数が多いとみんなが少し納得する利益になる。しかし、一人一人の納得度合い、幸福度合いは少ない。
    ・不自由な共生→自由な孤立→自由な共生へ

  • すっごい良かった。外資系コンサル、VCを経てカフェを営んでる著者の試行錯誤のお話。クルミドコーヒー(胡桃堂喫茶店には行ったことがある!)の店主の本だとは全く知らずに「コミュニティに関して示唆が得られる本」という紹介を見て手に取ったもの。どっぷり数字の世界にいたからこそ、そんな経済のまわり方に疑問を抱いて、新たな道を模索するという志が根底に流れている。KPIに疲れ気味の心が癒された。

    指摘されている今の経済システムの問題点はこんな感じ:
    ・少しでも安く買いたい⇔少しでもコストを安く売りたい、初期投資を小さく、回収期間を短く、が良いとする力学の中では、仕事に時間や手間がどんどんかけられなくなっていく。また、無人化・自動化により、受け手も手にする商品やサービスの裏にある人の努力がどんどん感知しにくくなっている。
    ・資本主義は多元的な価値を扱うことが苦手(金銭換算しにくい価値、一部の人にとってしか大事ではない価値など)。それは不特定多数が参加する市場では複雑な価値の交換が成り立ちにくいから。
    ・「仕事に人をつける」、「ターゲットに効率的に価値訴求する」という行為は「人々の違いを楽しむ」、「人の存在意義を尊重する」のと逆の行為。

    これらの課題に、「カフェ」を通して挑んでる。とてもワクワクする本でした!

    本文にミヒャエルエンデの本についてもいくつか記述があり、ミヒャエルエンデの本も再読したくなった!

  • 再読。いいね!

  • 大好きなクルミドコーヒーの世界観の裏舞台に納得の一冊。まずは作り手の時間をギブし、相手を支援することから始めると、「健全な負債感」がテイクの循環・信頼関係を生む。人間を手段化するビジネスの世界は利益を目的に、手段たる時間・コストの中身を空疎化する。このシステムでは、「特定の人には大事だが普遍化しにくい価値」は姿を消していく。筆者が作る地域経済は、大きな経済では消えてしまう価値を生み、循環させることで、豊かさの好循環を目指している。それは大きな経済の否定ではなく、「補完・代替」。どこまでも、無理がないのだ。

    客と店が互いに自己の利益を最大化させるべく行動選択すると、「千円」の中身はどんどん空っぽになる。自己の利益の最大化のぶつかり合いの緊張感ある交換・取引の積み重ねが結果として社会の生産性を高め、モノの値段を安くし、利便や革新をもたらすが、社会の全てがこうした交換・取引で埋め尽くされなくてもいい。特定多数の関係性はこうした資本主義社会では値段とされない豊かさや幸福感を交換できる。いいものを受け取ることは、その人を次の贈り主にする、というのは本当に素敵な発想。


    ************続・ゆっくりいそげ****************

    前著が「地域経済」の本であるとすれば、本著は「組織哲学」あるいは「未来の社会の設計図」。

    人は幼い頃、haveの中に生き(〇〇が欲しい)、少し大人になるとdoで考える(〇〇したい)。しかし、前者は自己中心的になり、後者は今が未来の手段となる(今できないというマイナス状態を意識させられる)。そこで、be(どうありたいか)を大事にして生きることを提唱する。人の存在から出発し、その人らしさの種が、カフェという場を利用して育つのを支援する組織のあり方、他者をコントロールすることはできないからこそ、「自然に」選びたくなるような工夫を考え続ける姿勢は、「目の前の人を大事に」という筆者の生き方そのものだ。


    筆者の3つの「こうありたい」は①目の前の人を大事に②自分に嘘をつかない③周りに感謝し感謝される。自分を喜ばせることは趣味でよく、仕事とは、誰かを喜ばせるためにすること。自分を喜ばせること以上に他者のためになり他者を喜ばせることは簡単ではないからこそ、自分のありったけやとっておきで取り組まなければならない。しかし、人を育てようとしたり、変えようとしたり、外から無理強いすることは、成果のために他者を手段化することにつながる。人は育ち、学び、変わるもの。きっかけの提供と反応を示し、見守る姿勢で組織が育つ。


