先日届いた「宮沢賢治学会イーハトーブセンター会報第38号」に、第18回宮沢賢治賞を受賞したロジャー・パルバースさんの挨拶が載っていたので、今日はこんな本を。
『英語で読む宮沢賢治詩集』 ロジャー・パルバース訳 (ちくま文庫)
ロジャーさんは米国出身のオーストラリアの作家である。
映画「戦場のメリークリスマス」の助監督としても有名だ。
劇作家、演出家でもあり、宮沢賢治をはじめとして、井上ひさし、坂口安吾、谷川俊太郎、筒井康隆などの翻訳も多数手がけている。
(ラインナップがしぶい。日本語好きなのがよく分かります。)
受賞の挨拶では、主に宮沢賢治との出会いや、地球や人類のこれからに賢治の精神がどう生かされるか、というようなことを話されていた。
ロジャーさんが初めて日本の地を踏んだのは昭和42年。
その時は日本語が一切できず、早く覚えるために「一番美しい日本語を書いているのは誰ですか」と友人に聞いたところ、宮沢賢治だと教えられ、そこから賢治作品との付き合いが始まったという。
この詩集では、著者がセレクトした50編の詩が訳されている。
誰もが知っている作品といえばやっぱり「雨ニモマケズ」だけれども、今日はあえて違う詩を取り上げてみようと思う。
(ちなみに「雨ニモマケズ」は、英語では「STRONG IN THE RAIN」と訳されている。
雨に“負けない”のではなく、“強い”としているところがなるほどなーである。)
さて、「恋と熱病」という詩にこんな文章がある。
「あいつはちょうどいまごろから
つめたい青銅の病室で
透明薔薇の火に燃される」
英訳すると
「she will burn from this moment on
in a cold bronze sickroom
with the translucent rose-fire」
である。
ところでこの本には、「訳者ノート」として、ロジャーさんが詩を翻訳するにあたっての方法や考え方、詩の解釈が書かれていてすごくありがたい。
なにせ英語全然だめなもので。
著者はこの詩の中で、賢治がよく使う「透明」という言葉に言及していて、その内容がとてもいいなと思った。
「透明薔薇」の「透明」とは何ぞや?
賢治が使うこの「透明」という言葉を訳すのは、容易ではないのだそうだ。
「透明」には「(すきとおっていて)目に見えない」(invisible)の意味があるが、それが賢治作品に使われている場合、「不明な点(あるいは不審な点)を明らかにする能力を備えた」(having the ability to clarity)という意味も含む。
一方、それと同じような意味を持つのが lucid という言葉である。
もともとは lux という light(ひかり)の意味を持つラテン語だったが、今では「明るい」(bright)とか「輝く、きらきらした」(shining)、また、「すきとおった」(clear)という意味でも使われる。
きらきら透き通った感じを表す言葉がこんなにたくさんあることに私は驚いたのだが、賢治がもし英語で書くようなことがあれば、間違いなくこの lucid をどこかで使ったことだろうとロジャーさんは言う。
しかし今回彼は、「透明」に lucid ではなく translucent を当てた。
なぜならこの単語には、lucid が持つ「きらきら」や「すきとおった」の概念だけでなく、さらに「半透明の」とか「(物が)(透明でなないが)光を通す」という意味合いまでもが 含まれるからだそうだ。
これこそまさに賢治が陽性反応を起こすような言葉ではないか、とロジャーさんは書いている。
「あとがき」でロジャーさんは、翻訳することは、「すでに完成された料理の風味や芳香をさらに濃厚にするため、それを再びソースパンに入れて、強火で熱してみるような感じ」と言っている。
「それはまるで、宮沢賢治の詩を材料に、究極のメニューを台無しにしてしまうかもしれない可能性も孕む」と。
一つ一つの単語をそのまま直訳するのではなく、一旦自分の中に取り込み、解釈をし、英訳としての体裁を保ちつつ、賢治の作品世界を昇華させようとしていて素晴らしいと私は思う。
宮沢賢治の読み方に“間違い”というものはないので。
外国人から見た宮沢賢治の詩。
なかなか面白かったです。