新釈雨月物語,新釈春雨物語 (ちくま文庫 い 24-1)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480025388

感想・レビュー・書評

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  • 何だろうこの、文章の色気。

  • 再読。雨月は全9編、春雨のほうは10編のうち5編なのもあるけれどやはり雨月のほうが怪奇幻想色が強くて好き。春雨も「目ひとつの神」は好き。

    雨月は全部好きだけど、女性の情念もの3作を比較してみると面白い。「浅茅が宿」の男はフラフラしてるけど浮気はしないので、奥さんも化けて出るというよりは会いたかっただけという感じで祟ったりもしないけど、「吉備津の釜」になると男が別の女と逃げるので、奥さんに祟られて取り殺されてしまう。「蛇性の婬」になると、女性のほうが人間ではないというだけで邪悪と決めつけられているのがちょっと可哀想な気もする。男のほうの気持ち次第ではハッピーエンドになりそうなものなのに。

    「夢応の鯉魚」は深いなあ。「青頭巾」はとても怖い。稚児に迷った僧が鬼になって人の肉を喰らうようになるとか、夫の浮気を憎んで取り殺すより性質悪い。

    雨月物語
    「白峯」「菊花の約」「浅茅が宿」「夢応の鯉魚」「仏法僧」「吉備津の釜」「蛇性の婬」「青頭巾」「貧福論」
    春雨物語
    「血かたびら」「天津処女」「海賊」「目ひとつの神」「樊噲」
    解説:三島由紀夫

  • 一年近くかけてゆっくりと読み進めました。

    江戸時代に書かれた怪異譚ということで当時の空気を想像しながら読めて楽しかった。
    また、内容以上に石川淳による現代語訳の美しさが心に残った。
    巻末に三島由紀夫のエッセイも収録されててお得。

  • 上田秋成の「雨月物語」「春雨物語」を
    大胆に意訳したという現代語版。
    端麗な語り口にうっとり。
    小学生のとき、学校の図書室に
    高学年なら読めるだろう口語訳古典シリーズ、
    みたいなのが並んでて、借りて読んだことを思い出し。
    なんといっても「吉備津の釜」が怖いんだけど、
    今回読んで一番グッと来たのは
    成仏できない崇徳院の妄念を描いた「白峯」。
    それにしても、末尾の解説などによると、
    秋成というのはかなり偏屈な芸術家だったようで。
    不幸に見舞われ続けて頑なになってしまったせいも
    あったのかもしれませんが。
    晩年、自作を井戸に投じて放棄したとか、
    自分自身が見切りをつけた過去作品の話題を持ち出した友人に
    絶交を言い渡したりとか……って、
    おいおい、怒り過ぎだろ(^_^;)。
    ただ、書いている過程が重要なのであって、
    完成して時間が経ったら自ら顧みることはなく、
    死ぬ前にはサッパリ処分してしまいたい――という気持ちは
    理解できます。

  • 高校の古典の補講の時に、「吉備津の釜」を読みました。忘れられなくて買ったのですが、今読んでも怖いです…。

  •  「義兄弟」という言葉を覚えたのは、確か小学生の頃だったはずだ。
    「菊の節句にまた逢おう」
    その誓言を守るために、遠国(おんごく)で捕われの身となった兄分である男は、牢を抜け出しえぬ肉体もどかしく、自死し魂魄(こんぱく)となって弟分の男のもとに帰り着く。これぞと認めた男のために、もう一方の優れたる男が死ぬ、単なる男同士の友情とのみ言い切れぬ、婀娜(あだ)めいた情念がその義兄弟の間に流れているのを、当時の私は感じてはいた。ただ、それを上手く表現する言葉や世界を、その時は知らなかったのだ。

     江戸の国学者でもあり読本(よみほん)作者でもある上田秋成(一七三四年~一八〇九年)の『雨月物語』は、白峯・菊花の約(ちぎり)・浅茅が宿・夢応の鯉魚・仏法僧・吉備津の釜・蛇性の淫・青頭巾・貧福論の九話からなっている。また『春雨物語』は、血かたびら・天津処女(あまつおとめ)・海賊・二世の縁(えにし)・目ひとつの神・死首の咲顔(えがお)・捨石丸・宮木が塚・歌のほまれ・樊噲(はんかい)の十話からなる。