    本書の興味深い点は、個別具体的な事業への投資で地域の金融を形成するという仮説と本書自体が、7章あるうちの5章を収録した未完の著である点。簡易製本の査読版は、ここから読者と共に内容を育てていきたい、という筆者の思いの丈が端的に現れている。「本を著すことは、書き手や出版社にとっては、「おーい」と周囲へ呼びかけるようなものだと感じています。」

  • フェスティナ・レンテ(ゆっくり、いそげ)
    決してゆっくりだらだら生きろということではない。
    勇気を持って、変に焦り急ぐのではなく、一つ一つを丁寧に全力で取り組むことが実は長い目で見ると近道だったりする、ということだと言う。

    聞いた時にメメント・モリ(死を想え)、カルペディエム(今日の花を摘め)というこの二つの言葉を思った。
    いつかは死ぬ人生の中で、悔いなく人生を生ききるためにどうあったらいいのか。
    フェスティナ・レンテは何か通ずるように感じた。着実に一歩ずつでも今日という日を大切にしながら充足感を持っていききること。なんか今自分に改めて大切な気がする。

    少し逸れたが、
    人が幸福感を持って生きるために経済がある、経済の語源であるのは経世済民(世をおさめ、民を救う)。つまり実は経済には"社会づくり"という側面があったのではないか。それがいつしか"忙しさ"=busyを含意する方向への傾斜した。効率や時間、稼ぎ。
    影山さんから投げかけられる問いかけに、メモの量が止まらなかった。

    個人的に印象に残っているのは、
    個人とシステムの関係性。個人の思いから始まった会社でも、規模が大きくなり人が多くなるにつれて、いつしかわかりやすい「数字」が目的化し始める。より貨幣的価値が上がるのがめざすべきところ=わかりやすいみんなが合意できるものであるから、そこ(収益の最大化)がみんなで追いかけるゴールにいつしかなり始める。個々人、一人一人にの思いや感情は実は捨象されていく。システムの力学。
    影山さんは資本主義を否定しているわけでは全くない。売り上げや利益は社会からの評価ではあるし便利さがあってもいいと。ただそれを唯一の目的とするような発想とは違う考え方があっても良いのでは?というスタンスがなんか良いなと思う。

    果たして僕が大事にする価値観はなんなのだろうか。
    それを考えずにはいられない。

    ただ一つ、方向性として先に影山さんが述べられていた「人が幸福感を持って生きられるために経済がある」というのは僕も目指したい姿。

    そう思いながら読んでいると二つ大切なキーワードが出てきた。
    ・健全な負債感
    ・ギブから始まる、支援し合う関係

    利用しあう関係性の中でみんなと生きていたくないなと感じる。あざといという言葉が好きじゃない。
    利用しあい関係性は常に損得勘定で他者との関係をみる。多分だからいつもビクビクと怯えざるを得ない。そんな人生は送りたくないなと思う。
    できるのなら、損得感情を超えたお互い様・ありがとうをベースとした温かい関係性でいきたい。そういう中で自分の個性だったり、人の個性が生きる社会が作れたら、人生終わった時、幸せだろうなと思う。笑顔があると思う。
    この仕組みを作るヒントが、上の二つに詰められてる。ぜひ気になった方は読んでみて欲しいと思います。

    「存在を傾けた、手間隙のかかった仕事をちゃんとすること」自分もそうでありたい。

    読み終わって、僕としてどういきたいか、輪郭が少しくっきりしたように思う。
    もう少しくっきりできたら自分の中で指針・軸になる気がしている。

    p.s.
    面白いことに、この仕組みは自分が今いる会社でも礎となっている考え方だった。
    ・give & give
    ・動機善なりや
    ・恩送り
    ああ、さすがだな。と読みながら思わされた組織哲学でした。

