国語教科書の思想 (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480062703

感想・レビュー・書評

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  •  国語教科書には隠された意図があるというのが筆者の考えである。それは道徳的な色合いが濃く、しかもその道徳とは政府の意図する回顧的保守的性格が強いというのだ。
     全面的に認めることはできない。そもそも文章の多くは保守的な内容を持つものであり、子供向けのものとなれば自然体制の維持を前提としたものになるのは当たり前だからだ。
     ただ、筆者の言う国語の目的を道徳ではなく、リテラシーに置くべきだという意見には大いに賛成したい。中途半端な意見の押し付けより、自身の読みを形成し、それを他と比較して時に批評する力はいまの子どもたちにもっとも伝えるべきスキルである。
     そうすると、国語が目指すものに対する見直しにともなった入試問題が出題されるべきであるし、さらには社会全体がもとめる国語能力のあり方が変わるべきであると思う。そのような国語をめぐるさまざまな問題が、小学校や中学校の教科書のあり方と関わっていることに気づいた。

  • 近年はPISAの「読解力」に踊らされたり、最近の作家の作品を入れた結果、方向性を見失っているなんていう話であった。
    教室における国語教科書というのは完全無欠で純粋な日本語・日本思想のバイブルである…ような気がしていた。『理想の国語教科書』という齋藤孝が編集した書籍があったが、結局は時代に迎合することなく古典の名作中の名作を掲載していればよいのだと思う。言いすぎかな。

  • かつて学生だった頃を思い出すと、確かに国語は道徳教育だったと感じる。
    高校時代の夏休みの課題作文で教師から、私が書いた作文は表現などは良いが内容が道徳的でないとの事で、惜しいけど作文展への出品は別の生徒の作文を、と言われた事をふと思い出した。

    個人的にかもしれないが、社会に出てから必要な国語能力は正確な読み書き能力であると感じる。書店ではビジネス文書の書き方についてのコーナーもあり、社会人には文書の書き方で不足を感じている人も多いのではないだろうか。
    塾講師をした経験からすれば、現在の中高生はカリキュラム上、特に「書く」事が不十分だと感じる。小論文に苦手意識を持つ生徒も多い様に思われる。他人に自分の考えをなるべく正確に伝えるという事は、教育上必要な事だと思われるのだが…

    ただ、国語においてリテラシーのみが必要というわけではなく、文化を理解するために文学もある方がいいと感じる。だから私は筆者のいうような、国語をリテラシーと文学に分ける事には賛成である。
    なお、私は時々古典を読むので、中高生のときに習った古典は今も役立っていて、古典も有用だと感じる(より現在の日本語を理解できるという面も)。
    ただし、これら(ライティングも含めるとして)を1人の教師が行うには労力が大き過ぎる事は確かで、生徒が受ける授業時間も大きくなり過ぎる。
    筆者の案を導入するとしたら削るカリキュラムをよく選ぶ必要があり、大幅な教育改革になるだろう。
    しかし、もしこのような教育改革を行い、しかもそれがうまくいけば、日本の発展にとって有効なのものになるのではないだろうか。

    以上、読後の独りよがりな感想でした。

  • 日本語の国語は、言語教育というよりは、道徳教育に傾いているということが筆者の主張であり、主張を裏付けるいろいろな分析(言説分析・構造分析)がなされている。

    国語の文学とは1つの読み方があるわけではなく、いろいろな読み方があるというのが前提だとは思うが、本音と建前の関係のように、日本の国語教育は建前の部分で展開されることが多い。これを明らかにした点はよいと思う。そのうえで、PISA型の読解力は日本で言われている読解力とは異なるものであるので、この能力をどのように伸ばすべきかを検討していくべきだと思った。

  • 正しいことばかりをかいてる「モノ」
    正しいことばかり言いつのる「輩」
    には
    「鵜呑みにするな」
    という
    最大限の知性を
    常に
    自分の中に
    温存しておきたい

    自己啓発の本が
    大量に出回る「現在」だからこそ
    しっかり
    自分の中に
    生きていく処方箋として
    持っておきたい

  • 問題があることはわかっていても、それを言語化することはできていなかった。そのことが明確にわかる本。

  • 国語の教科書が自覚的・または無自覚に読者の内面化させていく価値観をさまざま収録教材を例に読み解いていく本。

  • 国語の解法は「道徳」であるという指摘はみんなが何とは無しに感じ続けていたが言葉に出来なかったことなんじゃなかろうか。
    内容もさることながら、文章に適度に毒が利いていて読みやすい。

    国語が分かる人=「道徳的視点・枠組みから文章が読める人」という視点は、国語力と読書力・読解力を安易に結び付けようとする最近の流れに対して、良い牽制球だと思われる。

    突っ込み所があるとしたら、「根拠」の部分かなぁ。言っている事は正しい「気がする」が、それを裏付けるような確固たる証拠や用心深さが見られない。徹底的にやる気なら、もっとやれるはずである。

    とは言え、攻撃的な姿勢に全体的に好感が持てる本です。
    批評って大事だなぁ。

  • 教科書の論理は実は突拍子もない。
    平和で万人に平等だと思いきや「思想的」なんだと思う。
    ちょっと作者の論法も攻撃的な気が。

  • 国語の教科書の意味合いについての本。今まで小学校で習ってきた国語の教科書のタイトル、取り扱っている内容にはさまざまな方面で吟味をされており、その中から選りすぐりのものを選定していることがしっかり書いてある。
    そこには、ひとつひとつ製作者の思いというものもつまっており、今までなんとなく受けてきた自分を省みるよい機会となった。
    国語の先生になりたい人にはおすすめの一冊。

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著者プロフィール

1955年生。早稲田大学教授。著書に『漱石入門』(河出文庫)、『『こころ』で読みなおす漱石文学』(朝日文庫)、『夏目漱石『こころ』をどう読むか』(責任編集、河出書房新社)など。

「2016年 『漱石における〈文学の力〉とは』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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