1968年 (ちくま新書 623)

著者 :
  • 筑摩書房
3.21
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本棚登録 : 184
感想 : 17
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  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480063236

作品紹介・あらすじ

先進国に同時多発的に起こった多様な社会運動は、日本社会を混乱の渦に巻き込んだ。その結果生まれたウーマン・リブ(→フェミニズム→男女共同参画)、核家族化(=儒教道徳の残滓の一掃)、若者のモラトリアム化(→「自分さがし」という迷路)、地方の喪失(=郊外の出現)、市民の誕生と崩壊、「在日」との遭遇などの現象は相互に関連しながら、現代社会の大きな流れを形作っている。前史としての"60年安保"から、ベ平連や全共闘運動を経て三島事件と連合赤軍事件に終わるまでの"激しい時代"を、新たに発掘した事実を交えて描く現代史の試み。

感想・レビュー・書評

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  • 想定読者が誰なのか、めっちゃ謎な一冊。中途半端にアカデミックというか、新書としては完全に失格だろう。

    60年代から70年代にかけての思想地図、大きな潮流だけでなく、けっこう細かいセクトの名前とか、主要人物を予習してひととおりおさえておかないと、全然わかんない。これだけ読んでいると、脈略がなくて唐突に話がすすんでいくばかりで、「1968」という時代の象徴の全体像はおろか、個々の潮流がなんだったのか、それぞれの関係性はどうなっていたのかを理解する手がかりにはならない。

    アメリカ「合衆国」と「合州国」という二通りの表記がみられるが、これは意図的に使い分けているのか、編集が途中から方針かえて「合衆国」に直すことにしたのか、そのあたりもよくわからない。

    真ん中あたりまで我慢して読んでみたが、読み進めてたところで理解が深まるようなこともなく、苛々するだけなので、途中でやめた。

    なぜ「1968」がキーなのかということが、文章からも構成からも全く伝わってこない。企画倒れの一冊。

  • 1968年の新左翼の運動を、ポストモダンの諸問題があらわになった転換点として位置づける試みがなされている本です。

    著者は新左翼の運動の歴史的な意義を、国家に対する反逆としてではなく、思想的・文化的なヘゲモニーをつくり出したところにあるという、グラムシ的な観点から評価しています。そして、エコロジーやフェミニズム、マイノリティの権利要求といった現代社会のさまざまな課題が明確になった歴史的な起点として、「1968年」の意義を評価しようとしています。こうした観点から、入管問題がきっかけとなって起こった華僑青年闘争委員会による日本人への告発の問題をとりあげ、津村喬によって思想的な整備がなされ全共闘運動において叫ばれることになった、革命の「主体」の批判的問いなおしへとつながっていったことを明らかにしています。

    また著者は、現代においても市民的反戦平和主義という観点から評価されている「ベ平連」について検討をおこない、米軍脱走兵の援助の背景にシニカルなアナキスト山口健二の存在があったことを指摘します。そして、三島由紀夫の短編「親切な機械」のモデルが山口であったことに注目し、1968年以降左右の政治的立場を問わずひろまっていくことになる「偽史的想像力」が抱え込んでいた、天皇制との関係についての考察をおこなっています。

    さらに、革マル派と中核派の衝突に代表される「内ゲバ」については、それが武装蜂起のための「革命戦士」をつくり出す規律/訓練の場面において生じた出来事であると位置づけ、「企業戦士」がセミナーで過労死することに類した、高度資本主義社会のシニシズムの極北を示す事件として解釈しています。

    1968年の事件についての客観的な分析とはいいがたい本ですが、さまざまな思想史的文脈を渉猟して現代にまでつながる諸問題の系譜が解きほぐされており、おもしろく読むことができました。

  • 世界史を画する歴史的なTurningPointだった-1968年、前史としての<60年安保>から、ベ平連や全共闘運動を経て三島
    事件と連合赤軍事件に終わるまでの激しい時代を、新たに発掘した事実を交えて描く。     -20091228