  • ”西国分寺のクルミドコーヒー店主 影山知明さんの著書。読む前は、サブタイトルの意味が「?」だったけど、本書を読み終え、お店にも遊びに行って、少しずつ腹におちてきた。

    本文に出てきたキーワードでいうと…
     「価値の周波数」のあう「特定多数」の人と、
     「支援し合う」関係を育みながら「私たち」を広げて、
     「共に自由に生きる」社会をつくろう!
    という提言なんじゃないだろうか。

    そして、そのための鍵は「ギブ」すること。
    周りの人の「受贈者的な人格」を刺激することで、好循環を生み出すこと。

    これは、カフェであれ、本屋であれ、音楽家であれ、コミュニティマネージャーであれ、オフィスワーカーだって、意識すればできるはず。そんなことを考えた。

    あらためて、素敵な本を読む機会をいただけたことに感謝!
    いまこのタイミングで出逢えたことを素直に嬉しく感じています。


    <抜き書き>
    ・ラテン語で、「festina lente(フェスティナ・レンテ)」。

    ・一つひとつ丁寧に進めていけば、存外早く目的地に到達できるものだ。(p.1 まえがき)

    ・ぼくには逆に思える。守り、育てるべきは、ぼくらの暮らしであり幸福感。そして経済は本来、そのためにあるのではないかと。(p.26)

    ・クルミドコーヒーも物理的なお店があり、そこでお客さんと直接に顔を合わせ、コーヒー単体だけではない空間や接客も含めた価値で届けようとするから、三倍の値段が成り立つのだろう。(p.39)
     ※「値段だけではない価値」について。東御市産のクルミ(外国産の3倍)をつかう話から。

    ・きっと“円”はいくつもある。クルミドコーヒーでいえば、飲食店としてのい店に共感してくださる方もいれば、人と人が出会い、その結果人が育つ「場」としてのお店に共感してくださる方もいる。またお店のスタッフに共感してくださる方もいるだろう。そしてそうした「大事と考えるポイント」は、グループを超えては必ずしも共有されてはいない。(p.41)

    ・そうした前提を共有した上で、やや乱暴な推測をするならば、クルミドコーヒーにおいて、現在何かしらの価値の周波数を共有する「特定多数」は、5000人ほどではないかと感じている。(p.42)

    ・お店に来てくださる方の「消費者的な人格」を刺激したくないと考えたからだ。(p.47)
     ※ポイントカードをやめたわけ。

    ★仲間とふらっと、家族でふらっと、一人でふらっと立ち寄り、そしてなんとはない会話をして帰っていく。でも間違いなく、みんな来たときよりもいい表情になってお店を出ていく。そんなことを続けていたら、きっと西国分寺というまち自体も、今よりもっと気持ちのいいまちに育っていってくれるんじゃないかなと思ったからだ。(p.50)

    ★もしくはお店に返ってこなかったとしても、その「受け取った」ことによる「健全な負債感」は、その人をして帰り道に路上のゴミをも拾わせるかもしれないし、電車ではおばあさんに席を譲る気持ちにさせるかもしれない。
     つまり、「いいものを受け取る」ことは、その人を次の「贈り主」にすることなのだ。(p.55)
     ※受贈者的な人格を刺激することで、素敵な循環の起点に。Pay it forward!

    ・「期待利回りマイナス50%」の金融商品(p.75)
     ※半分寄付、半分出資の仕組み

    ★ベンチャー企業の経営者も、ベンチャーキャピタリストの自分も、投資元企業の担当者も、そして実は投資元企業の経営者だって、一人として「個人としてはそのことを必ずしも強烈に望んでいるわけではない」のに、気がつくと誰もが「売上・利益の成長」に向けて働くことになっていくのだ。(p.84)
     ※いま起きていること、「約束」の数珠つなぎ…。

    ★「特定多数」の個人が直接にやり取りすること(p.92)
     ※個人、直接が鍵

    ・現代のおとなたちが「虚無」に支配されるのか、それとも「ファンタジー」を育めるのか──その命運を握るのもまた、おとなたちの中に眠るこどもたちなのではないかと思う。(p.99)
     ※新しい名前をつける。主観的な行為。世界を想像し、創造する。

    ★「ぶんじ」の特徴は、裏面にメッセージを書き込めるようになっていることだ。(略)すでに何回か使われた「ぶんじ」であれば、それが自分にたどり着くまでのやり取りの痕跡を、そこに見ることもできる。(p.119)
     ※これ、いい!! 感謝の数珠つなぎ!!