     子供の頃初めて手に取った『雨月物語』は児童書ということもあり、かなり変則的な章立てで、『雨月物語』と題しながらも『春雨物語』に属する話が二、三話収録されていた。そして長編だったり、子供の読み物としてそぐわないシーンを持つ話は、所々はしょられたりしていたのも覚えている。そんな中で、菊花の約(ちぎり)の一篇は、今回の『新釈雨月物語 新釈春雨物語』における同篇と殆ど異同がなく、久方ぶりに読んでみて懐かしさをおぼえる。加えて今なら、その義兄弟の間の情念がどういうものであったのかも、具体的に理解することが出来るのである。

     播磨の国に丈部左門(はせべ さもん)という青年がいた。家はあまり豊かではなかったものの、母子ともにつつましい暮らしを心がけ、左門は学問に努め、母も機織仕事で息子の学業の志を支えていた。左門には妹がおり、佐用(さよ)氏という裕福な家に嫁いでいた。この佐用氏の家人達が丈部(はせべ)母子の徳を慕い、何くれとなく生活の援助を申し出ていたが、左門はこの申し出を断り、清貧の日々を送っているのであった。

     ある日、丈部左門が近在の家を訪れて古今の物語を語っていたところ、奥の方で苦しげにうめく声が聞こえる。その家の主人に尋ねると、旅のお武家を泊めたのだと言う。しかし、泊めた晩から疫病(えやみ)を発症し、日を過ごす内に容体も重くなる。骨柄人品卑しからぬ、立派な風貌の侍ゆえに泊めはしたが、身元も分からず困り果てていると、左門に話した。左門は「あなたの気持ちも分かるが、旅に病むその方は一層心細かろう。ならば私が看病しよう」と言う。「伝染ります」と家の主人は止めるが、左門は「死生命有り」として一向に気にする気配もなく、その武家の病臥する室に入っていった。

     見れば確かに、健康でさえあれば並みの人とも思われぬ偉丈夫のようである。「必ずお救いする」と左門はこの家に日々通い、かいがいしく彼を看病するのであった。日を経るにしたがって、武家の容体も徐々に回復に向かい始め、自分の身の上を語れるまでになった。それによると侍の名は赤穴宗右衛門(あかな そうえもん)。出雲の人だが、近江の佐々木氏綱のもとに使者として赴いていたところ、国もとの出雲で内訌が起こり、主君の塩冶掃部介(えんや かもんのすけ)が尼子経久(あまこ つねひさ)によって討たれた。赤穴宗右衛門は急ぎ出雲に帰還する途中、病に倒れ、この家に長の逗留を余儀なくされたのだという。赤穴は、家の主人及び左門に厚く礼を述べる。

     左門は赤穴と親しく語らう内に、得がたき素晴らしい人と知り合うことが出来たと思うようになっていった。また赤穴宗右衛門も同様の思いであった。双方、諸子百家のこと兵法のことなど語り合うに、気持ちの通じないものはなく、お互いから学びあう喜びは非常に大きい。彼らは義兄弟として接することを誓い、赤穴宗右衛門が丈部左門よりも五歳年長なので兄としての礼をとることになったのであった。赤穴に父母は既にいないので、左門の母を己の母として孝養を尽くすことにした。すっかり回復した赤穴は左門の家に数日留まって、彼の母にも見(まみ)え、義兄弟としてむつまじく暮らした。

     幾日か左門の家に留まった赤穴は、国もとの様子を確認したいということで暫(しば)しの暇(いとま)乞いをする。
    左門は、
    「しからば、兄上、いつごろお帰りなされるか」と問う。
    赤穴は言う。
    「月日は逝きやすい。おそくとも、この秋は過ごすまい」
    さらに左門は問う。
    「秋は何日と定めてお待ち申そうか。お約束いただきたい」
    赤穴は答える。
    「重陽(ちょうよう)の佳節をもって帰り来る日といたそう」
    左門は最後にこう伝える。
    「兄上、かならずこの日をたがえたまうな。一枝の菊花にうすき酒をそなえて、待ちたてまつる」
    赤穴宗右衛門は出雲に向かって出立した。
    重陽の節句は九月九日。匂い立つ菊の咲きほころび始める時節である。――

