桂枝雀のらくご案内: 枝雀と61人の仲間 (ちくま文庫 か 18-2)

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 168
感想 : 19
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  • Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480029393

感想・レビュー・書評

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  • 噺家さんて、こんなにも仔細な分析をしているんだなという驚きとともに、それぞれの噺にかける愛情が伝わってきます。噺の背景にある師のエピソードも記されており、師の姿が浮かび上がってくるようでした。

  • BSフジ「原宿ブックカフェ」のコーナー“ビブリオバトル”で登場。
    http://www.bsfuji.tv/hjbookcafe/highlight/07.html

    今回は噺家対決!
    林家はな平さんが紹介したのは、
    桂枝雀さんの「桂枝雀のらくご案内―枝雀と61人の仲間 (ちくま文庫)」

    『落語家というのはですね、普段、記憶力との戦いなわけです』と話し始める林家はな平さん。

    『稽古がなぜ大事かというのがわかりやすく書かれていまして、まず、自分が中心にいるとして、落語のネタはその周りに住人としているわけですね。その住人たちが、外に向かって歩き始めるでけです。で、その外側というのは何なのか。というところについては、「忘れる」というところにどんどん向かっていくわけですね。その、記憶がどんどんと忘れる方に歩いて行くってしまうから、稽古しないといけない』と、落語家さんならではの意見でプレゼン。

    なぞかけを用意していたけど時間切れとなってしまった林家さん、結果は残念ながら惜敗!


    原宿ブックカフェ公式サイト
    http://www.bsfuji.tv/hjbookcafe/index.html
    http://nestle.jp/entertain/bookcafe/teaser.php

  • 自分のなかではいまだに東の志ん朝、西の枝雀、なんである(存命では志の輔、若手
    では小痴楽)。映画『ドグラマグラ』もはまり役である。
    という私がこの本がつまらなかろうはずがなく、枝雀師匠の声を脳内で再生しながらの読了。
    好きなこと(落語)のことを好きなように書いているようで自己分析も忘れないという芸の求道者ということがわかる。
    真面目な人ほど鬱になりやすいのだが、本当に惜しい噺家を亡くしたものだ……未だにそう思っている。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/763906

  • 非常に軽く読める本です❗️

  • 「東の古今亭志ん朝、西の桂枝雀」と言われ、東西の落語界をしょって立つ2人。ともに鬼籍に入ってしまいましたが、その噺は、いまでも輝いています。
    _/_/
    この書は、桂枝雀の得意な噺60席+αを、枝雀師匠自身が解説しています。

  •  のっけからこの人は考えすぎるくらい考え過ぎちゃう人なんだなぁ、と思った。つきつめて考えてしまうんだなぁ、と思った。
     もともとこういう噺、っていうのを、自分なりにこう考えたから、こうする、というところにものすごい繊細な神経が現れている。当たり前か。彼は「噺家」というより「表現者」といったほうがいいのかもかもしれない。高座の上で、こういう噺をこんなふうに解釈して、こう演技するってことを突き詰めて考えている、こんな感じかな。だから60も選び抜いた感が強い(笑)。でも、61話目に「今」が見えておもしろい。進化している(いた)からこそ、みえた60以外の噺なのかも。私は「三十石」が好きなので、あってよかった(笑)。
     上方落語を楽しもうと気軽に読み始めたから、ちと、重いな…と最初思ったんだけど、読み進めるごとに、おもしろさが増していったのも確か。また読み直して、高座を聴きに行きたい。あ、でも、枝雀さんに会えないのが本当に残念。
     

  • 「一ぺん聞いていただいて面白かっても、二へん聞いたらおもしろくないというのでは噺に何の工夫もなく、底の浅い芸ということになります。筋だけのもの、知的なおもしろさだけのものはくりかえしがきかないというのはここなのですね。筋の上に生理的、情的なものにかかわる工夫を積み重ねていくことによって奥行きのある、くりかえしのきく噺になるのです。」
    「生理的な快感は『足らずを埋める快感』と言っていいでしょう。」

    あと、茶漬け幽霊、が特に好きです。

  • 84年当時の枝雀の持ちネタ60の噺について、演じるうえでの趣向や考え、それらの噺やテーマ、題材のものにまつわる思い出話に至るまで、さまざまに書き綴った一冊。
    「落語の中の人」の本、と言った印象。聴き手からはわからないことや、とてもそこまで考えないことや些細に思えて重要なことなどを詳しく書いている。演者だからこその視点や考え方が非常に興味深かったです。でもその噺のことについての記述よりもそれの題材になってるものをテーマに書いていたり、師匠や弟子達との思い出話についての記述が多数をしめている。それはちょっと残念だったけど読んでて楽しかったです。特に米朝師の指導がどんなものだったかとか、初めて知りましたねー。
    枝雀は、「笑わせて笑わせて桂枝雀」や米朝師の本などで間接的に読んで来たけど、本人の著書を読むのは初めてでした。読んでいて思ったのは「ああこの人の生の高座を見たかった」と言うこと。もっともっといろんなことを、生きている間に知りたかったし、本人の口から自らをもっと語って欲しかったです。
    後書きで、いつか「たちきれ」をやりたいと書いている。だけど彼は「たちきれ」をついぞ高座にかけることなく、自らの意思でこの世を去った。「もし私が『噺やめる』言いだしたら、『落語には“たちきれ”』があんねんぞと言うてください。きっと帰ってきますから」とまで書いていたのに、「たちきれ」でさえも枝雀を此岸に引きとめておくことは出来なかったのだ。
    ねえ、ねえ、どうして死んでしまったのさ。死ぬのが怖いんじゃなかったの。……今更何を言っても遅い。私は彼のことを知るのが、あまりにも遅過ぎた。とにかく、ただただそう思った。それくらい、この本には枝雀その人が生きている。読み進めながら楽しさの裏側に、「それでも、この人はもうこの世にはいない」と言う虚しさがあった。生きていればもう70を超えているだろうか… まだ他にも著書はある。聴いてない音源も多い。私はこれからも枝雀の在りし日の姿を追うであろう。

  • これは以前単行本で『桂枝雀と61人の仲間』として1984年に出版されていたもので、私は当時に購入し、その後行方不明になったので、文庫本として購入し直したもの。文庫本としての出版も1996年であり、枝雀さんが亡くなられる3年前のもの。
    読み直してみると、枝雀の思考傾向が如実に表れており、意味深い内容である。
    枝雀が存命なら、75歳。それがイメージ出来ないのは、強烈なキャラクターがゆえ。本書の内容も、それをうかがわせるものである。

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