    ・「ぶんじ」が少なくともここまで続いてきたのは、名刺入れの中に「ぶんじ」が2?3枚でも入っていた方が、まったく入っていないよりも日々の暮らしが楽しくなるから。(p.133)

    ・「あなたはお店をいかして、どんなことを表現してみたいと思う?」(p.142)
     ※スタッフ採用時に必ず聞く質問。「利用して」ではなく「いかして」なのもポイント!

    ・「じゃあ、うちのレシピを教えてあげる」
     心臓が止まるかと思いました。
     (略)
     クルミドコーヒーを訪れて、気に入ってくださったのだと。
     (略)
     たくさんの経験にもとづいた一つひとつのコツやポイント。
     励ましの言葉も、ビーフシチューの中に溶け込んでいます。(p.157)
     ※川上さんのビーフシチュー。卒業とともに、クルミドコーヒーではやらなくなった。「人に仕事をつける」から。つくり手の気配が感じられるようなモノゴトを大切にしたいから。

    ★「自分の主体性が発揮でき、大変だけどよろこびがあって、経済的にも持続可能(かつ成長可能)」
     それを実現するカギが、組織の内部・外部両面にわたって、交換の原則をテイクからギブへと切り替えることにある。(p.162-163)
     ※これ、CMCでの「問い」になりそう。

    ★こうして一人だった「私」は、他の「私」と出会い、少しずつ「私たち」になっていく。(p.175)
     ※ことごち!

    ・不自由な共生から、自由な孤立へ(p.192)
     ※そして、「共に自由に生きる」へ。図3:関係性のつくり方 参照。

    ・自分の余命をも超えるような長いスパンのチャレンジを始めようとしているのだ。(略)
     果たして、自分はクルミドコーヒーを、「よろこんでこのお店を引き継ぎたい」と言ってくれるような人が現れるお店に育てられるのか。50年後のお客さんにもよろこんでもらえるような、本質的な価値を提供するお店に育てられるのか。(p.205)
     ※影山さんの、開店前夜祭でのスピーチから始まった物語。

    ★ぼくらが提供しているのはコーヒーやケーキといった「コンテンツ」ではない。それは「いい時間を過ごしてもらう」こと。取り扱っているのは「時間」なのだ。(p.221)
     ※仕事の正体は「時間」。しかも、かけた時間ではなくて、提供する時間。

    ・「カフェとは、水平と垂直の交わる場所である」。
     ここでの「垂直」とは、自分の祖先や子孫(血縁という意味においてだけでなく)をつなが軸であり、土地の風土とつながること、自分の生きる文脈を知ることだ。(p.243)
     ※生きる文脈!!!

    ・ぼくの中には、これまでご縁をいただいてきた本当に多くの方が生きていて、時々「自分」なんていないんじゃないかと思うことさえあります。そうしたみなさんに、今ぼくは、恥ずかしくない自分であれているでしょうか。一つひとつのご縁に、心から感謝いたします。(p.246)
     ※ご両親への感謝の言葉、Tさん(Sさん?)へのメッセージも含めて、鳥肌がたった。


    <きっかけ>
    2015年5月、コミュニティマネージャーの集いで推薦され、amazon で頼んでいたが在庫切れのためなかなか届かず、シビレを切らしてリアル書店で探して買いに行ったら、amazonからも届いた!(笑)

    2015年6月1日?30日の期間で、本書を課題図書にしたオンライン読書会を開催中。
    https://www.facebook.com/groups/CMCbookclub/

