日本の隠遁者たち (ちくま新書 231)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480058317

作品紹介・あらすじ

ひとは、生まれてから死ぬまで他人とのかかわりにおいて生きている。しかしそれが時にはわずらわしくもあり、また時には人恋しくもなる。並はずれた才能を持ちながら世を疎み、心の葛藤を自然を愛でることと孤独に耐えることで癒しながら生きた中世以来の隠遁者たち、西行法師、鴨長明、吉田兼好、松尾芭蕉、種田山頭火、尾崎放哉らの研ぎ澄まされた感性の表現から、われわれ現代人は何を感じとり、受け継ぐことができるのか。日本人の心の系譜を読み解く力作。

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  • 能因、西行、鴨長明、吉田兼好、芭蕉、種田山頭火、尾崎放哉

  • 能因と西行、長明と兼好、芭蕉、山頭火と放哉の姿をたどりながら、日本における「隠遁者」のあり方について論じている。

    「竹林の七賢」に代表される中国の隠者たちの背景には、権謀術数が渦巻く過酷な政治があると著者は指摘している。彼らは、時の政治権力に反抗的・批判的だった。彼らは、反政治的なトポスとしての農村=「自然」を、みずからの生きる場所としたのである。しかしそれゆえ、彼らは「可能性としての政治」に賭けているということができる。

    他方、西欧にも隠者の系譜は存在する。彼らは、自己の内なる「悪」を退け、キリストへの「模倣」としての修業の道として、隠者という生き方を選んだ。彼らの内面劇がおこなわれているトポスは、反自然そのものというべき場所である。

    著者は、中国の隠者も西欧の隠者も、日本における隠者のあり方とは異なると考えている。中世については、「無常観」が日本の隠者たちを脱俗へと促したと言える。西行は、世俗との交友関係はある程度保っていたが、「旅」をみずからのトポスに選んだ。長明や兼好は、庵というトポスを選び、俗生を生きる人間に対する認識者の立場をとった。さらに、「座」の連衆への深い絶望と孤独から俳諧という「道」を選んだ芭蕉、「行乞」の旅の中で一人生きることの苦しみと、自然や人情に癒される喜びを得た山頭火、俳句を作ることを存在の唯一の証とするほかなかった放哉なども、「隠遁」という生き方を選ぶことで、自分の内なる「自然」の促しと、外の「自然」との交感の場所に身を置いたと言うことができる。

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