  • 本書の通り1968年がターニングポイントだったのかどうかの結局のところは別として「結構そうなのかも?」という気がしてくる感じが湧いてくるのがおもしろくてスラスラ読めた。

    なぜ「市民運動」は実際の市民を置いてきぼりにした政治活動でしかないように見えるのか?といった我々「市民」にはよくわからないところが(読みやすくはないものの)書かれているのがよかった。

    現在の状況を過去の運動の影響下にあるとすると、1968年はもしかしたら「問い」の年ではあったかもしれないけど、本書で主張しているとおりに「革命」の年ではなかったように感じる。


    76ページから始まる「今日のベ平連再評価」は濃くてよかったのだが、なぜ反戦平和主義は暴力的なのかというのはわからないまま。このあたりはやっぱりなんだか自分ではわからない(わかる必要もない)という感じか。

  • <blockquote>「68年の思想」という言葉があるように、1968年が先進資本主義諸国や東欧、ラテン・アメリカにおける新左翼の、学生を中心とした世界的な動乱であったと同時に、思想的な大転換を告知した。

    この「68年の思想」が、パリの五月革命やアメリカ合衆国のヒッピー・ムーブメントを生気させたあの世界的動乱と関係しているかは、現在も充分に応えらてない。

    「68年」の世界的なバック・グラウンドとしては、中国のプロテタリア文化大革命と並んで、アメリカ合衆国をはじめとする先進資本主義諸国のヴェトナム反戦運動(これに、ゲベラ/カストロによる中南米革命や、アメリカ合衆国に発する公民権運動などを付けくわえることができる)</blockquote>

  • トランプ大統領が誕生し「Great America, again」ということを語っており、そのモデルがレーガンにあるということらしい。
    レーガンが80年代にアメリカを立て直そうということ、それ以前にベトナム戦争があり、アメリカは疲弊してしまったこと。
    その1968年に至るまでには60年の(日本では)安保闘争があったこと。

    このあたりの系譜を理解しようと、そして現状に起きている世界的な「ポピュリズム」(ナショナリズム?)を捉えようと読みはじめた。

    自分を「位置づける」、というところが印象に残っている。二十歳の原点でもよく記載があったが、とにかく「自分はどこに立っているのか」を重要視する。

    とにかくもマイノリティー問題も資本主義的に回収され、革命が不可能性を持ってしまった。そこにあたり今度はPCを無視した大統領の誕生により、再度民族や宗教的差別がまかり通るようになりつつある。というようなことか?

  • 2006年刊行。全世界的に左翼学生運動が展開していた1968年。本書は、その左翼運動に秘められた欺瞞を、その前史から描き、後史たる「華青闘告発」の意義に収斂させていく。現代史の一面を切り取った秀作であるが、個人的には、まだまだ理解不足のところが多く、他書を当たった上で再読したいところである。

  • 最初にこっちを読んだんだけど。
    数年後に小熊英二教授の『1968』を読んだので、再び図書館で借りてみて、比べながら、読んでみた。
    小熊教授の『1968』は社会学者の研究の書で、より客観的、分析的、歴史学的。
    こちらは、当事者の、ロマンティックな回想を含んだ、本かな。

    どちらの本でもウォーラーステインの1968年観への言及があるけど、オレはウォーラー・ステインはタワゴトしか言ってないと思う。

  • 高橋順一のブクログより。

  • 人名、出来事についての知識がなさすぎて、ほとんど理解できなかった。
    1968年についてはとても興味があるので、体系的な知識を仕入れてからもう一度読みたい。

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著者プロフィール

文芸評論家。1949年生まれ。著書に『革命的な、あまりに革命的な』、『吉本隆明の時代』(以上作品社)、『1968年』(ちくま新書)、『反原発の思想史 冷戦からフクシマまで』(筑摩選書)、『天皇制の隠語(ジャーゴン)(航思社)など。共著に『昭和の劇 映画脚本家 笠原和夫』(笠原和夫、荒井晴彦との共著、太田出版)など。編書に『ネオリベ化する公共圏』(花咲政之輔との共編、明石書店)など。

「2016年 『タイム・スリップの断崖で』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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