  • ネットで抜粋を見て、興味深かったので読んでみました。

    資本主義を否定するのではなく、基本的に良いものだと思っていて
    成長、効率、革新や活性、便利は確実にあるとした上で、
    すべてが資本主義で良いわけではない、というのがとても共感を覚えました。

    不特定多数の参加者間で価値を交換するのがグローバル経済。
    それに対して、同じように市場媒介としながらも
    特定多数の参加者の間で価値の交換を可能にするローカルシステムが
    特定多数経済というのがなるほどと思いました。

    くるみ収穫ツアーの体験が労働力を提供し
    お互い様という感覚から成り立ち、くるみの売買と言う価値交換だけでなく
    複数の価値が見出されるというのが素晴らしいです。
    経済が目的なのか手段なのかというのは本当にそのとおりで、
    人が幸福感を持って日々を生きる、そのために経済があるのです。

    スーパーの同じ店に1キロ1000円の商品と1キロ3000円の商品が並んでいて
    フェアトレードだ、などの理由を聞いて熟慮の末3000円の品を
    買う人はいるでしょうが、日常的な買い物の場面では1000円を選ぶ人が多いはずです。
    同じ土俵に立ってしまうと、安売りというのを価値にしてしまえば
    大企業に勝つのは難しく、無理に値下げをしても潰れてしまうだけです。

    それに対処するには特定多数経済で、密度の濃いコミニケーションが必須になってきます。
    金銭的な価値に収斂しない価値の保全や育成の実現は理想ですがなかなか難しい問題でもあります。
    資本集約が進んでいる中で、いかに値段だけではない価値を伝えられる媒体になるか。


    それを実現しやすいのは、不特定多数を相手にする場所ではなく
    特定多数と密度の濃いコミニケーションが可能な場所。
    それがカフェなどの小売業というのはなるほどと思います。
    実際には大手量販店ショッピングモールやコンビニなど
    小売業こそ資本集約が進んでいるのが現実で、個人営業のお店などは
    営業が厳しいことも多い中で、いかに値段だけではない価値を伝えられる媒体になるか。

    「大きなシステム」が形成されるその過程で、「特定の人にとっては大事だけれど、普遍化しにくい」ような価値は取引の対象ではなくなり、その居場所をなくしていく。
    資本主義としてはそれが正しいとしても、「大事なものはそれだけではないのではないか」。
    多元的な価値が尊重され実現される社会をつくることが本当は大切なのです。

    不特定多数相手では無理でも、特定多数の参加者を想定すれば
    金銭換算しにくいようなものも含めて「特定の人々にとって大事な価値」を取り扱えるようになります。
    例として「純米酒をつくる蔵が守られること」や「日本の森がきちんと手入れされ未来につなげられること」が上げられていましたが
    確かに該当する「特定の人々」にとっては
    自分の周りでも動物の保護や刀剣などの歴史・美術関連の保護など
    金銭同等か、場合によってはそれ以上の価値が見出されています。

    そこに価値を見出す以上、一○○のお金を出して
    返ってくるお金が七○でも、価値が三〇以上あれば
    投資家がお金を出す十分な理由になるのです。
    お金を出すことは合理的な選択であり続ける。
    お金を出す側が組織ではなく個人なら、
    ただ好きだから、なんとなく、という理由でも成り立ちます。


    私はミヒャエル・エンデが好きですが、確かに『はてしない物語』は
    少なくとも序盤は特定の悪役が出てくるわけではなく、
    虚無に奪われた世界に新しい名前をつけることで救います。
    世界を想像し、創造すること。
    それを一番上手にできるのはこどもたち。

    現代社会でシステム化が徹底すると、人は考えなくなる。
    営業成績を高めるとポイントがつき、
    そのポイントで給料が上がるのだとしたら、営業成績を高めることに邁進すればいい。
    「なぜ、営業成績を高めなければいけないのか」とか、「そもそも営業成績ってなんなのか」などと問うことは求められてはいないし、
    そんなことをしていたらむしろ「異端児」ー「システムエラー」となる。
    システムの目的に沿って、ときに自分の本心を「殺す」ことさえ憚らない人。
    気が付けば「自分が何が好きか」「自分が何を美しいと思うか」に答えられなくなっていく。
    この「虚無」に抗うのは極めて難しい。
    なぜならその戦う相手の正体がはっきりしないからだ。