     九月九日。左門は朝早くから酒肴をととのえ、赤穴の帰りを待っている。待ちきれず、家の外に出る。往来の話し声に聞き耳を立てるが赤穴の帰る気配はない。正午を過ぎる。日は傾いていく。待つ人は来ぬまま、太陽は西に沈んでいく。左門の老母は、今日とは限らぬのだから明日また待てばよかろうと言うが、左門は母を寝かせた後に再び戸外に立つ。
    すると、――
    揺らめく影が彼方に見えた。
    左門が目を凝らすと、紛うかたなき赤穴宗右衛門であった。

     左門は赤穴を招じ入れ、酒肴参らせようと世話を焼くが、赤穴は一向に口をきかない。酒も肴も手を付けない。むしろ、その匂いを忌んでいるようにも見えた。左門は、もてなしといえるほどのものでないが食べてほしいと請うと、赤穴はとうとう言葉を発した。
    「我は此世(このよ)の人にあらず、亡き魂のかりにかたちを見せたのじゃ」

     赤穴は国もとで何があったかを告げた。彼の地では、討たれた塩冶掃部介の恩を忘れ、尼子になびいている家臣が多く、赤穴の従弟・丹治も、尼子に仕えよとしきりに説く。赤穴が尼子経久に会ってみると、疑り深い人物で仕えるに足る男ではなかった為、赤穴は弟との約束があるからと辞去しようとした。しかし尼子は彼を城内の牢に閉じ込め、帰そうとしない。そしてそのまま、今日の九月九日を迎えたのだという。左門との約束を守れないことに悩んだ赤穴は、魂魄となって牢を抜けることを決意した。彼は左門との約(ちぎり)を果たしたい一心で、刃で自らの命を絶った……。

     これは信義の物語であると同時に、広く知られていることだが男色の風情に満ちた物語であると云って良い。「菊」の一字でそれと分かるように書かれた作品であるのだ。「菊」とはまさしく「菊座」の暗喩なのである。子供の頃には曖昧模糊としていた左門と赤穴の艶めいたやり取りや、この男の為になら死んでも良いとまで思う心は、この「菊」の意味を人生のどこかの時点で知ったことにより、一気に腑に落ちたのであった。

     加えて言うなら「赤穴」という姓は、女性器を「朱門」というようなもので、要するに「肛門」「菊座」を示しているのであろう。ならば「赤穴」に対応する記述は、丈部左門の名の中にあるのか。そう考えて(ああ、「はせ」がそうか)と思い至った。「はせ」は古語で「陰茎」を表す。『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』にも出てくる歴史の長い言葉だ。ただ、兄の宗右衛門に「赤穴」の姓があり、弟の左門に「丈部」の姓があるのは不思議な気もする。普通なら兄が「丈部」で、弟が「赤穴」ではないのだろうか。ここまで考えてみて私が思ったのは、上田秋成は陰陽の思想に基づいて名付けを行ったのではないか、ということだ。つまり、能動的な役割を果たす兄の宗右衛門に、受動的なイメージの「赤穴」を、受動的な役割の弟の左門には能動的なイメージの「丈部」を。相対する語をあてがうことで、陰と陽の和合を図り、その和合によって男たちの和合のイメージをも作り出したのではないだろうか。そもそも、兄・弟という役割も相対したものであり、宗右衛門の「右」、左門の「左」もまた相対する概念ではないか。男・女という最もありふれた陰陽の概念を持ち込めない分だけ、上田秋成はかなり意図的にこの物語を作り込んでいるように思える。

     とは云え、そんなことをわざわざ考えずとも、菊花の約は私が一番好きな美しい物語であるし、『雨月物語』『春雨物語』には、まだまだ自分なりの解釈や感想を加えたい作品がある。いつか、その一篇一篇について駄文を書き連ねてみたいという欲があるので、これからも関連文学も含めて読んでいけたらと思っている。

  • 江戸怪異譚の白眉。石川淳の現代語訳で。「浅茅が宿」や「吉備津の釜」などは古文の時間などでお馴染みかも。どれも透徹した恐ろしさ!石川淳の「秋成私論」と、三島由紀夫による「解説 雨月物語について」付き。あな、おそろし。

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著者プロフィール

作家

「2020年 『石川淳随筆集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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