江戸城外堀物語 (ちくま新書 209)

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  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480058096

感想・レビュー・書評

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  • (*01)
    外堀とはいうものの、東西の高低を反映して、江戸城の南から東にかけては石垣が築かれ、西では堀が掘られ(*02)た、寛永期の普請の様子が描かれている。本書にも意識的に記されているように、政権の確立において3代徳川家光が普請を通じて全国の諸藩を統合していった事が分かる。御恩と奉公として、軍役の延長に普請への動員があり、したがって諸役の編成は軍の編成の様に、上下があり石高に応じた役割がある。ただそこに藩主の見栄も見え、丁場と呼ばれる各工区の間で竣工競争(*03)の様相まで現れている。また、この建設への隔年の動員に参勤交代の始まりを見ているのは、おそらく正しいのだろう。

    (*02)
    寛永の外堀普請の後に承応の玉川上水開削というイベントがあるが、著者は、江戸城西側の開発、堀の掘削土を盛土し平坦を造成したことに、そこへの上水通水を睨んだレベル調整があったとしており、外堀と玉川上水を一連の計画ではななかったかと考察している。また、同じ西側では外堀普請にともなう寺院の移転が起こっており、寺院が常に都市の縁辺に配置されている事を指摘している。これらのことから外堀の機能を留保し、防御施設としての機能もさることながら、都市の区画や湛水や上下水ほかの多機能性あるいは無機能性に触れており、興味深い。
    一方の石垣とその上に築かれる櫓、また石垣により確保された直線的な広場に、家光に集まる権力のデモンストレーションの価値も見出している。

    (*03)
    この競争との関連は定かでないが、普請に際し将軍から発せられた法度の第一には喧嘩と火事の禁止が触れられている。また、本書の前半で紹介された築城図屏風の図像は、祭りの様な体裁で描かれており、例えば諏訪の御柱祭とも通じるような土木祭礼あるいは建築祭礼の古式に外堀建設がいくらかでも則っていたことが知れる。

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著者プロフィール

1939年,山梨県生まれ.1962年,津田塾大学学芸学部英文科卒.1971年,東京教育大学大学院文学研究科日本史専攻修士課程修了.2014年3月まで,国立歴史民俗博物館客員教授 ※2014年5月現在
【主な編著書】『都市と貧困の社会史―江戸から東京へ―』吉川弘文館,1995.『近世災害情報論』塙書房,2003.『関東大震災の社会史』朝日新聞出版,2011.『日本歴史災害事典』[編]吉川弘文館,2012

「2022年 『都市と貧困の社会史 江戸から東京へ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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