    この辺りも、確かにそのとおりだと思うのです。


    床(敷地)を使って「収益を最大化」させようと思えば、
    当然最も高い家賃を払ってくれるテナントを入れることになる。
    そうした市場原理の下で、個店がチェーン店に比べて
    より高い家賃を提示できることはまずない(それが立地条件のいい床であればあるほど)。
    もしくはそれをできたとしても、「その家賃を払い続けられるのか」とリスクの話になると、「やはり資本力のある大手の方が安心」ということになる。すると、どこの駅前も同じ店、同じテナント、同じ景観になっていく。
    例えば再開発などで出店可能な床(敷地)ができたとする。この物件の貸主が個人だとしたら、その個人の意思やこだわりで「こんなお店を」「こんな使い方を」と貫き通すこともできるかもしれない。
    場合によっては採算度外視なんてことさえあるかもしれない。ただ多くの場合(再開発の場合などは特に)、貸主は組織化され、複数の人が関わる状況となっている。すると途端に話は難しくなる。「こんな開発をしよう」というゴールイメージの合意形成が難しいのだ。みなが納得する選択肢として「収益の最大化」がプロジェクトの落としどころとなる。

    これも、実際問題としてそうならざるを得ず
    ショッピングモールは同じようなチェーン店が入っているばかりになりがちです。
    最近では地元のお店を入れるようにしている傾向がありますが
    入ったからといってそのお店がやっていけるかはまた別問題です。


    出資をきっかけにギプの気持ちにスイッチの入った投資家は、
    その後もお金にとどまらないその事業者の応援団になる。
    ギブを受け取った事業者も、単なるお金以上のものを受け取っていることを実感し、事業に取り組む上での大きなエネルギー源となる。
    また、そのようなお金だからこそ「きっと受け取った以上の額にして返す」という、いい意味での緊張感や使命感に
    双方向の関係が一時で終わらず、五~一〇年にわたっての継続的なものとなる。
    大変理想的な関係です。
    「お金を増やしたい」「資金運用」という「テイクの動機からでは決して選ばれることのない金融商品が
    互いが顔の見える関係となることで、事業者の再建が投資家にとっても他人事でなくなり、その実現は金銭的価値を補完するような、一つの価値(うれしいこと)になっていく。

    特定多数だからこそできる「顔の見える関係」でのやり取りは
    もう少し複雑な価値のキャッチボールが可能になります。

    日本にチップが普及しない理由として、
    交換を不等価にすることで次なる交換を呼び込み、交換を継続させることで
    関係を継続させるという隠れた知恵というのも面白いです。
    アメリカやヨーロッパなど、広大な国で
    「次、いつ会えるか分からない」状況があるからこそ、一回一回の交換でどちらかが負債を負うことなくきちんと精算していく。
    対して日本の場合、限られた国土の中、
    同じ顔ぶれの中で長期間にわたって関係を構築していく前提で
    むしろ交換をいかに途絶えさせないかという方向での知恵が求められた結果というのは納得でした。

    クーポンやメンバーカードは作って「消費者的な人格」を刺激しないこと、
    カフェでコンサートを開くことや
    本を発行することなど
    色々と興味深かったです。

    この本を読んだ後、クルミドコーヒーにも行ってみました。
    近くなら通いたい、こじんまりとしたのんびりできるカフェでした。
    お店にもまた機会を見つけて伺いたいです。

  • 2018年24冊目。

    ことあるごとに立ち返りたいと思える大切な一冊になった。目の前の仕事や関係する人たちと向き合う姿勢が良い方向にぐっと変わりそう。そんな予感を持たせてくれる、とても素晴らしい本。

    「1杯650円のコーヒーを買ってもらう」。たとえ同じやり取りのなかでも、「お金を取る=Take / 取られる=Taken」の姿勢なのか、「良いものを贈る=Give / 受け取る=Given」の姿勢なのかで、育まれる関係性はきっと大きく違う。著者の影山さんはそれを「利用し合う関係」ではない「支援し合う関係」と呼ぶ。お客さんの「消費者的な人格」ではなく「受贈者的な人格」を刺激することで、「いいものを受け取ってしまったな」という「健全な負債感」を抱かせ、そこからその人が、次の人に何かを贈るようになる。そんな連鎖・循環から、よい社会や経済が生まれてくる。実体が見えないような「社会」や「経済」は、そういう一つひとつの交換の集積から成り立っているのだから、きっとその積み重ねには意味がある。

    仕事のなかの一かき一かきを、研鑽を積みながらも、ゆっくり丁寧に、一生懸命積み重ねる。支援し合う関係を一つひとつ築いていく。それは目的へと急ぎ過ぎたビジネスが一度立ち止まり、本当に豊かな経済を生み出していくための近道なのかもしれない。影山さんがその想いを一つのお店のなかで確かに実践していることを知り、自分も自分の場所でその姿勢から行動を起こしていきたいと素直に思えた。こうやって価値観が伝わり、一人ひとりの行動が変わっていくのであれば、「ローカル」な小さな活動は、決して非力ではないはず。

  • 資本主義とスローライフの二項対立的な構図を超えて豊かに生きるためのヒントが詰まった本。クルミドコーヒー行かないとな。なぜ、カフェを始めたかについて深く書かれていないが、気になって検索したら納得。そして最後の一文に強烈な意味合いを感じてしまった。とにかく素晴らしい本だった。

  • 資本主義、経済至上主義のど真ん中で闘うでもなく、そこから下りて原始的な生活を送るでもなく。顔が見える、でもある程度の規模の特定多数のコミュニティの中で、無理なく経済を循環させていく。すごく共感できる考え方。
    人と人との関係性についても、ムラ社会的な不自由な共生ではなく、自己責任が問われる、自由な孤立でもなく。自由で、でも共生していく、そんな関係性が当たり前になったらいいなぁ。

  • クルミドコーヒーに通いたくなる。クルミドコーヒーのような溜まりば作りたい。

  • 東京は西国分寺にある大好きなカフェ、クルミドコーヒー。そこのオーナーである影山さんの本。
    クルミが食べ放題で、木を基調にした家具やステンドガラスあとても居心地よくて、よく通っていた。学生時分で、1杯650円のコーヒーは決して安くはなかったが、それでも1杯200円のコーヒーチェーン店を通りすぎて、度々通ったものだ。クルミドの夕べでは、影山さんとフランクにディスカッションしたこともある。

    大好きなカフェの裏側、経営者の考え方は、とても興味深いものだった。
    お客さんの「消費者的人格」(少しでも得をしよう、という考え)を刺激しないような工夫。
    お客さんに「こんないいものを提供してもらったのに自分が支払った対価は安い」と前向きな「負債感」を感じさせることが、友人への口コミ、ブログへの紹介など次へと「贈る気持ち」につながる。

    経営、経済なんてこ難しいと思っていたが、とても面白く、自分の今の仕事にさえ繋がる部分があった。お金が全てではないが、ボランティアとは違う双方が笑顔になれて、そして回っていく仕組み。
    おもしろい、おもしろい。

    ゆっくり、いそげ。
    今年のテーマはこれでいこう。

    ————————————

    「ゆっくりいそげ(フェスティナ・レンテ)」

    ぼくは常々、この中間がいいなと思ってきた。お金がすべてという発想に与するものではまったくないが、一方で便利さも求めたいし、贅沢だってしたいこともある。売上や利益は、自分の仕事に対する社会からの評価だ。新しい技術やアイデアで世の中が劇的に変化していく様子にワクワクするし、競争は自分を高める貴重な機会とも考える。

    ビジネスとスローの間をいくもの。
    「ゆっくりいそげ」。
    AかBか、ではなく、どっちも。

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